ため息の理由(わけ)

Presented by なばり みずき


「真咲くん、急な話で悪いんだけど、明日はバイト入れない?」
 バイトが終わって帰り支度を整えていたあかりの耳にそんな言葉が飛び込んできた。
 声の主は店長のものだ。
 ここのところはばたき市界隈では風邪が大流行していて、それはアンネリーでも例外ではない。
 あかりが今日受けた電話の中にはパート従業員からの欠勤の申し出もあったし、他の曜日でもバイトの学生が休んだりして忙しいのだと休憩時間に有沢が零していた。
 恐らく明日はよほど人手が足りないのだろう。店長の困った声の様子からもそれが窺える。
 お人好しな先輩のことだから、特別な用事でもない限り、きっと断ることはしないだろう――たとえそれが自分の誕生日であったとしても。
 壁に貼られたカレンダーに目を向けてそんなことを思っていたら、案の定、ロッカーの向こうから至極あっさりと「いいですよ」という声が聞こえてきた。
(ほら、やっぱり)
 あかりはこっそり苦笑して、今日渡すつもりだったプレゼントの包みをバッグの中へとしまい直した。
 彼の通う大学は知っているが直接押しかけるわけにもないし、残念ながら住んでいるところも知らない。
 だから1日早いけれど今日の内に渡してしまおうと思っていたのだけれど、明日彼がここにくるというのなら話は別だ。
 彼女は悪戯を思いついた子供のような顔で微笑むと、ロッカールームを後にした。


 翌日、あかりは少し離れた場所から店の様子を窺っていた。
 本当は客足が途切れた頃合を見計らって店に行き、さりげなくプレゼントを渡そうと思っていたのだが、今日に限ってなかなかそのタイミングが訪れない。
 人手が足りていないこともあるのだろう、ひっきりなしに訪れる客に、真咲だけではなく店長も忙しそうに立ち働いている。
 とはいえ店の外からこうして中を窺うというのも限度がある。
 とりあえずどこかで時間を潰して、閉店間際の時間帯を狙った方が良いだろうかと思ったところで、不意に後ろから肩を叩かれた。
「どうしたの、こんなところで?」
 振り返った先にいたのは有沢だった。
「店に用事? それとも何か忘れ物でも……」
 優しい笑顔でそう言いかけた彼女は、ふと何かに気づいたように言葉を止めた。
「真咲くんに用事?」
「えっ、あ、いえ、その……」
 突然核心を衝かれたあかりは、咄嗟に言い訳の言葉を探して口をパクパクさせた。
 元々頭の回転は早い方ではないし、弁が立つというわけでもない。
 第一、相手は有沢だ。
 あかりが仮に自信を持って告げられる言い訳を披露したとしても、洞察力の鋭い彼女のことだから、きっとすぐに綻びを見つけて見抜かれてしまうに違いない。
 ちらりと目を上げて盗み見ると、彼女はこちらの心情など全てお見通しだというように余裕の笑みを浮かべている。
 あかりはあっさり白旗を掲げて素直に小さく頷いた。
「その……今日、先輩の誕生日だから……」
 気恥ずかしさから頬が熱くなってくる。
 改めて考えると、何だかとても非常識なことをしているような気がしてきた。
 バイトとはいえ彼は仕事中なのだ。そこへ押しかけてプレゼントを渡すだなんて自分本位で公私混同も甚だしい行為なのではないだろうか。
 喜んでくれるならまだいい。
 けれど、仕事の邪魔だと怒られてしまったら?
 迷惑だと顔を顰められてしまったら?
 考え出したら止まらなくなって、あかりは全身の血が音を立てて引いていくのを感じた。
 急激に襲いかかってくる自己嫌悪の嵐に耐えかねて唇を噛み締めると、ふっと吐息のようなものが聞こえてきた。
 ほら、きっと有沢だって呆れている。
 生真面目な有沢のことだから、こんな身勝手な自分は軽蔑されてしまったかもしれない。
 身を強張らせて怖々と顔を上げたあかりだったが、
「私の休憩はあと10分で終わるわ」
「……え?」
 耳に届いたのは思いも掛けない言葉だった。
 有沢はこちらが思っていたのとは違う、柔らかな笑顔を浮かべている。
「そうしたら交替で真咲くんが休憩に入るから。だから、そのくらいしてからお店にいらっしゃい」
 そうしたら仕事の邪魔にはならないから。
 身を屈め、目線を同じ高さにして告げられた言葉に、思わず目を丸くする。
「あの……怒らないんですか?」
「あら、怒ってほしいの?」
「いえ! そういうわけじゃないんですけど……」
「休憩時間に彼が誰と何をしようと私の口出す問題じゃないわ。でしょう?」
 彼女はそう言ってふわりと微笑んだ。
 その瞳には軽蔑どころか慈しむような色合いが滲んでいる。
 あかりは自分の身体からゆるゆると強張りが消えていくのを感じた。
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして。真咲くん、喜んでくれるといいわね」
 有沢はその言葉を潮に颯爽とした足取りで店へと戻っていった。
 その後ろ姿にあかりはもう一度頭を下げて、あと数分の時間を潰すために隣接しているコンビニへと足を踏み入れた。


「こんにちは!」
 あかりは何食わぬ顔をして正面のドアから店に入った。
 接客中の店長が視線をこちらに向けたのに会釈してから真咲に向き直る。
「お、なんだ、どうした?」
 彼は一瞬驚いた様子を見せたものの、すぐにいつもの笑顔を浮かべてあかりを迎えてくれた。
 温かくて優しい笑顔に微かに鼓動が速くなる。
「えっと……」
 さりげなく、何でもないことのように渡すつもりだったのに、いざとなったら言葉が見つからない。
 鞄を握る手に力を込めて言葉を探していると、
「真咲くん、休憩時間でしょ。ここじゃなんだし、奥で話してきたら?」
 有沢が絶妙なタイミングで助け船を出してくれた。
「そうだな、じゃあ奥いくか」
 彼は特に訝ることもなく頷くと、そのまま奥の事務所へと行ってしまう。
 慌てて後を追うあかりに、すれ違い様に「頑張ってね」と声が掛けられた。
「ありがとうございます」
 小声で返して事務所のドアをくぐると、真咲がエプロンを外して伸びをしているところだった。
 客の目がなくなって気が抜けたのか、何となく眠そうに見える。
 あかりの視線に気づいて、彼はバツが悪そうに苦笑した。
「昨夜レポート終わらなくてな、あんま寝てないんだ」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫。このくらいでへばるほど柔な鍛え方してねえって」
 真咲はからからと笑いながらこちらの心配を一蹴し、
「で、今日はどうしたんだ? 忘れ物でもしたか?」
 からかうような口調でそう訊いてきた。
 気づいていて知らんぷりをしているのか、全く予想していないのか、その表情からは伺い知ることは出来ない。
 これを渡すことで、もしかしたら自分の気持ちまで知られてしまうかもしれないという不安と、気づかれたら気づかれたで構わない――いっそ気づいてほしいという気持ちが胸中でせめぎ合う。
「あかり?」
 黙り込んだ彼女を気遣うように真咲が長身を屈めて覗き込んできた。
 不意打ちで至近距離に顔を寄せられて、それだけで鼓動は早鐘のようだ。
「おいおい、もしかしておまえも風邪か? 顔赤いぞ」
(顔が赤いのは先輩の所為です!)
 心の中で反論しつつも、実際には引き攣った笑みを浮かべて「そんなことないですよ」というのが精一杯で。
 ドキドキと脈打つ鼓動はまるで自分を急かしているようで、用意していたはずの言葉も真っ白に消え去ってしまった。
 たかが誕生日プレゼントを渡すのに、自分はどうしてこんなに意識してしまっているのだろう。
 自分の不甲斐なさが情けなくて鞄を握り直したら、ふと、有沢の「頑張ってね」という言葉と優しい笑顔が脳裏に蘇った。
 これだけ気を利かせてもらって、それを活かせないんじゃただの馬鹿だ。
 あかりはきゅっと唇を引き締めると、意を決して顔を上げた。そして鞄の中から綺麗にラッピングされた包みを取り出し、それを真咲へと差し出す。
「今日は先輩の誕生日だから……プレゼント届けに来たんです!」
 言えた。
 緊張に少し声や表情が強張ってしまったし、頭の中でシミュレートしたようにスマートには渡せなかったかもしれないけれど、自分にしては充分に及第点だ。
 彼は喜んでくれるだろうか。
 ドキドキしながら受け取ってくれるのを待つが、しかし一向にその時は訪れない。
 もしかして迷惑に思われてしまったのだろうか。
 そんな思いが頭をよぎり、あかりは緊張した面持ちでそろそろと目を上げた。
 視線の先には、驚いたように固まった真咲の表情。
「先輩?」
 恐る恐る声を掛けると、彼はハッと我に返って、慌てた様子でプレゼントを受け取ってくれた。
「いや、まさかおまえからプレゼント貰えると思ってなかったから……ちょっとびっくりした」
 照れたように顔を綻ばせて紡がれた言葉に安堵する。
 とりあえず、迷惑だとは思われなかったらしい。
「開けてもいいか?」
「もちろんです」
 間髪入れずに答えると、彼は破顔してプレゼントのリボンをほどいた。
 無骨そうに見える大きな手が、しかし案外器用だということは、バイトを始めて少しした頃に知ったことだ。
 いつもまるで魔法のように綺麗な花束を仕立て上げるその指先が、今日はあかりが施した包み紙を丁寧に剥がしていく。
 オレンジ色が好きだと言っていたから山吹色の包装紙と濃い橙色のリボンを選んだのだけれど、さすがにそこまで気づいてもらおうとは思っていない。
 鼻歌でも歌い出しそうな様子で包み紙を開いた彼は、中から現れたCDのジャケットに子供のように目を輝かせた。
「うわ! おまえ、よくオレが欲しいの解ったな!」
 破顔一笑。
 とびっきりの笑顔で言われて、思いがけず鼓動が撥ねた。
(ちょっと先輩、そんな笑顔いきなり見せるなんて反則ですよ!)
 顔にみるみる血が上っていくのを感じながら、辛うじて「えへへ」と笑って誤魔化した。
 本当は、さらりと「だっていつも先輩のこと見てますから」なんて言おうと思っていたのだけれど、とてもそんな余裕はない。
 続く言葉を失って、反射的に腿の辺りに手をやったあかりは、ポケットの中にもう一つのささやかなプレゼントを持っていたのを思い出した。
「あと、これ! おまけです!」
 押しつけるようにポケットの中のそれを差し出す。
「なんだ、まだあるのか?」
「のど飴なんですけど。風邪流行ってるし、ビタミンC入ってるから……これ食べてバイトもレポートも頑張って下さい!」
 ドキドキドキドキ鼓動がうるさくて、だんだんわけが解らなくなってしまった彼女は、言うだけ言って踵を返した。
「あかり!」
 名前を呼ばれ、反射的に足を止める。
 でも、きっと茹で蛸のような顔をしてるから振り返ることは出来ない。
 そんなこちらの心情を見透かすように、彼はゆっくり歩み寄って、彼女のすぐ後ろに立った。
「ありがとうな、わざわざ。凄え嬉しい」
 低く掠れた声で囁くように言われて胸の奥が締めつけられるように痛んだ。
「こっち向いて、もう一度『おめでとう』って言って欲しいんだけど」
 そんな甘く囁かないで。
 彼にはそんなつもりはないのかもしれないけど、心臓はもう爆発寸前で、このまま死んでしまうんじゃないかと思うくらいなのに。
「あかり?」
 肩に手を置かれて、こちらを覗き込んでくる気配に、もう駄目だと硬く目を瞑った瞬間、
「真咲くん、ごめんなさいね。ちょっと訊きたいんだけど……」
 至極申し訳なさそうな有沢の声が遠慮がちに割り込んできた。
 それによって、二人の間に流れていた微妙な緊張感が、まるで波が引いていくみたいに薄れていった。
「おう、どうした?」
 返事をした真咲の声はもういつもと変わらない。
 あかりはその場にへたり込みそうになるのを何とか堪えて、まだ微かに赤い顔のまま彼を振り返った。
「じゃあ、今日はそれ渡しに来ただけなんで。邪魔してもあれですから、これで帰ります。先輩、お誕生日おめでとうございました!」
 早口でそれだけ言うと、従業員専用のドアから外に出る。
 まるで貧血でも起こしたみたいにクラクラするけれど、こんなところで座り込んでしまったりして、万が一彼に見咎められたら目も当てられない。
 あかりはゆっくり深呼吸をすると、危なっかしい足取りで帰途に就いた。
(願わくば、明日のバイトでは普通の顔して会えますように)
 そんなことを胸中で祈りながら。



 一方の真咲は、事務所の一角で、複雑な心境で剥がした包み紙を畳んでいた。
 プレゼントの中身といい、ラッピングの色味といい、あの可愛い後輩は実に的確に自分の好みを把握してくれている。
 それだけでも期待してしまいそうだというのに、風邪でも引いたのか、それともそれほど外が寒かったのか、あんな風に顔を赤らめて渡してくるのだから本当にタチが悪い。
「普通の男なら間違いなく誤解してるトコだぞ、ったく」
 思わず呟きを洩らした彼に、有沢が何とも言えない視線を投げて寄越した。
「何だよ?」
「別に、何でもないわよ。ちょっとお気の毒だと思っただけ」
「あー、はいはい、どうせオレは勘違い野郎ですよ」
 肩を竦めて独りごちる。
 貰ったプレゼントを大切そうにしまう真咲の後ろで、有沢がそれはそれは深いため息を吐いたが、その理由は彼の知るところではなかった。








なばり主催の真咲×主人公同盟で開催していた真咲先輩誕生日企画で発表した作品です。
ここから下のコメントは企画にて掲載した時のままとなっております。

真咲先輩、お誕生日おめでとうございます!
せっかくの誕生日だというのに、あんまり幸せにしてあげられなくてごめんなさい。
とりあえず、あと2年は焦れ焦れして下さい(笑)
大好きな先輩に、そして真咲×主人公好きな皆々様に幸多からんことを!

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