ランチタイム

Presented by なばり みずき


 昼休みの購買は、飢えた生徒達でごった返していた。
「うわ……」
 香穂子は思わず声を上げて顔を顰める。
 いつもは澄ました顔をしていることが多い音楽科の生徒達までがものすごい勢いでパンやおにぎりの並んだカウンターに殺到している。空腹時の学生の勢いたるや、男女の別なくそれはもう壮絶なものだ。
 普段はお弁当の香穂子だから、こういう光景を目の当たりにすることは滅多にない。
 例えば今日のようにお弁当を持ってこなかった日なども何度かあったが、そういう時は昼休み前の休み時間に予め買っておいたり、購買で買い物がある友達に頼んだりしていたから、こんな凄まじいバトルが繰り広げられているなんて知らなかった。しかし今日に限って移動教室があったり、休み時間に先生から頼まれ事をしたり、忘れていた宿題を友達に写させてもらったりしていたものだから、買いに来ることも、友達に頼んでおくこともすっかり忘れてしまっていたのだ。
 呆気に取られて立ち尽くしていると、
「はい、おにぎりは売り切れだよ!」
 カウンターの向こうから、パートのおばさんの声が聞こえてきた。
 香穂子はその声にハッと我に返ってお財布を握り直した。
 こんなところで挫けていては、お昼ご飯抜きになってしまう。
 6時間目は体育だから、そんなことになったら絶対に放課後まで保たない。
 制服の袖を軽く腕まくりをして果敢に人垣の中に飛び込んだ香穂子だったが、とにかく人がひしめき合っていてあっという間に弾き出されてしまった。
「あっ」
 バランスを崩して踏鞴を踏んだ香穂子の背中を、不意に大きな手が支えてくれる。おかげで無様にひっくり返らずに済んだ。
「大丈夫か?」
 頭上から振ってきたのは聞き慣れた声で、
「土浦くん……」
 香穂子は間抜けな声を上げて支えてくれた人物を振り仰ぐ。
 果たして、そこには普通科のピアニスト・土浦梁太郎の姿があった。
 彼は軽く背中を押して香穂子が自分で立つのに力を貸してくれ、それからふっと目元を和ませた。
「珍しいな、おまえが購買なんて」
「うん、今日はお弁当なくて」
 苦笑して肩を竦める。
 どうしてお弁当がないのか、土浦は訊きたそうにしていたが、それを話している間にパンの方も売り切れてしまうかもしれない。
「ごめん、話は後で」
 香穂子はそう言うと、再び人垣に挑むべく自らに気合いを入れた。
 ちょっと目を離した隙に人垣は更に一回りほど大きくなっている気がする。きっと移動教室などで出遅れた生徒達が詰めかけてきたからだろう。
 この調子では競争率の高い調理パンは無理かもしれない。
 そんなことを思っていたら、ひょいっと財布を取り上げられた。
「えっ?」
「買ってきてやるから離れてろ。何がいい?」
 土浦はそう言うと、自分の弁当の包みを香穂子の手に放って寄越す。
 それを慌ててキャッチして、
「何でもいいけど……あったら調理パン1つ」
「了解」
 人波から押し出されながら何とか伝えた香穂子に、土浦は振り返って頷くと、スイスイと列の中央へと吸い込まれていった。
 無理矢理分け入っていくのではなく、うまく空いた合間を縫って進んでいるのは慣れの問題なのだろうか。
 男子生徒も多い人だかりの中にあっても、背の高い彼の頭は半分ほどがチラチラと見えている。
 あっという間に最前列に到達したらしい彼は、易々と買い物を終えて戻ってきた。
「コロッケパンで良かったか?」
「うん、ありがとう!」
 パンの入った袋と財布を受け取り、代わりに土浦の弁当の包みを返す。
「でも、土浦くん凄いね。私なんて列に入ってもいけなかったのに」
「そうか?」
 いつもは自信に満ち溢れている土浦の表情に、少しだけ照れたような色が混ざる。頬が微かに染まっているように見えるのは気のせいだろうか。
 照れ隠しのように微笑まれて、香穂子の心臓がトクンと大きく脈打った。
 こんな風に不意打ちで無防備な表情を見せられたら、きっと心臓がいくつあっても足りやしない。
 速くなる鼓動を抑えるように、香穂子は持っていた財布をきゅっと握り締めた。
 どうかこのドキドキが彼にバレてしまいませんように……と祈るように思う。
 とにかくこんなところで立ち止まっていても仕方ない。
 香穂子はがなり立てる心臓に急かされてる気分で顔を上げた。
「良かったら、一緒にお昼食べない?」
「え?」
「あっ、もちろん先約がなかったら」
 驚いたように目を丸くした土浦に、香穂子は慌ててそう付け加えた。
 考えてみたら、友達の多い土浦が一人で昼食を摂るだなんて考えられない。きっと友達と待ち合わせかなにかしているのだろう。
 あるいはこれから部室でミーティングがてらの昼食会とか。
 そこまで考えて、香穂子は内心で溜め息をつく。
 約束していたわけでもないのに、一緒にお昼が食べられるかもなんて勝手に期待して、今度は無理な可能性を考えてがっくりしてる。これじゃまるでピエロじゃない。
 一人百面相に突入してしまった香穂子を黙って見ていた土浦は、耐えかねたというようにプッと小さく吹き出した。
「えっ?」
 突然笑われて、香穂子は思わず目を丸くした。
「おまえ、本当に面白いな」
「えっ、何が? どこが?」
「そういうトコ」
 土浦は破顔してそう言うと、指先で軽く香穂子の額を指でつついた。
「え?」
「ほら、行こうぜ」
 何がなんだか解らない気分で見上げた香穂子に、彼はいつもの不敵な笑顔で階段を指差した。
「グズグズしてたら昼休み終わっちまうだろ」
「え……」
「それとも、さっきのは社交辞令か?」
 ニヤリと笑われて、香穂子は今度こそ心臓が壊れるんじゃないかと思った。
 さっきの無防備な表情の非じゃない。
 ズルイよ、そんな笑顔を見せられたら何も言えなくなっちゃうじゃない。
 こめかみの辺りがドクドクいってる。
 きっと顔は真っ赤だろう。
 でも、ここで目を逸らしたりするのは絶対に嫌だった。
 香穂子は赤面してるのを承知の上で、全開の笑顔で頷いて見せた。
「その前に自販機で飲み物買っていこう。パン買ってきてくれたお礼に奢っちゃう」
 こういう思いがけないラッキーを運んできてくれるのなら、たまには購買のパンもいいかもしれない。
 香穂子は笑顔のまま先に立って自販機の方へと向かった。
 バクバクいってる心臓の音にも、火照って熱いくらいの頬にも、気づかないフリで。








「ある昼休みの出来事」って感じのお話です。
土浦くんが妙に別人くさい気もしますが、大目に見て下さい(汗)
なばりは高校は女子校だったのですが、お昼休みの購買はやっぱりかなり殺気立ってました。
なので、いつも3時間目の休み時間までには買いに走ってたものです。
書いていてちょっと懐かしくなりました。

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