Happy New Year

Presented by なばり みずき


 午後11時55分。
 あと5分で、大晦日から、来年の元旦に変わる。
 時間の流れはいつもと変わらないはずなのに、妙に改まった気分だ。
「あと5分で今年も終わりかあ」
 恒例の年越し番組はどこのチャンネルもそろそろカウントダウンの準備に入っている。
 いつもの年と同じように家族と一緒にテレビを見ながら、香穂子は誰にともなく呟いた。
 思えばいろいろなことがあった1年だった。
 リリと出会い、セレクションに出る羽目になり、音楽の楽しさを知って、それから――。
 思い出に身を委ねていた香穂子は、カタンという物音で我に返った。
「ねえ、今、何か音しなかった?」
 香穂子の言葉に、テレビを見ていた両親が揃って耳を澄ますような動作をする。
「気のせいじゃないのか?」
「外を誰かが通ったんじゃない? 初詣でに行く人もいるだろうし」
「そっか。そうかもね」
 香穂子は母親の言葉に頷きながらもどこか釈然としない気分で立ち上がった。
「どうしたの?」
「気になるから、ちょっと外見てくるわ」
「そう? じゃあ、ついでに門の鍵がちゃんと締まってるか見てきて」
「はあい」
 バイオリンを始めてからというもの、どうも聴覚が鋭くなったらしく、よくこんな風に小さな物音を拾う。小さな物音にいちいち反応する娘に最初の頃は気を揉んでいた両親も、今ではすっかり慣れてしまった。
 テレビから聞こえてくる「あけましておめでとうございます」の声を背に、香穂子は上着を一枚羽織って母親のサンダルをつっかけた。いくら夜更かししている家が多い大晦日とはいえ、やはり深夜には変わりないから、極力大きな音を出さないように注意してゆっくりと玄関のドアを開ける。
 そして、香穂子は門の前に見知った顔を見つけて目を丸くした。
「火原先輩?」
「香穂ちゃん!?」
 物音の犯人は彼だったらしい。道理が気が惹かれたわけだ。
「どうしたの、こんな時間に外に出て……」
「物音がした気がして、様子を見に。先輩こそ、こんな時間にどうして家に?」
 びっくりしたのを隠しもせずに訊くと、彼は少しだけバツが悪そうに頭を掻いた。
「年賀状、うっかりしてて」
「は?」
「俺、いつも年賀状って貰った人にしか出さないから、香穂ちゃんに年賀状出すの忘れてたんだよね」
「はあ」
「それで、そのことに気づいたのがついさっきで。だからコンビニ行って年賀状買って、直接届けに来たんだ」
「こんな時間に、わざわざ?」
「うん」
 火原は事も無げに頷いた。
 いかにも思い立ったら即行動の彼らしい。
「もう、先輩ったら!」
 香穂子はたまらなくなって吹き出した。
「え? 俺、何か変なこと言った?」
「だったらメールでも何でもくれればいいのに」
「あ! そっか、メールって手があったんだ!」
 香穂子の言葉に火原は大袈裟に驚いた。
 そして口の中で「あーもう、俺、何やってんだろ」と呟く。
 本音を言えば、香穂子は彼のこういう子供っぽいところも大好きなのだが、それは胸の内にしまっておく。いつだって年上の男として振る舞いたがる彼だから、可愛いなんて言われてもきっと嬉しくないだろうし。
 火原はひとしきり頭を掻いたりしながら悶えていたが、やおら顔を上げると「でも」と口を開いた。
「そのおかげでこうやって今年最初に香穂ちゃんと会えたんだから、結果オーライだよな!」
 そう言って全開の笑顔を浮かべると、彼は手袋を外して両手で香穂子の頬を包む。
 外気でほんの少し冷たくなってきていたから手の温もりが心地良い。
 背の高い彼には、二人を遮る垣根のような門なんて障害物でも何でもないのかもしれない――なんてことをぼんやりと考えていた彼女に、
「香穂ちゃん、あけましておめでとう」
 火原は言うが早いか素早く屈んで口づけた。
 それは一瞬のことで、香穂子はただただ目を丸くして彼を見上げるしかできない。
 突然のことに驚く彼女とは対称的に、火原は悪戯が成功した子供のように得意な顔をして笑っている。
「へへっ、今年はいい年になりそうだな」
 そんな風に悪びれもせず言われてしまったら、不意打ちのキスに抗議することも出来やしないではないか。
 香穂子が文句を言うべきかどうか迷っていると、
「香穂子、どうかしたの?」
 外の様子を見るだけにしてはなかなか部屋に戻ってこない娘を心配したのだろう、ガラリと窓を開けて母親が顔を出した。
「あっ、こんばんは。いや、この場合はあけましておめでとうございます、かな」
 火原はまったく物怖じせず、いつもの調子で香穂子の母親に頭を下げた。
 慌てたのは香穂子の方だ。
 火原と母親は面識があったから今更紹介したりする必要はないけれど、こんな時間に訪ねてくるなんて……と、彼に対する心証が悪くなりやしないかとヒヤヒヤする。
 しかし母親は特に言及することもなく、ふうんと目を細めると、
「もし初詣に行くんならちゃんと暖かくしていきなさいね」
とだけ言って窓を閉めた。
 理解のある母親で助かったと、ここは喜ぶべきなのだろうか。
「お許しも出たことだし、せっかくだからこのまま初詣行こうか」
 火原は香穂子の複雑な胸の内など全く気づかない様子で、いっそ無邪気に微笑んだ。
 彼の笑顔を見ていたら、自分一人がぐるぐると空りしているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
 だって年明け早々に大好きな火原と会えたのは香穂子にとっても嬉しいことだし。
 掠めるように奪われた口唇も、不意打ちだったのを除けば、これもやはり嬉しかったし。
 おまけに母親からは深夜のデートの許可までもらえたのだから、これでむくれるのはお門違いかもしれない。
 香穂子はしょうがないなと言うように苦笑して、
「今、コート着てくるから待ってて下さい」
と言って踵を返した。
 香穂子がコートとマフラーとニットキャップで重装備して戻ると、白い息を吐きながら、火原が全開の笑顔で待っていてくれた。
 そんな些細なことが、どうしようもなく嬉しい。
 神社への道を歩きながら、香穂子はふとあることに気づいて立ち止まった。
「香穂ちゃん?」
「私、まだ言ってなかったですね。先輩、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね」
「もちろんだよ。今年もだなんて言わないで来年も再来年もそのまた先もずっとよろしくしてあげる」
 ああ、もう、本当に先輩には敵わない。
 気負った風もなくそんなことを言われたら、あと少しで彼が卒業してしまうという淋しさもどこかに吹き飛んでしまいそうだ。
 初詣に行ったら、お賽銭をうんと弾んで、神様にお願いしよう。
 今年は、せめて自分が火原先輩に振り回される半分くらいでもいいから、逆に自分も彼を振り回せますように。
 先輩が卒業しても、ずっとずっと一緒にいられますように。
 そして――出来ることなら、来年の元旦も、再来年の元旦も、一緒に過ごせますように。
 香穂子の願いに頷くように、夜空に広がる星々は二人の頭上でチカチカと瞬いていた。








あけましておめでとうございます。
というわけで、お正月ネタです。
実は書いたのはずいぶん前で、しかも途中で止まってました。
あまりに前だったので、すっかり書き上げたつもりでいたのですが
いざ確認したらすごく中途半端なところで止まってたのでお正月に合わせて大慌てて書き上げたという…(汗)

何はともあれ、今年もどうぞよろしくお願いします!

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