ハンドクリーム

Presented by Suzume


「火原の手、ガサガサだね」
 次の時間に提出する課題を写させてもらっていた火原和樹は、シャープペンシルを滑らせる手を止めて友人の言葉に目を丸くした。
「手?」
「うん。節のところ、少し傷になってる」
 指を差されて自分の手に目をやって、火原は「あぁ」と苦笑した。
「俺、冬はダメなんだよね。アカギレっていうんだっけ? しょっちゅうこんな感じになっちゃうんだよ」
 他にも乾燥のせいで背中や手足が痒くなったりする。いわゆる乾燥肌というやつなのだ。
 照れた様子で頭を掻いたら、柚木は呆れたように肩を竦めて、ポケットから携帯用のハンドクリームを取り出した。
「それなら尚更気をつけないといけないだろう? はい、これ塗りなよ」
「大丈夫、大丈夫」
 女の子ならともかく、手荒れを気にするなんて自分の柄じゃない。
 火原は笑って返そうとしたが、柚木はますます呆れたように深く溜息をついた。
「何? 俺、何か変なこと言った?」
 親友の様子に、火原はきょとんっ、として小首を傾げた。
「火原、君はその手で何に触れるの?」
「……トランペット? あぁ、まぁ細かい傷くらいはついちゃうかもなぁ。でもそういうのならもういっぱいあるし、手の平の方は切れてないからそんな神経質にならなくても平気だろ?」
 これが香穂子のようにヴァイオリンとかならもう少し気を使うべきかもしれないけれど、自分の楽器はそんなにヤワじゃない。
 それに、手の些細な傷で演奏に支障を来たすような楽器でもない。
 火原の返答に、柚木は軽く目を伏せた。そして、しょうがないなと言うようにもう一度深々と溜息をついて、彼の前の席に腰を下ろした。その席の主は今日は欠席しているから特に気兼ねする必要もない。
「僕の言い方がまずかったようだね。じゃあ質問を変えるよ。君は、その手で、誰に触れるんだい?」
 一字一句区切るように言われて、火原は思わず自分の手を見た。
「誰にって……」
 柚木の言葉でまず真っ先に思いついたのは香穂子だ。
 一学年下の、普通科の女の子。
 明るくて、朗らかで、いつも火原に元気を分けてくれる大切な少女。
 最近になってやっと、良い先輩後輩から一歩前進して、手を繋いで帰るくらいの仲になった。
 彼女の手の柔らかな感触を思い出して微かに頬を赤らめた火原に、柚木は口元に笑みをたたえて目を細めた。
 少しだけ人の悪い微笑みだったが、幸い、鈍い火原は気がつかない。
「そんな手で日野さんの手を握ったら、彼女まで傷だらけになってしまわないかな?」
「あっ!!」
 火原は親友の指摘に弾かれたように顔を上げた。
 締まりのなかった表情が一転して青ざめる。
 自分の手が彼女を傷つけるだなんて、全く思ってもみなかった。
「ど、どうしよう」
 途方に暮れた様子の火原に、柚木は吹き出しそうになった。
 まるで主人に叱られた犬のようだ。
 もしも彼に獣の耳や尻尾があったなら、きっとぺたんっと垂れてしまっていることだろう。
「だから、はい、ハンドクリーム。傷になってるところはちゃんと傷薬を塗った方が良いだろうけど、そうじゃないところはこれで予防できるだろう」
「柚木……おまえってほんとイイ奴だな!」
 火原は全開の笑顔でそう言って、有難く親友の厚意を受け取ったのだった。


 帰りに手を繋いだとき、香穂子はあることに気がついて、
「あれ?」と呟きを洩らした。
「どうしたの?」
 香穂子の呟きを耳ざとく聞きつけて火原が尋ねる。
 彼女はちょこんっ、と小首を傾げて、
「先輩の手、今日は何だかすべすべですね」と答えた。
 昨日まではもっとガサガサしていた。
 節なんかささくれみたいな傷があったのに、それもずいぶん軽くなっている。
「うん、柚木に言われてクリーム塗ったんだ」
 火原は香穂子の言葉に笑顔で言った。
 きっと彼女も心配してくれていたのだろう。
 柚木の言う通りにして良かった……と思って心の中で親友に感謝する。
 しかし香穂子は少しばかり複雑な表情で、小さく「ちぇっ」と洩らした。
「え? あれ? どうかした?」
「いえ。せっかく和樹先輩にって思ってハンドクリーム買ってきたのに、無駄になっちゃったなって思って」
 香穂子はそう言って、微苦笑を浮かべて肩を竦めた。
 証拠のように、彼女はポケットの中から手の平に収まるサイズのチューブを取り出した。キャップの部分には可愛らしくリボンまで巻かれている。
「そっ」
「え?」
「そんなことない!!」
 火原はものすごい勢いでそう言って、両手で香穂子の手ごとハンドクリームを握りしめた。
「和樹先輩……」
「無駄なんかじゃないよ! 香穂ちゃんの気持ち、すっごく嬉しい! だってそれ、俺のために買ってきてくれたんでしょ!?」
「は、はい」
 気圧されたように頷く香穂子に、火原はますます嬉しそうに顔を綻ばせて、握った手をぶんぶんぶんっと上下に振った。
「どうしよう、俺、すっごく嬉しい! 香穂ちゃんが俺のこと心配してくれたのも嬉しいし、俺のためにってハンドクリーム選んでくれたのも嬉しい!」
「そ、そうですか」
 勢いに押されながらも香穂子は何とか微笑んだ。
 彼が自分の厚意を喜んでくれたというのは、香穂子にとっても嬉しいことだ。
「じゃあ、先輩、改めて受け取ってくれます?」
「うん! 家宝にするよ!」
「いえ、あの、普通に使って下さい……」
 満面の笑みで言った火原に、香穂子は苦笑しながら突っ込みを入れた。


 その日も、そのまた次の日も、夕焼けに照らされた2人の手はしっかりと繋がれていたのだった。








Suzume初、金澤×香穂子以外のカップリング話です。
原稿の息抜きに書いた代物で、元ネタはみずき姐さん提供です。芸のないタイトルですみません(汗)
火原先輩はとてもパワフルで、書いているこちらも楽しくなってきてしまいました。
たぶん柚木先輩は、火原先輩のためにハンドクリーム買ってる香穂子ちゃんを見ていたのでしょう。
密かに2人の仲を邪魔しているのではないかと思われます。
でも火原先輩は純粋なのでそんな陰謀には全く気づきません。
ああ、バカップル万歳!(笑)

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