鞭と飴

Presented by なばり みずき


 目が覚めて視界に飛び込んできたのは、自分の部屋のではない見慣れた天井。
「あー……」
 ここがどこか、そしてその経緯を思い出して、アリスは頬を染めて小さく呻いた。
 ベッドの上には自分しかいない。
 きっと部屋の主は仕事に行ってしまったのだろう。相手は多忙を極めるマフィアのナンバー2だ、その点を責めるつもりはない。
 いつもだったら事が終わった後はお風呂に直行するのだが、昨夜は――この世界は時間の流れが曖昧だから『昨夜』という表現が正しいのかは判らないけれど、とにかく昨夜はそのまま意識を失うように眠り込んでしまった。
 いつもは感情表現がストレートで、年上のくせに「可愛い」なんて思わせるエリオットなのに、ベッドの上では本来の彼を垣間見せる。
 焦らしたり、わざと意地悪な質問を投げ掛けたり、こちらの懇願を無視したり……。
 翻弄されている最中は「酷い」とか「意地悪」とか「人でなし」とか思うけれど、やっぱり甘い。
 誰にも――彼が敬愛して止まないブラッドにだって絶対に見せない、甘い表情で愛を囁いてくれる。
「あんたがいないと俺は駄目になっちまう」
 追い詰められているのはこちらのはずなのに、胸が痛くなるくらい切ない声でそんなことを言う。
(エリオットはずるい……あんな場面であんな風に言われたら、絆されて、何でも許したくなっちゃうじゃない)
 そうして結局許した結末がこれだ。
 起き上がることも侭ならない状態で置いていかれたことは、アリスを酷く落胆させた。
 優しい彼のことだから、きっとよく眠っている彼女を起こすのが忍びないとか、そう気遣ってくれたのだろう。しかし、たとえ恋人のとはいっても、他人のベッドで一人きりで目が覚める虚しさは如何ともし難かった。
(帰ってきたら耳引っ張ってやる)
 拗ねたように唇を尖らせながら気怠い身体で寝返りを打つと、不意にドアの開く音がした。
 まさか使用人の誰かが入ってきたのだろうかと血の気を引かせたアリスだったが、
「あれ? なんだ起きてたのか」
 声を掛けてきたのは、つい今し方まで胸中で詰っていた相手だった。
「エリオット……仕事じゃなかったの?」
 思わずまぬけな声で訊いた彼女に、エリオットは屈託なく微笑ってかぶりを振った。
「確かにそろそろ出掛けないとまずいんだけどな。だからってあんたをそのままにして行かれるわけないだろ」
「エリオット……」
「起き上がれるか? 悪かったな。あんたは俺と違ってヤワだから、ちゃんと労ってやらないとって思ってるんだが……どうも、加減が出来なくなっちまって」
 全然悪びれた様子のない謝罪に毒気を抜かれてしまう。
 けれど、そこはアリスだ。黙ってそれを受け入れられるほど素直に出来てはいない。
「悪かったわね、ヤワで。あんたと一緒にしないでよ」
 ひねくれ者の部分がつい頭をもたげて可愛くない発言が口を飛び出してしまったが、エリオットは全く気にした様子もなく、あんたはお嬢さんだからな、なんて笑っている。
 そして、彼はベッドサイドに洗面器とタオルを置くと、未だに自力では起き上がれない彼女の身体を優しく拭き清め始めた。
 快感の余韻が残るあちこちを濡れタオルでもどかしく刺激されて、アリスは思わず唇を噛みしめた。そうしていないとあられもない声が口を衝いて出てしまいそうで。
「どうした? どっか痛いのか?」
(鈍いくせに、どうして変なところばかり鋭いのよ。それとも、感じてますって言わせたいわけ?)
 眉を寄せて鈍い快感をやり過ごしながら小さく首を振る。
 そんな恥ずかしいこと、口が裂けたって言えっこない。
 だというのに、エリオットはますます彼女の弱いところを刺激するようにタオルを滑らせていく。わざとやっているんじゃないかと思うくらい的確に。
(……わざと?)
 まさかと思いつつ盗み見ると、呆れたことに、エリオットは実に悪党らしい表情で微笑んでいた。
「あ、んた……っ!」
 怒りと羞恥で顔が赤くなった。
 この男は判っていてやっていたのだ、最初から。
「バレたか。だって、意地張ってるあんたって最高に可愛いんだもんな。苛めたくなる」
 笑いながら言ったエリオットは、タオルを洗面器の中に放り込むと、アリスの脇に手を置いて覆い被さってきた。
「……仕事が、あるんでしょ?」
 降ってくるキスを避けるように顔を背けて言う。
「実を言うと、他に振れる仕事だったから任せてきた。ブラッドの許可も取ってある。だからさ」
 もっと可愛い顔、見せてくれよ。
(ああ、もう……)
 甘く、希うように囁かれて、アリスは思いきり嘆息した。
 つくづく甘いと自分でも思うが、この男の懇願に勝てた試しはない。
「……置いていかなかったことに免じて、耳を引っ張るのは勘弁してあげるわ」
 せめてもの仕返しとばかりに吐き捨ててから、アリスは彼の柔らかなくせっ毛に指を絡ませた。







ふっとネタが降りてきて、勢い任せに書き上げたのですが
よくよく考えてみると私の中のエリオットってこういうイメージです。
ベッドの上ではさしものアリスも翻弄されるという…。
そしてエリオットは天然タラシだと思う! これは絶対!(笑)

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