Happy Happy Birthday Presented by Suzume
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放課後、いつものように音楽準備室を訪ねてきた香穂子が、いつになくそわそわと落ち着かない様子なのには気づいていたが、金澤は特に何を言うでもなく、自分の仕事に勤しんでいた。 いくら担任を持たない気軽な身とはいえ、教師というやつは学期末が近づけばいろいろと忙しくなる。 期末試験の準備などがその最たるものだ。 おまけに卒業式も近いからそれに関する雑用その他を言い付かってもいる。 大っぴらにできない関係なぶん、せめて一緒にいるくらいはしてやりたいと思うし、自分だって少しでも側にいたいとは思う。 けれど、愛する少女に目の前でちょろちょろされては気が散ってしまうというのも否めない事実だ。 気が散るというのは言葉が悪いかもしれないが、集中力が続かないのも、それによって仕事の能率が下がってしまっているのも、紛れもなく彼女のせいに他ならない。 少なくとも、こちらをチラチラと窺っている視線だとか、彼女が動き回る度に翻るスカートの裾などがやけに目につくのは、決して自分のスケベ心のせいばかりではないだろう。 「お前さんなぁ、用があるんじゃなければ今日はよそへ行ってくれないか?」 金澤は肩を竦めて溜息混じりに言った。 「あっ、邪魔ですか?」 初めて気づいたように香穂子が目を丸くしたものだから、思わず苦笑が漏れた。 「普段なら、まぁ気にならんがな。今日はこれから試験問題を作ったりするからさ。いくら普通科で俺の担当外とは言え、さすがに生徒の前で問題を作るわけにもいかんだろう」 「そっか。そうですよね」 彼女は金澤の言葉に頷いて、少しだけ淋しそうに微笑んだ。 そんな顔をされたら「気にするな」と言いたくなってしまうが、仕事の進捗状況を鑑みたらそうも言っていられない。 金澤は仕方なく、 「すまないな」と言って彼女のためにドアを開けてやった。 「先生」 ヴァイオリンケースを抱えて部屋を出ていこうとした香穂子が、くるりと振り返って大きな目で見上げてきた。 「どうした?」 「明日の朝、少し時間もらえませんか?」 ちょこんっと小首を傾げ、意志の籠もった瞳でまっすぐに見つめられて、らしくもなく鼓動が早まる。 頼むから、そんな目で見てくれるな……と心の中で呟いて、彼はわざと面倒臭そうな風を装って頭を掻いた。 「朝って何時だよ?」 もしかするとこんなポーズすら彼女にはお見通しなのかもしれない。 ふとそんな不安に駆られたが、幸い香穂子は彼の心情など全く気づいた様子もなく、 「何時がいいですか?」と聞いてきた。 「何時って言われてもなぁ……」 言いながら、金澤は頭の中で翌日の予定を思い出した。 職員会議はないし、科目担当の先生方で行うミーティングもない。 「少しってどのくらいだ?」 「10分か15分くらい……かな?」 「じゃあ8時には学校にきてるから、それでどうだ?」 「はい、じゃあ8時にここにきますね」 香穂子はそう言って、軽やかな足取りで準備室を出ていった。 彼女の瞳が悪戯を企む子供のそれみたいに光っていたのには敢えて気づかない振りをして、金澤は廊下の向こうに消える後ろ姿を見送った。 何をするつもりかは知らないが、お手並み拝見といった心境だ。 我知らず微笑みを浮かべながら、金澤の意識は自分の仕事へと戻っていった。 翌朝、約束より少し早い時間に準備室についた金澤は、既にきていた香穂子を見て口元を綻ばせた。 彼女はドアに背を預けて、寒さのためかコートのポケットに手を入れていた。 鞄とヴァイオリンケースが足下に置いてあるところを見ると、教室には寄らずに直接ここへ来たらしい。 「おはよう、日野」 声をかけると、香穂子はハッとしたように顔を上げて 「おはようございます、先生」と笑顔で答えた。 「今開けるから、ちょっと待ってろ」 ポケットから鍵の束を出してガチャリとやってからドアを開ける。 昼間はだいぶ春のような陽気の日も増えてきたが、朝はやはり冷えるものだ。準備室内はいつもと同じく冷たい空気に満たされていた。 ヒーターのスイッチを入れたがどうせすぐには暖まらないだろう。 金澤は部屋の隅から小型の電気ストーブを持ってきて、そちらのスイッチも入れた。 部屋が暖まるまでは毎朝これで凌いでいる。金澤の私物だ。 「そんなのあったんだ」 毎日のように訪れている香穂子も、このストーブの存在には気づかなかったらしい。日中は殆ど使っていないのだから無理もない。 「朝だけな」 スチールの椅子を持ってきてストーブの前に置き、手招きして座らせる。 どれくらい前から待っていたのか、椅子を勧めたときに触れた髪はやけに冷たかった。 「時間通りに来てりゃもう少し部屋もあったまってただろうに」 しょうがない奴だな、と頭を撫でてやると、彼女はくすぐったそうに首を竦めた。 自分も椅子を持ってきて彼女の隣に座り、胸ポケットから煙草を取り出す。 火を点けて、携帯用の灰皿を出すと、彼女は「あっ」と言って小さく笑った。 「まだ使ってくれてるんですね」 「当たり前だろ。禁煙は守れてないがな」 茶化して言ったら、香穂子は声を上げて笑った。 それから意を決したような表情でポケットに手を入れて、何かを取り出して金澤に差し出した。 それは手の平に乗るくらいの小さな包みだった。 黒い包装紙に金色のリボンで彩られている。 いかにもプレゼント然としたそれに、金澤は目を瞬かせて香穂子を見た。 「何だ?」 「何って……プレゼントです」 「プレゼント?」 目を丸くして聞き返した金澤に、今度は香穂子が驚いたような顔をした。 「え、だって今日誕生日ですよね?」 「え?」 金澤は反射的に腕時計を見て日付を確認した。 デジタルの表示は「3/1」を示している。確かに自分の誕生日だ。 実のところ金澤にとって誕生日というのは別に特別なイベントではなく、だからすっかり失念していたのだ。 ここ数年の誕生日といえば、せいぜい当日の夜になって妹から「おめでとう」と電話が掛かってくるくらいだ。 たまに気を利かせた生徒がプレゼントを持ってくることもあったが、大抵は言われるまで忘れていたりするのだ――例えば今日みたいに。 一緒に祝ってくれる親密な女性がいるわけでもなかったし、また誰かに祝ってほしいと思うようなこともなかったのだから無理からぬことと言えよう。 そうして、彼はここで初めて、昨日香穂子の様子がおかしかった理由に思い当たった。 きっと、プレゼントを何にしようかとか、どういうタイミングで渡そうかとか、彼女なりにいろいろ考えてくれていたのだろう。 そう思ったら可愛いやら微笑ましいやらで、何だか少しくすぐったくなってくる。 「そうか、わざわざ用意してくれたのか」 金澤は思わず呟いて目元を和ませた。 「ね、開けてみて?」 無邪気な様子で言う香穂子に頷いて、金澤は早速包みを開けた。 出てきたのはシルバープレートがついたキーホルダーだった。至極シンプルで、ファッションはもとより性別をも選ばないデザインだ。 惚れている女からの贈り物であれば何でも嬉しいものだが、身に付けられる物ならより一層嬉しい。いつでもどこでも持ち歩いて、それを見る度に彼女を思い描くことができるからだ。 「ありがとうな」 視線を向けると、頬を微かに染めた香穂子が照れくさそうに微笑んだ。 他の面々に見せるものとは全然違う、金澤だけに見せる極上の笑顔だ。 「それ、イニシャルが刻んであるんです」 香穂子は内緒話のように声を潜めてそう言った。 言われてシルバープレートを見てみれば、目立たないながらも確かにイニシャルらしきアルファベットが刻まれている。 だがしかし、金澤は刻まれたイニシャルを見て、 「おいおい、イニシャルだったらKじゃなくてHだろ」と苦笑した。 しっかりしているようで肝心なところが抜けている。 そういうところもまた可愛いと思ってしまうのは惚れた欲目だろうか。 対する香穂子は、笑われてふくれるかと思いきや、逆に悪戯っぽく微笑んだ。 「じゃーん!」 そう言って、香穂子が鞄から誇らしげに取り出したのは携帯電話だった。 よく見ると自分が手にしているキーホルダーと似たようなデザインのストラップがぶら下がっている。 「そのイニシャルは香穂子のKなんですよ。私の方にはHって入ってるの」 「エッチだからか?」 「違います!!」 今度こそ頬を膨らませた香穂子に金澤はしてやったりとばかりに破顔して、それから、 「なるほどな」と呟いた。 好きな相手のイニシャルが入った物を持ち歩く――いかにも高校生の女の子が考えそうなことだ。 「一応ペアだけど、これだったら一見してすぐにそうだって気づかれないと思ったんです。イニシャルが入ってるのだってよく見なきゃわからないし、指摘されたって苗字のイニシャルと一緒だから誤魔化せるし……」 言い訳がましく口の中でモゴモゴ言いながら、香穂子は上目遣いに金澤を見た。 「駄目ですか?」 本人にはそんな気はないのだろうが、潤んだような瞳でそんな風に見つめられては、朝っぱらから変な気分になってしまうではないか。 金澤は負けたとばかりに溜息をついて、 「駄目だなんて言ってないだろう」と彼女の頭を乱暴に撫でた。 ここは神聖な学び舎で、今の二人は教師と生徒だ。 呪文のように何度も自分に言い聞かせて、なんとか自制心を掻き集めた金澤に、しかし香穂子はどこか不満げな様子で唇を尖らせた。 「もう、すぐそうやって子供扱いするんだから」 そりゃあ仕方ないだろう。 目の前に惚れた女がいるというのに、キスすることはおろか、抱き締めることすらできないのだ。こんな生殺しのような状況、子供扱いでもしてあしらわなきゃ、自分の中に沸き上がる衝動など到底抑えきれまい。 けれど彼女はそんな金澤の苦労などは露ほども気づかず、まるで誘うかのように無防備な姿を晒してくれるのだからたまらない。 金澤は胸の内で呟いて嘆息した。 「子供扱いされるのは嫌か?」 すっかり短くなった煙草を揉み消してチラリと視線を向けると、彼女は少しだけ悔しそうな顔で首を振った。 「悔しいとは思うけど、嫌じゃないです」 「じゃあいいじゃないか」 「でもやっぱり嫌」 「どっちだよ」 笑いながら聞いた金澤に、香穂子は真剣な目をしてまっすぐ見上げてきた。 またこの目だ。 挑むような、誘うような、金澤の情欲を煽る目だ。 「子供扱いしてからかわれるんならいいけど、はぐらかされるのは嫌」 おいおい、勘弁してくれ。 せっかく抑えた感情が、彼女の目と言葉でむくむくと頭をもたげてくる。 一度火が点いてしまった情欲はもう消すことは困難だった。 金澤は素早く周囲の状況を計算した。 オーケストラ部の朝練はない。 そもそもこんな朝早くから準備室に来るような生徒はいない。 音楽科の先生達がここにくることは滅多にない。 そこまで考え、金澤は徐ろに立ち上がって、大股でドアに近づき施錠した。 「先生?」 「5分だけ……いや、3分だけ、教師だってのを忘れることにする」 目を瞠った香穂子の頬を両手で覆って、金澤はふわりと桜色の唇に口づけた。 啄むようなキスはいつしか濃厚な口づけへと変わり、それに従って白衣を掴む香穂子の手に力が籠もっていった。 充分に甘い唇を堪能してから、名残惜しい気分でゆっくり解放してやると、香穂子は頬を上気させて微笑んでいた。 もしかして、乗せられてしまったのかもしれない。 急にバツの悪い思いが押し寄せてきたが、やってしまったものは仕方がない。 「さて、そろそろ職員室に戻らんとな」 香穂子から貰ったキーホルダーに準備室の鍵を付け替えながら、金澤は照れ隠しのようにそう言った。 「ねぇ先生」 「なんだ?」 「ありがとう」 香穂子はそう言ってにっこり笑った。 キスが嬉しかったのだろうか。 そう思って瞬きをひとつした金澤に、香穂子は、 「生まれてきてくれて、ありがとうございます」と微笑みを深くして言った。 誕生日にこんな言葉を言われたのは初めてだ。 本当に、敵わない。 胸に広がるこの温かい感情を一体どう言えばいいだろう。 金澤は目を伏せて、もう一度香穂子を抱き締めた。 この愛しい少女の存在こそが、自分にとって何よりの贈り物なのだと改めて思う。 「プレゼントも嬉しかったがな、その言葉が何よりの贈り物だ。ありがとう……香穂子」 腕の中で香穂子が笑ったのが伝わってきて、金澤の心にまた一つ温かな火が灯る。 プレゼントももちろん嬉しいけれど、自分にとっては香穂子の笑顔こそが何よりも嬉しい贈り物だ。それが己の腕の中にあるのであれば尚更。 そんなことを口にしたら、気障だと笑われてしまうだろうか。 「先生、お誕生日おめでとう。来年はもっとちゃんとお祝いするけど、今年はこれで我慢してね」 「馬鹿、俺にはこれで充分だ」 そう言って微笑みを交わして、二人はもう一度、どちらからともなくキスをした。 今この瞬間だけは、教師と生徒であることを忘れてもバチは当たらないだろう。 もし神様がいたとして、自分の誕生日を祝ってくれる気があるのだとしたら、あともう少し……ほんの数分くらいはきっと目を瞑ってくれるだろうから。 彼が手にした贈り物は、恋人のイニシャルが刻まれたキーホルダーと、胸に灯った温かな気持ち。 それから、愛しい少女の輝く笑顔と、甘い甘い口づけ。 そうして、この年の誕生日は金澤にとって特別な日になった。 ただ誕生日というだけではなく、愛すべき人に祝われた、幸せで特別な記念日に――。 |
『金澤紘人バースデー企画「金やん缶詰」』様へ参加させて頂いた際に投稿させて頂いたお話です。 そうそうたる顔触れの中で浮いてしまってやしないかとヒヤヒヤしながら書かせて頂きました(苦笑) でも、未熟な身ながら大好きな金澤先生の誕生日を皆様とお祝いすることができて本当に嬉しかったです。 |