義理チョココロネ

Presented by Suzume


「腹減った……」
 タイムカードを押しながら思わずそんな言葉が口をついて出た。
 いつもなら休憩時間に軽く何か食べて持たせるのだが、今日は講義が長引いたため途中で何も買ってこられなかったのだ。
 おまけに休憩時間も何だかんだと忙しくて、何か買ってきて食べるということもできなかった。
 と、正直な腹の虫がせっつくようにぎゅるると鳴った。
 口にしたことで余計に空腹を意識する羽目になったらしい。
 財布もちょっと厳しいし、今日は家で済ませるつもりだったのだが、この調子では家まで持つかどうか怪しいところだ。ここは観念して何か食べて帰った方が無難だろう。
 真咲がそう思ったのと、着替えを済ませたるりがロッカールームから顔を出したのはほぼ同時だった。
「先輩、お疲れ様です」
「おぅ、お疲れ」
「すごいお腹の音でしたね。向こうまで聞こえましたよ」
 彼女はくすくす笑いながらそう言って、鞄の中からがさごそと何かを取り出した。
「はい、良ければどうぞ」
 差し出されたのは透明のビニールに入ったチョココロネだった。去年まではね学の購買でよく見かけていた代物だ。
 そこらのパン屋で売っているのと何ら変わらないはずなのに、真咲は思わず懐かしくなって目を細めた。
 そういえば普通のパン屋で見かけてもこういうパンはあまり買ってない。同じような値段のものならもっと腹持ちの良い総菜パンの方に手が伸びてしまうからだ。
「なんだか懐かしいなぁ」
「そんな大袈裟な。先輩、卒業してまだ1年かそこらじゃないですか」
 真咲はくすくす笑いながら言うるりから袋を受け取った。
「で、なんでこんなもの持ってるんだ?」
「お昼用に買ったのが余っちゃったんです」
「なんだ、おまえ、昼にこんなの食ってるのか」
 こんな菓子パンなんかでよく持つものだと感心して言ったのだが、どうやら彼女は違う意味に捉えたらしい。
「太るって言いたいんでしょ。だから食べ過ぎないように残したんです」
 るりはそう言って拗ねたように頬を膨らませた。
 そういうつもりじゃなかったんだと言い訳しようと思ったが、子供じみた仕草は何だか妙に可愛くて、彼の悪戯心を刺激した。
「そうだな、じゃぁおまえのダイエットに協力するべく、ここはオレが貰っておいてやるか」
 彼は敢えてからかう口調で恩着せがましく言ってみた。
 こんな風に言ったらますます拗ねるだろうと解っていてのことだ。
 小さい子供をからかってしまうような感覚と言うべきか。
 案の定るりはむっとしたように唇を尖らせた。
 きっと彼女のことだから、
「そんなこと言うなら返して下さい」くらいは言ってくるだろう。
 もしかしたら実力行使に訴えてくるかもしれない。
 頭の隅で次の反応を想像しながら様子を窺っていたら、るりは次の瞬間にはその子供っぽい表情を引っ込めて、代わりに悪戯っぽく口の端を持ち上げた。
「はい、どうぞ。明日はバレンタインですしね。お腹を空かせた可哀相な先輩に、1日早いですけど義理チョコとして進呈します」
 彼女はにっこり笑って言ったと思ったら、
「じゃぁお疲れ様でした!」とこちらが反論する間もなく店を飛び出して行ってしまった。
 陸上部に属していると言うだけあってるりの足はとても速い。
 取り残された形になった真咲は、あんぐりして彼女が消えたドアを見つめるしかできなかった。
「一本取られたわね」
 背後からかけられた有沢の言葉が駄目押しになって、彼は思わず肩を落として頭を掻いた。
 身から出た錆とはいえ、るりの口からはっきりと告げられた「義理チョコ」の言葉が胸に痛いほど突き刺さっていた。
 ちょっとからかうだけのつもりだったのに、とんだしっぺ返しを食らった気分だ。
 るりに悪気がないのは百も承知だ。
 こういう方面においてあまりにも鈍い彼女は、真咲が自分を恋愛対象として意識しているなどということは微塵も気づいていないのだろうし、今のやりとりにしたって普段のじゃれあいの延長くらいにしか思っていないに違いない。
 とはいえるりを恋愛対象として見ている彼にとって、お昼の余りを義理チョコとして済ませられてしまったというのは考えていた以上にダメージが大きかった。
 例え安物であろうとも、せめてもうちょっとちゃんとした義理チョコが貰えるだろうと思っていただけに尚更だ。
 いや、もっと言えば密かに期待していた。
 自惚れかもしれないが、最近彼女との距離は縮まっていたように思っていたし、もしかしたら……と心のどこかで思っていた。
「まぁどうせ明日は会えないんだしな」
 真咲は自分の受けたショックを誤魔化すように独白して肩を竦めた。
 るりは明日のシフトに入っていないのだ。
 そう考えれば、このチョココロネはもしかすると最初から自分への義理チョコとして用意されたものなのかもしれないと思えてきた。
「……って、自分で余計に追い打ちかけてどうするんだよ」
「何? 真咲くん、何か言った?」
 事務机で伝票整理をしていた有沢が、彼の呟きに気づいて声をかけてきた。
「いや、何でもない。じゃ、お先に失礼しまーす」
 真咲は自嘲的な気分で笑顔を浮かべて、有沢と店長に挨拶して店を後にした。
 さっきまであんなに騒いでいた腹の虫はもうすっかり鳴りを潜めている。
 そして手に持ったままだったチョココロネの袋を見て肩を竦め、つぶれないように注意してそれを鞄にしまった。
 今はまだ購買のパンを義理チョコとして誤魔化してしまう程度なのかもしれないが、これから少しずつその距離を詰めていけばいい。
「まぁ、気長にいくか」
 相手はまだまだ子供なのだから。
 そう自分に言い聞かせるようにして、真咲は嘆息しながら帰途に就いた。


 その翌日――つまりバレンタイン当日に、るりは手作りチョコを携えてアンネリーを訪れた。
 本命かどうかの確認まではできなかったが、夜更かししたのがありありと解る目から、それがただの義理チョコではないのだろうということは窺えた。
 どうやら昨夜思っていたよりもずっと彼女との距離は詰まっていたらしい。
 一気に浮上した真咲を見た有沢が、
「二本目も取られたのね」と苦笑混じりに呟いたが、それは幸か不幸か誰の耳にも届かなかった。








なばり主催の真咲×主人公同盟のチャットにお邪魔したら
真咲先輩スキーの皆さまの情熱に当てられてネタが浮かんでしまいました。

うちの真咲先輩は、デイジーのこと鈍い鈍い思ってますが、自分も負けず劣らず鈍いです。
傍から見てれば充分に両思いなんですが、本人達だけがそれに気づいていないといった感じなのです(笑)

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