舌に残った甘い味 Presented by Suzume
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部屋で酒を飲んでいたら、不意に足音が近づいてくるのに気が付いた。 足音に重みが感じられないことから平助かとも思ったが、八番組は今夜は巡察の当番で出払っているというのを遅れて思い出した。 平助でないとするなら斎藤か、山崎か。 平隊士の中にも小柄な者は幾人かいるが、ここは幹部隊士の部屋がある棟だ。機密を扱う事情から、出入りが許されている人間は限られているのだからその線は有り得ない。 些か酔いの回った頭でそんなことを考えていたら、足音はこの部屋の前でぴたりと止まった。 「原田さん、よろしいですか?」 そう問い尋ねたのは女の声だ。少年のように意識して低められてはいるが、聞く者が聞けばそれと判る、澄んだ声音に思わず口元が綻んだ。 「千鶴か。構わねぇよ」 鷹揚に頷けば、静かに障子戸が引き開けられた。 薄暗い廊下にはたすき掛けをした千鶴の姿があった。 「どうした?」 夜更けと言うほど遅い時間ではないが、慎み深い少女が男の部屋を訪ねるような刻限ではない。 何かあったのだろうかと思うより先に、畳の上に盆が差し出された。 盆の上には小鉢と小皿が乗っていて、そこには水菜の白和えとちくわの焼いたのが綺麗に盛りつけられていた。量にして一人前といったところか。もっとも、これが新八ならそれぞれ一口でなくなってしまうことだろう。 「これは?」 意図が解らないまま千鶴を見れば、彼女ははにかんだ笑顔を浮かべて、 「明日の朝食の下拵えをするついでに、何かつまみになる物をと思って……」と言った。 お口に合えば良いんですが、と付け足された言葉がいかにも謙虚な千鶴らしい。 「お前の作る物はどれもこれも美味いから、口に合わないなんてことはねぇよ。わざわざ手間かけて貰っちまって悪いな」 手の込んだ料理ではなかったが、それさえもこちらに気を遣わせないための心配りに違いない。よく気の回る千鶴の性格を鑑みれば、そのくらいのことは左之助にも読めようというものだ。 こちらの礼の言葉に、彼女の表情が嬉しげに綻んだ。 「原田さんにはいつもお世話になってますから」 可愛らしく微笑まれ、らしくなく鼓動が速くなる。 そんなはずはない、きっと酒が回ったせいだと自分に言い聞かせながら、彼は未だ廊下で佇んでいる少女を手招いた。 「せっかく来たんだ、少しだけ酒の相手でもしてってくれよ」 「お相手、ですか? でも私、お酒は……」 「ああ、お前が酒は飲めねぇってのは承知してる。でも、酌くらいならできるだろ。一人で飲むのも飽きてきてたとこなんでな、一杯だけでいいから付き合ってくれよ」 重ねてそう言ったら、千鶴は、そういうことならと部屋に入って来た。 無防備なのか、押しに弱いのか、はたまたそれだけ自分を信用してくれているのか、判断に迷うところだ。 「失礼します」 礼儀正しくそう言って室内に入ってきた彼女は、迷うことなく左之助の隣に腰を下ろして、彼の前に盆を置いた。そして近くにあった徳利に手を伸ばし、中身を酒盃へと注ぎ入れる。その所作は男装をしていてさえ妙な色気を伴っていて、思わず左之助の喉が鳴った。 「……? 原田さん?」 ちょこんっ、と小動物めいた仕草で小首を傾げた千鶴はもういつもの彼女だ。そこにはほんの数拍前に垣間見せた艶っぽさなどどこにもなく、いつものあどけない顔があるばかりで、何だか狐にでも化かされたような気分を味わった。 「どうやら酔ってるみてぇだな」 独白しながらじっと千鶴を見つめれば、彼女の頬が見る間に朱く染まっていった。 少女と女の中間、危うげな色香が、風に揺れる灯火の如く揺らめいて、目が離せない。 「あ、あの……原田さん? 本当にどうなさったんですか?」 動揺も顕わに問う様があまりに可愛らしくて、悪戯心が刺激された。 「どうって……可愛い女が俺のために酌をしてくれる贅沢を存分に味わってるんだよ」 「か、からかわないで下さい」 消え入るような声で言うなり、千鶴はすっくと立ち上がった。 「一杯だけということでしたので、今夜はこれで失礼します」 「あ、おい千鶴……」 生真面目な彼女には冗談が過ぎたか、と慌てて止めたが、時すでに遅し。男装の少女は左之助が伸ばした手から逃れるようにするりと部屋から出て行ってしまった。 「すまねぇ、酔っ払いの戯れだ」 片手で拝むようにして詫びの言葉を告げたら、障子を閉めかけた手がふと止まった。 ほんの僅か逡巡する気配が伝わってきたが、しかし、戻ってくる様子はない。 「千鶴」 駄目元でもう一度名前を呼んでみる。 と、障子の向こうから小さな溜息が聞こえた。 「あまり飲み過ぎないで下さいね」 拗ねたような口調の隙間に隠しきれない気遣う色が滲んでいて――左之助は思わず自分の口元を手で覆った。 顔は見せてくれなかったが、今は逆にその方が有難い。 不意打ちで見せられた気遣いに、こんなにも動揺している姿など、どうして見せることができようか。 「それでは失礼します。おやすみなさい」 そう言った後、立ち去っていく足音は逃げ出すような早足だった。 「ありゃ反則だろ、思わず……」 あんまり可愛いこと言うもんだから、思わず抱き締めたくなっちまったじゃねえか。 心中でそう独りごちて、左之助は千鶴が注いでくれた酒を煽るようにして一気に干した。 胸に宿った青臭くも淡い想いごと飲み干すように。 舌に残った酒の味が妙に甘く感じられたのはきっと気のせいに違いない、と言い訳がましく思いながら。 |
相方なばり姐さんのお誕生日祝い用にと書いた原田×千鶴です。 「原田×千鶴、難しいよ! 何回書いても慣れないよ!!」と半泣きになりながら書きました。 纏まりのないお話で恐縮ですが、今の私の精一杯です。 原田×千鶴自体は大好きなのでもうちょっと精進できたらいいなぁと思う次第です。 |