嘘も方便?

Presented by Suzume


 春休みに入って十日あまり。
 るりはうららかな陽気に誘われて外出した。
 公園通りは平日だというのに思った以上に賑わっていた。
 今年は桜の開花が早かったから、花見をしに親子連れや学生などが連れ立って訪れているのだろう。
 桜は殆どがまだ五分咲きくらいだが、花見客達はそれぞれレジャーシートを広げたりベンチを占領したりして春の宴を楽しんでいた。
 そんな様子を眺めるともなく目にしながら歩いていたら、突然後ろから肩を叩かれた。
「天野さん」
 かけられたのは彼女のよく知る声で、振り返った先には果たして若王子貴文の姿があった。
「先生……」
 思いがけない場所で思いがけない相手に会えたことで、るりの心は一気に浮き足立った。
 部活で顔を合わせるのとはわけが違う。
 こうして休みの日に偶然出会えるなんてそうそうあることではないのだから。
 薄紅色の花を背景にして微笑む彼の姿はまるで一幅の絵のようだ。
 髪はくしゃくしゃだし、服装はちょっと冴えなかったけれど、それを差し引いても余りある優しくて穏やかな笑顔は、彼女の心にほのかな甘さを広がらせた。
 友達に言ったらきっと「惚れた欲目だ」と笑われることだろう。
 そんなのは自分が一番よく知っているから、敢えて誰かに言ったりするつもりはない。
「天野さんは買い物ですか?」
「え、あ、はい」
 質問されて一気に現実に引き戻されたるりは、少し慌てて頷いた。
 まさか、先生に見とれてました、なんて言えるはずもない。
 確認する術はないが、今の自分は間違いなく頬が赤くなっているだろう。
 幸か不幸か若王子はそういう点に関してはあまり鋭い方じゃないから、きっと気づかないでいてくれるだろうけれど、それもそれで何となく悔しい。
 僅かばかりの気不味さを抱きながらちらりと見上げたら、彼は微かな苦笑を浮かべてるりの顔をじっと見つめていた。
「先生?」
「もしかして、先生、タイミング悪かったですか?」
「え?」
 問われた内容が今ひとつ理解できなくて、ちょこんっと小首を傾げて聞き返したら、
「実はこれから誰かとデートだったとか。先生、お邪魔虫だったかな」と、とんでもない台詞が降ってきた。
 驚きとショックで口をぱくぱくさせるるりに、若王子はふっと表情を和らげて口の端を持ち上げた。
 きっと今のは彼特有の冗談だったのだろう。
 そう思って、からかわないで下さいと文句を言おうとした彼女だったが、
「天野さん、別に先生に気兼ねすることはありません。実は先生もこの週末にお見合いがあるんです」と、にこやかに言われて続く言葉を失った。
 よくドラマなどで、ショックを受けたときなどに周囲の音が消えるという効果があるが、現実にショックを受けたときにも同じような現象が起こるのだと、るりはどこか他人事のように思った。
 実際には音が遠ざかったわけではないのだが、少なくとも彼女の耳には周囲の雑音は何一つ入ってこなかった。
 さすがに目の前が真っ暗になって自分だけがスポットライトを浴びているような感覚にはならなかったが、心情的にはそんな感じだ。
 若王子とは担任と生徒という間柄だが、実際にはその垣根を越えてデートも何度かしてきた。
 抱き合ったりキスをしたりというような恋人らしいことは全くないプラトニックな関係だが、手を繋いだり腕を組んだりして、二人で何度も外出した。
 一線を越えないのはお互いの立場があるからだと思っていた。
 見つめてくれる眼差しには確かに恋情のようなものがあったように思っていたのに、それは全て自分の独りよがりだったのだろうか。
 デートをしようと言ってくれていたのは、あくまで便宜上の誘い文句であって、他の同級生達より特別扱いしてくれてはいても、所詮歳の離れた友達程度にしか思ってくれていなかったのだろうか。
 考える側から思考はどんどん後ろ向きになっていって、るりは今すぐにもこの場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
 しかし逃げ出したところで、彼が見合いをするという事実が変わるわけではない。
 それに、ここでいきなり逃げ出したりしたら、きっと若王子は気にするだろう。
 いや、気にされるだけならまだましだ。
 もしも、ちょっと親しくしただけで恋人面してつけ上がって鬱陶しい娘だ……なんて思われたりしたら、きっと絶対立ち直れない。
 それなら、どんなにつらくても、聞き分けの良い生徒の顔をして接した方が良いに決まっている。
 そうしたら、少なくとも呆れられたり面倒がられたりすることはないだろう。
 ほんの1〜2分の間に脳味噌をフル回転させてそんな結論に達した彼女は、ぎこちないながらも何とか笑顔らしいものを浮かべてみせた。
「お見合い、うまくいくといいですね」
 頬の辺りは少し引き攣っていたけれど、声は上擦ったりしなかった。
 今の自分の心情を思えば上出来と言って良い。
 でもこれ以上ぼろを出さずに振る舞える自信はない。
 一刻も早く何か適当な言い訳を並べてこの場から立ち去らなくては、ちょっと気を緩ませたら涙が出てきてしまいそうだ。現に鼻の奥は既につんと痛んでいて、目元がじんわりと熱を帯びてきている。
「えぇーと、私、親に頼まれた買い物があるんで、これで失礼します!」
 ちょっとわざとらしい気もしたが、これ以上は誤魔化せそうになかったので、るりは早口でそう言い訳して踵を返した。陸上部で鍛えた脚力なら、走り出してさえしまえば逃げ切れる自信はある。
 しかし三歩と行かずにすぐさま腕を取られて彼女の逃走は呆気なく失敗に終わった。
「天野さん、待って」
「離して下さい!」
 顔を背けたまま、掴まれた腕を振り解こうとしたが、その力は思いのほか強くて外れることはなかった。
 日頃は運動不足で坂道を上がるのもひーひーいってるくらいなのに、こんなときばかりこうやって力の差を見せつけるのだからたちが悪い。
 彼は暴れて藻掻くるりを難なく引き寄せて、あっさり腕の中へと抱き込んだ。
「駄目だ、ちゃんと僕の話を聞いてくれるまでは離すわけにはいかない」
 頭上から降ってくる声はいつもと同じ優しさと甘さに満ちていて、遂に彼女の涙腺は決壊した。
「離して下さい。先生を困らせたくないの」
 泣き顔を見せないように俯きながら言ったのに、若王子はそんなこちらの気持ちなんかまるで無視して、指の先で頬を伝う涙を拭い取った。
「……しょっぱいですね」
「なに舐めてるんですか!?」
 びっくりして見上げたら、真剣な眼差しがるりをまっすぐ捉えていた。
「ごめん、ジョークのつもりだったんだけど、まさか本気に取られるとは思ってなかった」
「え……?」
「見合いなんて嘘だ。もしそんな話があっても断るよ。僕には心に決めた相手がいるからって、ね」
 彼は優しく慈しむような目をしてそんなことを言い、悪戯っぽく微笑んだ。
 そんな目をしてそんなことを言われたら自惚れてしまう。
「心に決めた相手って……」
 きっと明確な答えは得られないだろうと心のどこかで解ってはいたが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「さぁ、誰のことだろうね?」
 若王子は茶化すように言って笑いながら、思わせぶりに彼女の鼻の頭をつんっと突っついた。
「そんなことされたら自惚れちゃいますよ」
「僕はずるい大人だから、そうやって君を自惚れてさせて、他に目を向けないように予防線を張っているのかもしれない。だから、どう思おうと、それは君の自由だ」
「……ほんとにずるい。そんな風に言われたら、絶対自惚れちゃうじゃないですか」
 自分がどこまでも子供なのだと思い知らされたみたいで悔しかったから、るりは背伸びをして彼の首筋に腕を回して抱きついた。
「こら、またそんなことして……」
 こうして狼狽えたような素振りを見せていたって、本当のところはきっと全然堪えてなんかいないのだ。
 いつだって自分ばかりが空回りして、掌の上で踊らされているような気がしてならない。
「今日は、先生が先にしてきたんですよ。これは仕返しです」
 我ながら素直じゃないなと思いながら、彼女は憎まれ口で返した。
 相手がこちらを子供だと思って侮っているなら、それを逆手にとってやればいい。
 こんな風にぴったり密着してれば、自分の胸の高鳴りは絶対に相手に伝わるだろう。
 そうして、彼にも少しくらいこのどきどきが感染してくれればいい――そんなことをちらりと思う。
 宥めるように背中を抱き返してくれた手が優しかったから、それに甘えてることにして、るりはほっぺたの熱が収まるまで抱きついた腕を離さなかった。

「お見合いの話が嘘で安心した?」
 暫くして、二人は空いたベンチを見つけて腰を下ろした。
 感情的な波が落ち着いたら、急に忘れていた羞恥心が蘇ってきてしまった。
 居たたまれない気分で足元ばかり見つめていたら、若王子がそんな質問をしてきた。
 解っているくせにわざわざそんなことを聞くあたり、意地が悪いとしか言いようがない。
「そりゃぁ安心しましたけど……ああいう嘘はジョークとしてはたちが悪いと思いますよ」
 拗ねたように唇を尖らせて文句を言ったるりに、彼は、
「だって、エイプリルフールって嘘を吐く日なんでしょう? すぐに見破られてジョークで終わると思ってたのに」と微苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「エイプリルフール……」
 彼女は思わず繰り返してしまった。
 確かにエイプリルフールは――他所の国ではどうか知らないが、少なくとも日本では――大っぴらに嘘を吐いて許される日ではある。
 だがしかし。
「先生、今日は3月31日です」
 そう、それはあくまで4月1日に限った話のことであって、たとえ半日であろうともフライングしてしまったらその効果は得られない。
「え? あれ?」
 若王子はその言葉に慌てた様子で目を瞬かせた。
 るりは大仰に溜息をついて携帯電話を取り出し、デジタル表示されたカレンダーの日付を黄門様の印籠のようにかざして彼に見せつけた。
「やや、これはうっかりです」
「うっかりです、じゃないです。騙されて振り回されたこっちの身にもなって下さい」
 ぷぅっと頬を膨らませて睨み付けた彼女に、若王子は暫し困った顔をしていたが、不意に妙案を思いついたように、ぱぁっと顔を輝かせた。
 そして内緒話をするようにるりの耳元に口を寄せて、
「じゃぁ、お詫びに何か御馳走しますから、週末にデートでもしませんか?」と囁いた。
 彼女が二つ返事で頷いたのは言うまでもない。

 もしかしたら、実はこの誘いこそが彼の元々の作戦だったのかもしれない。
 真実を知るのは若王子自身と神様だけである。








DS版のおかげで(というか、某Yズキさんのおかげで)すっかり若王子×主人公萌えが再燃し、
ものすごーく久しぶりに書きました。

DS版で突っつきまくったときの先生の慌てぶりは大好きなのですが
果たして大人の男性が顔や上半身を突っつかれたくらいであんなに狼狽えるものでしょうか?(笑)
大接近モードの何回目かの台詞から鑑みて、チューしてるとかいうわけでもなさそうですし
狼狽えた振りしてるだけなんじゃないかとか穿った見方をしてしまいます(笑)

そして、若王子先生は敬語からタメ語に変わったときの声のトーンの変化にとても萌えるのであります!!

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