意地悪

Presented by なばり みずき


「今日はこのくらいにしましょうか」
 弁慶の言葉に顔を上げる。
 薬草を摘むのに夢中になっていたら、いつのまにか空は茜色に染まり始めていた。
 籠はもういっぱいになっているし、灯りもないのに夜道を歩くのは危険だ。
「そうですね」
 望美は彼の言葉に従って立ち上がり、着物の裾についた土を手で軽く払った。
 二人は仲良く肩を並べて、暗くなり始めた道を家へ向かって歩いていく。
 まるでデートみたいだな、と思って望美は顔を綻ばせた。
 ひとたび病人が出たらこんな風にゆっくり薬草を摘んだりは出来ないから、こういう時間はとても貴重なのだ。
「どうしました?」
「えっ?」
「なにかとても嬉しそうなので。よければ僕にも分けて貰えませんか?」
 にこやかに訊かれてつられて微笑む。
「なんか、デートみたいだなって思って」
 望美は何のてらいもなく先ほど思ったことを口にした。
「でーと? また新しい言葉が出てきましたね。どういう意味です?」
 望美が当たり前に口にしてしまう言葉は、この世界に馴染みのない言葉も数多い。そんな時、弁慶はこうして嫌がる素振りも見せず楽しげに訊ねてくれるのだ。
 またやってしまった、と思いながら、
「あ、ごめんなさい。デートっていうのは恋人同士で出掛けたりすることを言うんです」
 望美はあまり多くないボキャブラリーの中から適当な言葉を当てはめて説明した。
 デートという言葉をこの時代風の言葉で表現するしたら『逢い引き』というのが近いだろうか。
 それはどこか密やかな、艶めいた印象を与える言葉で、望美はだから敢えて口にしなかったのだけれど。
「それはとても楽しそうなことですね」
 見透かすような瞳で見つめられ、望美の鼓動が早くなった。
 この人、絶対解っててやってる。
 その上でこっちがあたふたするのを楽しんで見ているに違いない。
 その手には乗るものかと思うのに、自分の意思とは裏腹に頬が赤くなるのは止められなくて、望美は悔し紛れに小さく唇を尖らせた。
「どうかしましたか?」
「別に、何でもありません」
「そうですか? 君は今の今まで楽しそうにしていたというのに、急に機嫌を悪くしてしまったようだ。僕が何か気に触ることをしましたか?」
 そう言うと、彼は綺麗な顔に微苦笑を浮かべて覗き込んできた。
 それは心配しているというよりは反応を窺っているような態度で、しかも瞳が楽しげに煌めいている。そのことがますます望美を苛立たせた。
 好きな人に子供扱いされて嬉しがる女がどこにいるだろう。
 これがもし天然なのだとしたら尚更タチが悪い。
 望美は籠を抱え直して、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「いいえー、別にー。強いて言うなら、弁慶さんが大人なのがいけないんですよ」
「大人、ですか?」
 横目で盗み見た視線の先で、弁慶が困惑したように眉をひそめる。
 思っていなかった反応に少し驚いて、
「大人じゃないですか。すぐに人のこと子供扱いして」
 望美はつい、言い訳がましく説明した。
「子供扱いなんてしてませんよ」
「してるじゃないですか」
 それとも本人にはその自覚がないのだろうか。だとしたら、自分ばかりが勝手に空回りしているようで何だか無性に腹立たしい。
「そんなつもりはなかったのですが、君にそう思わせてしまっていたならすみません。でも、もしそうだとしても、それは僕の所為ばかりではありませんよ」
 オレンジの光に彩られた弁慶は柔らかく微笑んで言を継いだ。
 以前戦場で見せていた作り笑いとは全然違う――胸の奥が痛くなるくらい、優しくて温かい微笑みだ。
 この笑顔を引き出しているのが自分だと思うと、たまらなく嬉しい。
 それが、時にとても意地悪で、望美のことを翻弄する予兆なのだと解ってはいても。
「じゃあ、私の所為だって言うんですか?」
 ドキドキしていることを悟られないように用心深く訊ねる。
「ええ、だって君があんまり可愛いから、こちらもついそういう態度になってしまうんでしょう」
「卑怯だー」
 そんな恥ずかしいことをさらりと言わないでほしい。
 きっと今、自分はものすごく赤くなってるに違いない。
 それが夕陽の所為だと思ってもらえたら御の字だけれど、この人にはそんな些細な願いだって通用するわけないのだ。
「また人聞きの悪いことを言う。本当のことを言っただけですよ」
「そういうことをサラッと言われたら照れるじゃないですか、やめて下さい!」
「いいじゃないですか。君のそういう表情は本当に可愛らしくて大好きなんですよ」
「またそういうこと言う!」
 恥ずかしいのと照れくさいのとでとても顔を上げていられなくて、望美はその場にしゃがみ込んだ。籠を脇に置いて両手で赤くなった顔をガードする。
 すぐ脇でしゃがみ込む気配――お願いだから覗き込んだりしないで。
 赤面の波を何とかやり過ごそうと、望美はそのままの姿勢を維持した。ここで弁慶が恥ずかしい台詞を吐いたりしなければ、一分もしないで治まるはず。たぶん。
 頑なに顔を隠した彼女の脇で、弁慶が微かに嘆息した。
 呆れられただろうかと不安になるが、それでも顔は上げられない。
 早鐘のようだった鼓動が少しずつ落ち着きを取り戻しているから、あともう少しでやり過ごせるだろう。
「望美さん」
「…………」
 大丈夫、すぐに落ち着くからもう少しだけ待って。
 元の世界では恋愛経験など皆無に等しかった。だから望美は、弁慶が常日頃言うようなストレートな愛の言葉に慣れていない。そういうのはドラマや映画や漫画の中の台詞だと思っていたし、万が一実際に言われる日がきたとしてもきっと茶化してしまうだろうと思っていた。
 だから、知らなかった――まっすぐに見つめられて紡がれる愛の言葉の数々が、こんなにも威力のあるものだなんて……。
「望美さん」
 道端にしゃがみ込んだまま動かない望美に弁慶がもう一度声を掛けた。しかしその声はどこか落ちつかなげで、なにか切迫したような響きが感じられる。
 不審に思って顔を上げようとした瞬間、彼女は力強い腕の中に抱き込まれた。
「弁……」
「すみません、まさか泣かせてしまうとは思わなくて……傷つけるようなことを言ってしまったのならいくらでも謝ります。だからそんな風に声を押し殺して泣いたりしないで下さい」
「え……?」
 考えてもみなかった反応に、望美は思わず頭が真っ白になった。
 これは何かの罠だろうか。
 自分のことをからかって、狼狽えさせようとか?
 けれど抱き締める腕からは普段の余裕は感じられないし、宥めるように背中を撫でていく手もどこかぎこちない。
 一瞬、普段からかわれてばかりいる意趣返しにこのまま泣いたフリをしてしまおうかとも思ったが、すぐに思い直した。
「やだな、泣いたりしませんよ。赤面してるの見られたくなかっただけです」
 安心させるように言いながら、自分も彼の背中に手を回す。
 ゆっくりと身を離して見上げると、彼は珍しいことに照れくさそうな顔をして目を逸らしていた。
「……弁慶さん、可愛い……」
 年上の男の人にこういうことを言うのは変かもしれないが、滅多に見られない貴重な表情は、思わず抱き締めたくなるくらい可愛い。
 調子に乗って覗き込むと、
「大人をからかうものじゃありませんよ」
 いかにもバツが悪そうに言って、弁慶はその整った貌に苦笑を浮かべた。
 子供扱いされるのは嫌だけれど、今は全然気にならない。
 くすくす笑いながら尚も意地悪く覗き込む望美を抱き締め直して、弁慶は深々と息をついた。
「君はすぐそんな風に無邪気なフリをして僕のことを翻弄する……その度に、僕がどんなに苦労して平静を装っているかなんて知らないんでしょう」
「え? 弁慶さんが?」
 耳元で囁かれる甘くて心地良い言葉に目を瞠る。
 恋愛経験が皆無に等しい望美には、それが本音の言葉なのか、駆け引きの一種なのかの見極めは出来ない。
 ただ、本音であったら良いのに……と祈るように思うだけだ。
「そうですよ。ですから、せめて少しくらい、僕にも君のことを翻弄させてください」
「……っ?」
 突然降ってきた弁慶の口唇が望美のそれを塞ぐ。
 冷たいと思っていた口唇は思っていたより熱くて、心臓がうるさいくらいに騒いだ。
「べ……んっ」
 抗議をするべく呼びかけた名前は途中で吐息ごと飲み込まれた。
 深く深く口づけられて呼吸も覚束ない。
 するりと入ってきた舌は望美の弱いところなんか全てお見通しだというような自由さで動き回り、その度に身体の奥が甘く疼く。
 このままここで蕩けてなくなってしまうんじゃないかと思った頃、漸く解放された望美は、その場にへなへなと座り込んだ。
「ふふっ、君は本当に、食べてしまいたいくらい可愛いですね」
 オレンジ色に染まった夕焼けの空をバックに、彼は憎らしいくらい爽やかに微笑んだ。
 潤んだ瞳で睨め上げたところで効果がないのは百も承知だけれど、それでも黙っていられなくて、
「弁慶さんは意地悪な人ですよね!」
 悔し紛れに文句を投げつける。
 弁慶は、その台詞すら愛おしげに受け止めて、その場に膝を着くと、望美の髪を一房掬って恭しげに口づけた。
「君がそんな可愛い顔を見せてくれるのであれば、僕はいくらでも意地悪になりますよ」
「……馬鹿」
 そんな言葉ひとつに、こんなに嬉しくなってしまう自分がものすごく悔しい。
 望美は唇を尖らせて吐き出すと、彼に向かって腕を伸ばした。
「弁慶さんのせいで立てません。責任持って、家まで連れて帰って下さい」
「仕方ありませんね。薬草の籠は君が持って下さい」
 弁慶は笑顔を深くして望美に薬草の籠を持たせると、軽々と彼女を抱き上げて歩き出す。
 望美の子供じみたわがままを許してくれる優しいところも。
 時々こっちが面食らってしまうくらい意地悪なところも。
 まだ見せてくれていない様々な長所や欠点も。
 全部引っくるめてこの人が好きなのだと……温かい腕に抱かれながら、望美は改めて実感した。








拍手用にと思って書き始めたので導入部が淡々としてしまいましたが
ある程度の長さになった時点で吹っ切って、いつものペースで書きました。
『意地悪』とかいうタイトルのわりに、あんまり黒くない弁慶さんですみません。
“素で女性を翻弄する”という公式を意識するとこんな感じかと思うのですが……(言い訳)
とりあえず、弁慶さんの反撃箇所は嬉々として書いてました。
望美ちゃんはきっと、帰ってから美味しく「食べてしま」われたのだろうと思います(笑)

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