そんな日常

Presented by Suzume

 あまり広くないベッドの傍らで、愛する少女が健やかな寝息を立てている。
 口を開けば結構な毒舌家なアリスだが、あどけない寝顔は実に可愛らしい。
 ユリウスは何気なくシーツの上に広がった飴色の髪に指を絡ませた。
「何だ、言うほど傷んでなどいないじゃないか」
 いつだったか、ユリウスの髪を弄りながらキューティクルがどうのと騒いでいたが、彼女の髪だって充分に美しい。さらさらとした手触りはまるで上質の絹のようだ。
 実際にはその一件があってから、アリスがそれまで以上に髪の手入れに気を配っていた成果なのだが、そんなの彼は知る由もない。
「アリス、おまえは充分に綺麗だよ」
 密やかに囁いて指に絡めた髪に口づけた。
 と、階段の方から賑やかな足音が響いてきた。
 これはエースに違いない。
 あの無駄に爽やかな男は、仲間はずれは寂しいなどと抜かして事ある毎にユリウスとアリスの部屋を訪れては二人の甘いひとときに横槍を入れるのだ。
 幸いなことに彼の方向音痴が改正されたわけではないため、実際に邪魔されるようなことはそんなに多くなかったが、それにしても「腐ってもハートの騎士」と言うべきか、まるで気配を消して外から様子を伺っていたのではないかと邪推したくなるほど的確に狙い澄ましたかのようなタイミングで妨害されたことは一度や二度ではなかった。
 今だって、こんなところを見られたら何を言われるかわかったものではない。
 新婚なのだから何をしていても、どんな風にからかわれても、ユリウス自身は全く構わないという心境だったが、照れ屋なアリスはエースのあからさまなからかいに顔を真っ赤にして恥ずかしがった。彼女が嫌がることを許容するわけにはいかないし、あんな顔を他人な見せてやるのは勿体ない。
 ユリウスはすぐさまベッドから下りて部屋を出た。
「エース」
 鼻歌まじりに階段を上がってきたエースは、部屋の外で待ちかまえていた彼に気づいて面白そうに口の端を持ち上げた。
「ユリウス、おまえが俺のことをわざわざ外で待っていてくれるなんて……もしかしてお楽しみの最中だったとか?」
 真昼の太陽のように爽やかな笑顔だが、口から出てきたのは下世話な勘繰りだった。
「ってことは中ではアリスが俺に見られたら困るような格好をしているわけか。いやぁ、ユリウスってムッツリスケベっぽい気はしてたけど、最初からあんまり飛ばしすぎるなよ」
「勝手に事実を捏造するな!」
 止めなければどこまでも妄想を膨らませていきかねないので適当なところで遮った。
 屈託なさそうな外見をしているエースだが、中身はなかなかとんでもない男なのだ。放っておいたらそれこそ勝手な想像を巡らせて、しかもそれを事実として思い込んだ挙げ句、
「ユリウスから聞いたけど、こんなことされたんだって?」とか何とか、あることないことアリスに吹き込みかねない。
 賢明な彼女がそんな戯れ言を真に受けるかは別として、機嫌を損ねる可能性は高いだろう。
「ムッツリスケベは否定しないんだ?」
「ムッツリかどうかはともかく、男とはおしなべてスケベなものだろう」
 開き直って言ったユリウスに、彼は違いないと屈託なく笑った。
「それはともかく、今アリスが寝ているんだ。あまり騒ぐな」
「ふぅん、寝てるんだ」
「そうだ」
「裸で?」
「ばっ……、そんなわけあるか!! ちゃんと着ている!!」
「じゃぁ騒がなければ入っても問題ないよな。せっかくだから俺も寝顔見たいし」
 悪びれるでもなく言って脇をすり抜けようとするエースの腕を慌てて掴む。
「何がせっかくだ! とにかく今日は帰れ」
「えぇー、何でだよ? 帰ったら、また迷って次に会えるのいつになるかわからないじゃないか」
「いつでも構わん。急ぎの用事などないはずだろう」
 不満げに唇を尖らせて文句を言われたところで聞いてやる義理などない。
「そりゃぁ確かに急ぎの用事はないかもしれないけど、それがせっかく壮大な旅の果てに訪ねてきてやった親友に言う言葉かよ。酷いなぁ」
「壮大な旅になるのはおまえが好んで脇道や獣道に突っ込んでいくからだろう。それに、訪ねてきてやったなどと恩着せがましく言われる筋合いもない」
 ユリウスはにべもなく言い切ってドアの前に立ち塞がった。
 いかなエースでも自分がこうして立ちはだかっているのでは中に入ることはできまい。
 そうでなくとも今まで幾度かいいところを邪魔されているのだ。とてもではないがこの男に寛大になれる気分ではない。
 ユリウスが機嫌を悪くしている理由はそればかりではなかった。
 いかにもな場面を邪魔されたときはともかく、それ以外のときならば、アリスのエースに対する態度は非常に友好的なものなのだ。エースが――意識的にか無意識でなのかは判然としないが――まるでユリウスを煽るように戯れにアリスに触れたりしても、彼女は全く頓着することなくそれを許している。
 本人はただの友達だと言っているが、その雰囲気は「ただの友達」にしてはあまりにも親密で、それが余計に彼の心を苛立たせていた。
「ふぅん、そんなに俺にアリスを会わせたくないんだ? むきになっちゃって、面白いなぁ。でもそんなにむきになられると、余計に見たくなるのが人情ってものだよな。ユリウスが独占したいって思うほど可愛い寝顔なら尚更。ね、アリス」
 エースはにこにこ笑いながらユリウスの背に向かって話しかけた。
 いつの間に起きてきていたのか、細く開けたドアの隙間からアリスが居心地悪そうな顔を覗かせているのを見て、彼は自己嫌悪で頭を抱えたくなった。
 せっかく気持ち良く寝ているのだから起こしたくない、煩わせたくないと思っていたのに、その自分がドア前でこんなに騒いで起こしてしまったのだとしたら本末転倒と言えるだろう。
「ユリウス、私は平気だから、ちょっとくらい入れてあげれば?」
 まだどこか眠さの残る声で言いながら、彼女は何の躊躇いもなくドアを開けようとした。
 それを慌ててユリウスが防ぐ。
「ユリウス?」
 驚いたようにちょこんっ、と小首を傾げる様は実に可愛らしい。が、だからといって安易に絆されてしまうわけにはいかない。
「エースを中に入れるというなら、まず上に何か着ろ」
 あのまま起きてきたのだというなら、アリスはいつものネグリジェ姿のままのはずだ。
 彼女自身はあまり頓着していないようだがあれは露出度が高い。
 剥き出しの肩や細い手足が少女と女の境目にいる彼女の危うい色気を醸し出していて、男の理性を呆気なく瓦解する服装なのだ。こんなことを口に出したらそれこそムッツリスケベの烙印を他ならぬアリス自身から受けることになるだろうから絶対に言わないが。
 とにかくそんな姿をエースなぞに見せてやる謂われはない。
 既に何度か見られてはいるのだが、これ以上のサービスをしてやる必要はないという意気込みで言ったユリウスだったが、アリスは不満げに顔を顰めて、
「……ユリウスってば、年頃の娘を持つ口うるさいお父さんみたい」と呟いた。
「おまえに恥じらいがないからだろう!」
 思わず脱力しかかって反論したら、鼻先で力いっぱいドアを閉められた。
「恥じらいがなくて悪かったわね!」
 間髪入れずに返ってきた感情的な声音で自らの失言に気づいたが時すでに遅しだ。
「あははっ、相変わらず尻に敷かれてるなぁ」
 明らかに面白がっている口調で追い打ちをかけられて苛立ちがいや増した。
「それもこれも、元はといえばおまえのせいだろう! いいから今夜はとっとと帰れ!」
 やつあたりと言われようが最早どうでもいい心境で怒鳴り散らして、ユリウスは自称親友の男を階段から突き落とさんばかりの勢いで追い返した。

 その後、時計塔の主は、すっかりへそを曲げてしまった可愛い妻への機嫌取りに勤しむこととなった。
 こんな風に惚れた女に振り回される日常も悪くないなと胸の片隅で思いながら。








ラブレボの原稿が煮詰まっていたときにリハビリがてら勢い任せに書いたものです。
私の中で、時計塔のエースというキャラは、ユリウス×アリス←エースというよりは
ユリウスの反応が面白くてちょっかい出してるといったポジションなのです。
ですので、たぶん今後も時計塔絡みのエースはこんな役どころのものばかりになるかと!

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