満ち足りない想い Presented by Suzume
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「原田はん」 巡察中、呼び止める声に振り返れば、そこには見知った女の姿があった。島原の座敷で何度か呼んだことのある芸妓だ。風呂敷包みを抱えていることから芸事の稽古か何かの帰りなのだろうということが窺えた。 「これから置屋に帰って座敷か、ご苦労なこったな」 顔見知りの気安さでそう返した左之助に、女は科を作って彼の袖を軽く引いた。 「最近とんとお見限りで……寂しいわぁ」 言われてみればたしかに最近は島原もご無沙汰気味だ。新八が給金を使い切ってしまったためにあまり金のかからない居酒屋で飲むことが多いからというのが本当のところだが、そんな事情をわざわざ明かす義理はない。だから軽い口調で、 「こっちも色々と立て込んでてな」と茶を濁すに留めた。 この手の文句はこういう商売の者達にとっては社交辞令のようなものだ。そこら辺は心得ているからこちらも本気で取りあうことはしないし、相手も同様だろう。 適当にお愛想を言っていなし、 「悪ぃが巡察の途中だからよ、また今度な。気ぃ付けて帰れよ」と切り上げた。 「んもぅ、原田はんのいけず! 今度はきっと逢状下さいね。待ってますえ」 大袈裟に拗ねた素振りを見せる妓の言葉を鷹揚に手を振って受け流し、左之助は少し離れた場所で待っていた隊士達に合流した。 「すまねぇな」 「いえ、ではまいりましょう」 組下の者達が歩き出すのに合わせて彼も槍を携え後に続いた。 と、何やら物言いたげな視線を感じた左之助は、そちらの方へと目を向けた。視線の先では複雑そうな表情をした男装の少女が大きな瞳でまっすぐ彼を見つめていた。 「どうかしたか?」 「……いえ。原田さんは相変わらずもてるなぁと思って」 しみじみしたその声音には感心とも呆れともつかない響きが込められているように感じられた。自惚れを承知で言うなら、拗ねているように見えないこともない。 「あんなのただのお愛想だろ。おまえまで新八みたいなこと言うなよ」 茶化して千鶴の頭を撫でてやったら、彼女は微かな溜息を零して、 「本気でそう思っていらっしゃるんですか?」と、尋ねてきた。 見上げる千鶴の眼差しは思いのほか真剣で、その雰囲気に僅かに飲まれそうになったが、数々の修羅場を潜ってきた彼を気圧すには些か足りない。 まだ面差しに幼さを宿すこの少女が、一体どんな種類の感情を込めてこんな質問を投げかけてきたのかは定かではないが、期待めいた淡い感情が左之助の胸に宿ったのは事実だ。しかし、生憎今の彼はそれを受け入れるつもりはなかった。たとえその予感めいた想いと同じものが自分の胸中に燻っていたとしても、だ。 「それ以外に何があるっていうんだ?」 明らかにはぐらかしにかかった左之助は、彼女の表情が失望に歪むことを覚悟した。失望まではいかずとも、軽い失意くらいは覗かせるだろう。千鶴は己の心の内を隠す術に長けてはいない。 「……原田さんが本当にそう思っていらっしゃるんだとしたら、それでいいんです。差し出た口を挟んですみませんでした」 予想外の切り返しに、左之助は思わず拍子抜けした。 彼女はもうこの話はおしまいとばかりに表情を改めて、こちらに軽く会釈をしてその場を離れ、道行く人に父親についてのあれこれを尋ね歩き始めた。 総司などにからかわれてはすぐに狼狽え、自分がちょっと突つけばすぐ赤くなる、色恋に関してはてんで不慣れなお子様だと思っていたのに、こんなときばかり「女」の目をして何もかも心得たように引き下がる。そのちぐはぐさは左之助をひどく落ち着かない気分にさせた。 「ったく、いつのまにこんな駆け引きめいた技を覚えやがったんだか……」 彼は思わずそう独白して額に手を当てた。 しかしすぐにそれが自分の買い被りだと気が付いて、左之助はますます苦笑を深めた。 当の本人はきっとこれが駆け引きだなどとは露ほども思ってはいないのだ。彼女は彼女なりに、短くない自分達との付き合いの中で、踏み込むべからざる一線というものを察したからこそ、敢えてそれ以上追及することなく引いたに違いない。 屯所に連れられてきたばかりの頃は、何かにつけておどおどとこちらの顔色を窺うばかりの子供だったというのに、いつのまにか千鶴はそういった見極めの付けられる女に育っていたらしい。 実際、蕾が綻んで花開くように、彼女は日ごとに綺麗になっていっていた。 男装をしているがゆえに隊内でその変化をはっきりそうと気付いている者は多くはないだろうが、今の千鶴が娘姿で一人で街を歩いていたら、きっと道行く男の半数以上を振り返らせることができるはずだ。 見かけの成長には気付いていた左之助だったが、知らず知らずの内に心の方も見事な成長を遂げていたということらしい。 「将来が楽しみな娘だとは思っていたが、よもやこんなに早く化けやがるとはな」 誰に言うともなく呟いて、彼は足早に隊士達の後を追った。考え事に沈んでいる内に浅葱色の羽織の群れとの距離はずいぶんと開いてしまっていた。 左之助が一行に追い付いたのと、商人風の男と話をしていた千鶴が戻ってきたのはほぼ同時だった。成果のほどは残念ながら空振りだったらしく、僅かに肩を落としているのが痛ましい。 しかし、当の本人はこちらの気遣いに遠慮するかの如く、 「今日こそは何か成果が得られるかと思ったんですけど、やっぱりそう簡単にはいきませんね」などと、空元気なのが見え見えの笑顔で言ってのけた。 ここで慰めの言葉を吐くのはあまりにも無粋というものだ。 だから彼は千鶴の健気さに報いるべく、敢えて成果には触れず、代わりに道の先に見える茶店を指し示した。 「千鶴、知ってるか?」 「はい?」 「あの店の饅頭、最近評判なんだとよ。ここのところ総司のやつも寝込みがちでくさくさしてるようだし、今日は大坂から近藤さんも帰ってくる。せっかくだから土産にいくつか買って帰らねぇか?」 土方辺りに知られたら、巡回の途中で余計な寄り道をするなとどやされるところだろうが、そのくらいの小言なら日常茶飯事だ。気にするほどのことでもない。 左之助はぽかんとしている少女の手に小銭を握らせて、その華奢な肩を軽く叩いた。 「俺らは巡察の途中だからな、悪ぃがひとっ走り行って、適当に美味そうなのを見繕って来てくれや。あぁ、もちろん千鶴も自分の分をちゃんと買ってこいよ。多めに買ったって、どうせ残りゃしねぇんだ。食べ切れねぇかなってくらいで構わねぇからよ」 「……原田さん……。はい、わかりました」 こちらの思惑を察したのだろう。千鶴は噛み締めるように頷いて、まるで宝物でも押し抱くかのように小さな手で小銭をきゅっ、と握り締めた。 「頼んだぜ」 左之助の言葉を受けて走り出した彼女だったが、二、三歩行ったところで不意に足を止めてこちらを振り返った。 「原田さん」 「ん? どうした?」 「原田さんが女の人にもてる理由、解る気がします。でも、そんな風に誰彼構わず優しくしてたら、きっと勘違いしてしまう人も出てきちゃいますよ」 微かに頬を桃色に染めながら口早にそう言った千鶴は、あとはもう後ろも見ずに駆けて行ってしまった。 「そっちこそ、誰彼構わずそんな可愛い態度取ってたら、惚れられてるって勘違いしちまうやつも出てくるぜ」 聞こえていないのは承知の上で、左之助は囁くように呟いた。 芽生え始めた想いが育つのはもう少し先の話。 二人の心が互いの想いで満たされるのは、そう遠くない未来のこと。 お題:「花涙」さま(選択式お題より) |
「なばり姐さんに発破かけようの会」会員2号Suzumeです(1号は桃瀬嬢) オフライン活動するか迷ってる姐さんへの後押しになればと書いたものでした。 くっつく前で糖度低めなため起爆剤としての効果は期待してなかったのですが その後無事に(?)思い切ってくれたようなので書いた甲斐はあったかと(笑) しかし時期的な問題があったとはいえ、もう少し糖度が出せなかったのかと悔やまれます。要精進、ですね。 |