Silent Night Presented by なばり みずき
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12月というのは花屋にとってかき入れ時である。 それは真咲元春のバイト先・アンネリーも例外ではない。 特にクリスマス当日ともなれば戦争のように忙しく、普段は違う曜日のシフトに入っているバイトの者たちまで引っ張り出されるような有様だった。 しかし今年のイヴは連休ということもあって、バイトの者たちの集まりも芳しくない。その結果、助っ人で入っていた真咲や有沢は目の回るような忙しさを体験することになっていた。 「あかり、セロファンの在庫って……」 反射的に言いかけた真咲は、彼女は今日は来ていないことを思い出して苦笑した。 海野あかりがこの店でバイトを始めてもうずいぶん経つ。母校の後輩に当たる彼女は、最初の頃こそ危なっかしい感じがしたものだが、今ではすっかり仕事にも慣れて、こうしてふとした瞬間に頼ってしまうくらい頼もしい戦力に育っていた。 今日はクリスマスイヴだ。 小柄な身体でコマネズミのように動き回る後輩は、きっと今頃、はね学恒例のクリスマスパーティの真っ只中だろう。 数日前、一緒に買い物に出掛けた時に、当日はどんな服を着ようかと頭を悩ませていたのを思い出し、真咲は密かに吐息した。 ブティックであかりが「あれ、いいなあ」と洩らしたのはミニのタイトなドレスだった。 セクシーな雰囲気のそのドレスは確かに真咲の好みだったし、きっとあかりにも似合うだろう。しかし、それを他の男の前で着るのだと思うと、どうにも複雑な気分が拭えないのだ。 独占欲と笑わば笑え。 結局彼女がそのドレスを買ったのかどうかは真咲の知るところではなかったが、何にせよ、せっかくのパーティーなのだからめいっぱいドレスアップして参加しているに違いない。天然で警戒心が低く、男の下心なんてものに全く気づかないあかりは、きっと今頃群がる男共に笑顔を振り撒いているのだろう。 (ああ、もう、やめだやめだ! 今はそんなこと考えてる場合じゃないだろう) 閉店時間まであと僅か。この時間はもう客もまばらだ。 真咲は重い気分を払拭するべく盛大なため息を吐き出して、セロファンの在庫を確認するために裏の倉庫へと足を向けた。 と、来客を知らせるベルが鳴った。 今は店内には真咲と有沢しかおらず、彼女は別の客に対している。 真咲はすぐに営業スマイルを浮かべて「いらっしゃいませ」と振り返った――のだが、そのまま二の句が継げずにぽかんとしたままその場で棒立ちになってしまった。 「こんばんは!」 現れたのはあかりだった。 赤みがかった件のミニタイトドレスを身に纏い、微かに化粧を施した彼女は普段よりずっと大人っぽく見える。まるで知らない女性のようだ。 思わず認めてしまった真咲は、ハッと我に返って、それから取り繕うようにいつも通りの笑顔を浮かべた。 「なんだ、そういうのも似合うな」 笑いながら言って頭を撫でてやると、あかりの頬がほんのりと朱に染まった。 「ありがとうございます」 はにかむように微笑んで礼を言うのがたまらなく愛らしい。 思わず頬が緩みそうになるが、ここでやに下がった顔などしていたら後で有沢に何を言われるか解ったものではない。あともう少しで閉店時間とはいえ、店内にはまだ客がいるのだ、公私混同をするわけにはいかない。 あかりもすぐにそれを察したようで、 「もうちょっとで閉店ですよね? 邪魔にならないよう事務所の方に行ってます」 にこやかな笑顔でそう言うと、するりと奥へと入っていってしまった。 どんなにお洒落をしていても、やっぱりあかりはあかりだ。 真咲は胸に広がる不思議な安堵感に苦笑を洩らしつつ肩を竦めた。 「ありがとうございました」 本日最後の客を送り出し、真咲と有沢はほうっと息を吐き出した。 営業時間を5分ほど過ぎているから、今日はもうこれで閉店作業に入ってしまっていいだろう。 「お疲れ様。真咲くん、今日はもう上がっていいわよ。そろそろ店長も配達に行ってるバイトくんも戻ってくる頃だと思うし」 「そういうわけにはいかないだろ」 「大丈夫。私も真咲くんも今日は臨時シフトで入ってるんだし、早めに上がってもバチは当たらないわ。店長には私からうまく言っておくから」 有沢はそう言うと、視線を奥の事務所へ向けて意味深に微笑んだ。 「こんな時間にあんな格好の女の子を一人で帰すのは心配だもの」 彼女もまたあかりのことを妹のように可愛がっている一人である。 その言葉は実に説得力があって、真咲は遠慮なくその言葉に甘えさせて貰うことにした。 「悪いな」 「良いわよ、今度埋め合わせして貰うから」 笑いを含んだ声に手を上げて応える。 彼はエプロンを外してロッカーへ向かうと、上着を羽織って事務所を覗き込んだ。 「あかり」 「あ、先輩、お疲れ様です。片付け手伝いますね」 「馬鹿、そんな格好で何を手伝うつもりだよ」 社交辞令ではなく、本気で手伝うつもりでいるあかりを窘めて、帰るぞと告げる。 送るというニュアンスを感じ取った彼女は、目を丸くして慌てたように顔の前で手を振った。 「駄目ですよ、先輩まだお仕事終わってないじゃないですか。それにまだそんなに遅くもないし、一人で帰れます」 大きな瞳に強い意志を宿してきっぱりと言いきる。 きっとあかりは自分がどんなに魅力的な容姿をしているか、まるで自覚していないのだ。自分がどんなに扇情的な格好をしているのかさえも。 「有沢の許可も取ったし、今日は臨時で入ってるから大丈夫だよ。ほら、行くぞ」 有無を言わさぬ調子で言って、真咲は彼女の頭を一撫ですると、さっさと従業員用の通用口を出ていった。 後ろからパタパタと足音がついてくるのを確認して、内心でホッと胸を撫で下ろす。 あかりはこれでなかなか頑固なところがあるから、意地を張って一人で帰りかねないとも思ったのだが、どうやらそれは杞憂だったらしい。 助手席のドアを開けて促すと、彼女は至極申し訳なさそうに頭を下げて乗り込んだ。 「考えなしで来ちゃってすみませんでした」 車を走らせて暫くして、あかりは俯いたまま謝罪の言葉を口にした。 店に入ってきた時に見せていた明るい笑顔は鳴りを潜めている。 「気にすんなって。でも次のシフトの時に有沢にはよく礼言っとけよ」 「はい……」 そして再び車内は思い沈黙に包まれる。 こういう時に限って信号に引っ掛かりもしない。 どうしたもんかと思いつつ、 「で、パーティーはどうだった?」 とりあえず話題を変えるべく、明るい調子で水を向けた。 「楽しかったです。食事も美味しかったし、プレゼント交換も面白かったし……」 「そのわりにはあんまり楽しそうな感じじゃないな」 苦笑混じりに茶化したら、あかりが何事かぽつりと呟いた。 「あ? 悪い、よく聞こえなかった」 「先輩がいればもっと楽しかったのにって、そう思って……」 思いがけない科白に、心臓がドクンと撥ねた。 タイミングよく信号が赤に変わり、緩やかにブレーキを掛ける。 窺うように視線を向けると、彼女は何とも言えない微苦笑を浮かべてまっすぐ前を見つめていた。 (落ち着け、元春……) 真咲はハンドルを握る手が汗ばんでいくのを感じながら、ゆっくり自分に言い聞かせた。 きっとあかりに他意はない。 人の心の機微には聡いくせに、こと恋愛に関しては呆れるくらい鈍い彼女だから、そういう色っぽい意味で発言したわけではないのだろう。ここで期待したらした分だけ、あとで馬鹿を見るのは一目瞭然である。 「そうしたら、無性に会いたくなっちゃって、何も考えずにアンネリーに行っちゃったんです。先輩は優しいから、送ってくれるって言ってくれるの、ちょっと考えれば解りそうなものなのに……本当にすみませんでした」 声に反省の色を濃く滲ませて、あかりが再び謝罪の言葉を口にする。 本当に、どうしてこう意味深な科白をポンポンと吐くのだろう。 むしろそっちの方を謝ってほしいくらいだ。 「はい、謝罪はそこまで。次に謝ったらペナルティーな」 真咲はわざと軽い調子で言って、愛しい少女の頭を少し乱暴に撫でてやった。 「……そのドレス」 「え?」 「こないだ見てたやつだろ。すごく似合ってる」 車窓から射し込むイルミネーションに照らされた横顔が綺麗で、ついぽろりと本音が口をついて出てしまった。 こんな口説き文句みたいな科白を、雰囲気に流されて言ってしまった自分に気づいて、急速に恥ずかしさに襲われた。 しかし一度口にしてしまった言葉は戻らない。 どう誤魔化したものかと思っていたら、 「先輩が『似合うんじゃないか』って言ってくれたから、背伸びしてみました」 ちょっと待ってくれ。 そんな自惚れそうな科白を軽々しく吐いてくれるな。 真咲は速まる鼓動にくらくらしながら、何を言ったものかと逡巡した。 そこへ天の助けとばかりに後続車からクラクションが浴びせかけられた。どうやらいつのまにか信号が変わっていたらしい。 あかりの家はもうすぐそこで、結局二人は互いの間に流れる微妙な雰囲気に気づかないフリをして分かれたのだった。 あの時、信号が変わらなかったら――後続車のクラクションに邪魔されなかったら、溢れる想いをぶちまけてしまっていたかもしれない。 そう思うと、ちょっと複雑な気分に陥る真咲なのだった。 |
※無料配布本『Silent Night』より(初出 2006/12/29 コミックマーケット71にて発行) CD-ROMカタログに「真咲×主人公もあるかも?」なんて書いてしまったため イベント前夜に半ば意地で書き上げて無料配布本を作ったのでした。 (2007年1月現在まだ在庫はありますが、どうせ無料配布本だし〜とサイトへのアップ敢行) 3年のクリスマスネタは、あれはあれで好きなのですが、やっぱり1・2年時にも 先輩とラブラブなクリスマスを過ごしたかったなあ……というワケで捏造しちゃいました(笑) |