Holiday Presented by なばり みずき
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休日の駅前通りは相変わらず人が多い。 立ち並ぶショーウインドウを冷やかしていた香穂子は、視線の先に見慣れた背中を見つけて目を瞬かせた。 いくら人でごった返しているからといっても香穂子が自分の恋人を見間違えるはずもない。街灯の一つに背を預けて腕を組んでいるのは彼――土浦梁太郎に他ならなかった。 自分と同じく学校から徒歩圏のところに住んでいるのだから、最寄り駅の近くで遭遇することは不思議でも何でもないけれど、休日に予想外の場所で会えたのはやっぱり嬉しい。 香穂子は人波を掻き分けるようにして目当ての人物に駆け寄った。 「土浦くん!」 背中を叩いて声をかける。 これで人違いだったら恥かしいことこの上ないが、幸い振り返った顔は思っていた通りのもので、香穂子は知らず知らずの内にホッと胸を撫で下ろした。 「香穂……」 驚いたように軽く眉を上げ、土浦はいつものように苦笑めいた笑顔を浮かべた。 「どうしたんだ、こんなところで」 「買い物。土浦くんは?」 お互い近所に住んでいるのだから『こんなところ』もないと思うが、香穂子は特に気に留めずに笑顔で答えた。 一方の土浦は香穂子の問いに落ちつかなげに視線を彷徨わせて、口の中で何やらぼそぼそと呻いている。 よほど言い出しにくい用件の最中なのだろうかと小首を傾げる香穂子に、彼は一瞬迷ったような素振りを見せたが、やがて諦めたように重々しいため息をついて口を開いた。 「荷物持ちだよ」 「荷物持ち?」 香穂子は目を丸くして聞き返した。 いつもどこか不貞不貞しい態度の土浦を荷物持ちとして従えてしまうだなんて、相手はどこの誰だろう? 少なくとも香穂子には該当する人物の心当たりがなかった。 強いて思い描くなら教師という権力を振りかざした金澤あたりだが、あの何事にも面倒臭がりな音楽教師が土浦を言いくるめて何かをさせるなど考えられない。土浦を使うくらいならもっと扱いやすい人選をするだろう。 あるいは音楽科OBの王崎信武だろうか。彼にあの人当たりの良い笑顔で頼まれたら、いかな土浦でも苦笑しながら従ってしまいそうだ。しかし土浦のこの様子からするとそのセンも考えにくい。 となると、他に思い当たるのはサッカー部の先輩くらいだ。これが一番妥当かもしれない。 数秒の沈黙の間に香穂子はそう結論づけ、「大変だね」と微笑んだ。 「まったくだ」 頷いた土浦の顔が途端に陰鬱なものに変わり、 「ったく、なんだって女の買い物ってのはこんなに長いんだ」 ボソッと低い呟きが漏れる。 冷水を浴びせかけられたような気分で香穂子は傍らの恋人を見上げた。 女の買い物――確かに彼はそう言った。 土浦にとっては無意識の呟きだったのだろう。もしかするとそれが声に出ていたことさえ気づいていなかったかもしれない。 表情を強張らせた香穂子に気づかず、彼は大袈裟に肩を竦めてため息をついた。 「だいたい、せっかくの休みになんだって荷物持ちなんかしなきゃならないんだ」 「そうだね」 動揺しているのを悟られないように、香穂子は努めて明るく相槌を打った。 大丈夫、落ち着いて。 自分に言い聞かせるようにゆっくり息を吸って吐く。 まっすぐな気性の土浦が浮気をするなど考えにくい。きっと相手は部活のマネージャーかなにかだろう。 そう思ってはみても、胸の奥に刺さった小さな棘のような痛みは消えない。恋人である自分だってデートらしいデートなんて数えるほどしかしていないというのに、他の女の子とショッピングだなんて……という気持ちがモヤモヤと広がっていく。 香穂子がそんなことを感じていると知ったら、きっと彼は眉を顰めることだろう。そんな些細なことで嫉妬するなんて面倒な女だと思われてしまうかもしれない。 「じゃあ、私、買い物があるからこれで行くね」 別に嘘はついていない。 自分の中の醜い感情を悟られたくなくて、香穂子は早口でそう言うと、繕ったような笑顔を浮かべて背を向けた。 これ以上ここにいたら自分の中の醜い感情が表面に現れて、彼に悟られてしまうかもしれない。 「え、あ、おい……」 くるりと踵を返して立ち去ろうとした香穂子に、土浦が面食らったような声を上げる。 リーチの差かコンパスの差か、あっという間に腕を取られて、香穂子はその場を逃げ出すのに失敗した。 どうせならもう少し自然に振る舞えば良かったと後悔しても今更遅い。いや、香穂子にしてみれば充分自然に振る舞ったつもりなのだ――演技力が追いつかなかったというだけで。 どうして逃げるように立ち去ろうとしたのか、問い詰められたらどうしよう。 香穂子は微かに身構えながら恐る恐る恋人の顔を見上げる。 怒っているかと思いきや、土浦はただ苦笑しているだけだった。 「おまえ、何か変な誤解しただろ」 「してないよ」 そう、たぶん誤解はしていない。つまらないヤキモチをやいただけだ。 バツの悪い思いで視線を逸らすと、頭上からくぐもった笑い声が降ってきた。 なによ、人の気も知らないで。 悔しくなって唇を噛み締めていると、土浦は堪えきれないというように吹き出した。 「笑うことないでしょ、土浦くんのバカ!」 カッとなって思わず怒鳴る。 周囲の視線が痛かったけれど、この際そんな些末なことには目を瞑ることにした。 睨み付けるように見上げると、彼は笑いすぎて目尻に涙など浮かべながら、小さい子供を宥めるように香穂子の頭をぽんぽんと叩いた。 まったく、誰の所為でこんな思いをしていると思ってるんだろう。 そう思ったらますます腹立たしくなってきて、香穂子は顔を真っ赤にして拳を握りしめた。 こんなことなら、たとえ嫌な顔をされても文句の一つもいえば良かった。 いや、今からでも遅くはない。 こんな風に馬鹿にされて、せめて厭味の一つでも言ってやらなければ収まらない。 もし嫌な顔をされたとしたら「そういう厭味を言わなくても済むように我慢してたのに、言わせたのはそっちでしょ」と逆に文句を言ってやればいい。 意を決して息を吸い込んだ瞬間、 「こら、なに女の子いじめてるのよ!」 颯爽と現れた長身の女性が力一杯土浦の後頭部を叩いた。 突然の闖入者に気勢を削がれて目を丸くする。 スラリとした長身のその女性は、有無を言わさず持っていた両手いっぱいの荷物を土浦に押しつけると、呆気に取られた香穂子を覗き込んだ。 「あなたが香穂子ちゃんね?」 「は?」 「愚弟がいつもお世話になってます」 そう言って笑った彼女の目元は土浦にそっくりだった。並んでいると特に類似点が際立って見える。 「愚弟……って、土浦くんのお姉さんですか!?」 姉がいることは知識として頭に入ってはいたものの、こうして偶然相見えるなんて事態は予想していなかったから、香穂子は大慌てで頭を下げた。 「こっ、こちらこそいつもお世話になってます!」 「やだ、そんなに畏まらなくて良いわよ」 くすくす笑いながら言われて顔が熱くなる。 「あんたは勿体ないくらいのお嬢さんだわね」 「ほっとけ」 ぶっきらぼうな物言いはいつもと同じようなのに、香穂子が今まで見てきたどんな彼とも違っていてどこか新鮮だ。 普段は年齢のわりにどこか大人びた雰囲気を醸し出している土浦も、姉の前ではすっかり形無しで、そこらの高校生と大差ない。 きっと家ではこんな風なんだろう。 今まで知らなかった彼の隠れた一面を覗き見てしまったようで、それは香穂子をなんだか凄く得した気分にさせた。 「なにニヤニヤしてんだよ」 苦虫を噛み潰したような顔で言われても微妙に迫力に欠けていて全然怖くない。むしろ、姉の前で虚勢を張っているのが伝わってきて微笑ましくすら思えてしまう。 慌てて緩んだ頬に手を当ててみたものの、取り繕うだけ無駄な気がした。 だって、土浦の傍らでは、彼の姉が香穂子以上にニヤニヤ笑いながら弟の様子を眺めているのだ。 「ああ、まあねえ……梁だって男の子だもんね、彼女の前では格好つけたいわよねえ」 「姉貴!」 「はいはい、からかうのは家に帰ってからじっくり楽しませてもらうわよ。可愛い弟の恋路を邪魔するほど野暮じゃないから安心しなさい」 バンバンと豪快に背中を叩いて、彼女はカラリと笑ってみせた。 それから、げんなりとしている弟を後目に財布を出すと、そこから夏目漱石を三枚出して彼の尻ポケットにねじ込んだ。 「買い物につきあってくれたお駄賃よ。あとは自分で持って帰るから、あんたは香穂子ちゃんとデートでもしてらっしゃい」 言うが早いか、彼女は今さっき土浦に押しつけた荷物をひょいひょいと取り上げた。 「え? でも……いいのかよ?」 「たまにはお姉ちゃんの言うこと素直に聞きなさいっての。じゃあね、香穂子ちゃん。機会があったら、その時はゆっくりお話ししましょ」 そう言うと、慌てて会釈した香穂子に手を振って、彼女は大きな紙袋を手に颯爽と雑踏の中へ消えていった。 非常に鮮やかで、いかにも土浦の姉といった感じだ。 「格好いいなあ……私もあんな風になりたいなあ」 思わず呟いた香穂子に、 「勘弁してくれよ」 土浦は深々と嘆息しながら肩を落とした。 「あれは外面が良いだけ。別に格好良くも何ともねえよ」 「そうかなあ」 「そうだよ。おまえがあんな風に可愛げのない女になられたら俺が困る」 そんなことないのに、とは思うものの、それを土浦に言ったところできっと否定されるのがオチだろう。 格好良くて、鮮やかで、潔くて。 それはまさしく土浦に感じていたのと同じイメージだ。 だからこそ憧れるし、自分も近づきたいと思うのだが、今の香穂子にはそれを巧く表現できる自信はない。たとえ言葉を尽くしても、ちゃんと伝えられないのなら、今はその時ではないのだろう。 香穂子は曖昧に微笑んで土浦の横顔を見上げた。 「で、これからどうしようか?」 「そうだな。せっかく臨時収入もあったことだし、これで何か旨いもんでも食うか。それで、飯食い終わったらおまえの買い物につきあってやるよ」 「え、いいの?」 女の買い物につきあうのは嫌なんじゃなかったの? 思わず見上げて訊くと、 「服のアドバイスまでは引き受けかねるがな」 土浦は目元を和ませて香穂子の額を指先で弾いて寄越した。 言葉にしなかった部分まで汲み取ってくれるのが凄く嬉しい。 「でも、こんな風にデート出来るんなら、もっとお洒落してくれば良かったな」 照れ隠しのつもりで言った香穂子に、 「それは、次の楽しみに取っておけばいいさ。着飾ったおまえをエスコートするなら、こっちもそれなりの格好をしないと様にならないだろ?」 土浦は目元を優しく和ませて言ってくれる。 確かにその通りかもしれない。 そうして二人は、普段着のまま、休日の街へと繰り出した。 まるで、最初からデートの約束をしていた恋人同士のように。 |
サイトの1周年記念として書いたお話です。 久しぶりのコルダでした(汗) このサイトを立ち上げることになった切っ掛けはコルダだったので、 1周年記念もやっぱりコルダかな〜と。 最近は遙か3ばかりだったので、ちょっと新鮮でした。 |