守りたいもの

Presented by Suzume


 危ない、と思ったときには身体が動いていた。
 対峙していた怨霊は木属性で、土属性のリズヴァーンにとっては相克だ。まともに攻撃を食らったら、いかに強靱な肉体を誇る彼でも無傷というわけにはいかない。
 とっさにそこまで考える余裕はなかったものの、望美は反射的に襲い来る敵の前に飛び出して、無理な体勢のまま風の塊に向かって剣を振るった。
 剣に当たった怨霊かまいたちの攻撃は望美の肩先を掠めるに留まった。
 背後のリズヴァーンに被害がないのにほっと胸を撫で下ろして、今度はしっかり狙いを定めてかまいたちめがけて剣を振り下ろす。そこへ譲の援護射撃が見事に決まり、かまいたちは完全に動きを止めた。
 この機を逃す望美ではない。
「めぐれ天の声、響け地の声、かのものを封ぜよ!」
 高らかに響く彼女の声に呼応して、怨霊は浄化されて霧散した。
 途端に辺りは静寂に包まれて、一同が緊張に詰めていた息を吐き出す。
 望美もみんなと同じように剣を鞘に収めて肩の力を抜いた。
 と、仲間を振り返ろうとした彼女の腕を、不意にリズヴァーンの大きな手が掴んだ。
「先生?」
「神子、肩を見せなさい」
 戦闘は終わり敵もいないというのに、いまだ緊張に滲んだ声で言われて、望美は目を瞬かせて師を振り仰いだ。
 顔の半分を覆う覆面のため細かな表情はわからないが、リズヴァーンのひどく真剣な眼差しとその声に思わず鼓動が早くなる。
 ときめいている場合ではないのは百も承知だが、心を寄せる相手からこんな間近で真剣に見つめられて、ドキドキしない女の子はいないだろう。
 リズヴァーンは長身を屈めて、覗き込むように肩先へと顔を近づけている。
 突然の師の行為に、はっと我に返った彼女は耳まで赤くして狼狽えた。
 かまいたちの攻撃によって破れてしまった羽織の肩口からは、白い肌が露出していた。
 現代では当たり前にキャミソールなどを着て歩いていた望美でも、さすがに仲間達の面前で、しかも恋い慕う相手に肌を晒すのは恥ずかしい。
「先生、あの、大丈夫ですから!」
「しかし……」
「羽織に掠っただけで、怪我とかはしてませんから」
 慌てて言い添えた望美を援護するように、弁慶がにこりと微笑んで、
「リズ先生のご心配も尤もですね」と割って入った。
 彼は懐から軟膏の入った入れ物を取り出して、目配せをしながら朔にそれを手渡した。
「朔殿、望美さんの着替えを手伝ってあげてくれませんか? どちらにせよ、いつまでもそんな格好でいるわけにはいかないでしょう」
「わかったわ。怪我をしていたらその薬を塗ればいいんですね」
「ええ。あまり酷い怪我があるようでしたら呼んで下さい。それならリズ先生も安心でしょう?」
 人の好さそうな笑みを浮かべて弁慶が言うと、リズヴァーンは軽く嘆息して頷いた。
 ちょっとした掠り傷ならばいつものことだし、そんなに心配することないのに……と思ったが、それで先生が安心してくれるのならばと望美も渋々承諾した。
 樹々の陰で上衣を脱いで、念のため朔に肩を見せる。
「本当に掠っただけみたいね。少し赤くなっているから薬は塗っておいた方が良いと思うけど……」
「このくらいなら薬なんて塗らなくても平気だよ」
「でも、やっぱりちゃんと手当てはしておいた方が良いわ。それに、ほら、肘も擦り剥いているし」
 そう言って、朔は弁慶から手渡された軟膏を指先で掬って、望美の肩や肘へと擦り込むように薄く伸ばした。
 反論したところで言いくるめられてしまうのは目に見えていたし、望美は仕方なく言われるまま大人しく親友の治療を受け入れた。
「羽織があんなにすっぱり裂けていたのだもの、リズ先生が心配するのも無理ないわ。私もあなたが怪我をしたんじゃないかと思ったくらいだし」
「羽織と一緒にすっぱり切れてたら血が出てすぐわかるじゃない」
「それもそうね。でもヒヤリとしたのは本当よ。ましてリズ先生にしてみれば自分を庇ってのことですもの」
 諭すように言われた言葉は的を射ていて反論の余地もない。
 確かにあの状況で心配するなというのは無理な話かもしれない。自分が逆の立場でも同じように心配することだろう。
 望美は子供のように唇を尖らせて、
「心配かけてごめんなさい」と呟いた。
「その言葉は、私ではなくてリズ先生に言った方が良いんじゃないかしら。はい、着替えは自分でできるわよね。私は先にみんなのところへ戻ってこれを繕っておくわ」
 彼女はそう言いながら望美の肩に替えの着物を羽織らせて、小さく手を振りながら木陰から立ち去った。
 一人残された望美は、自己嫌悪に唇を噛みしめながらのろのろと着物に袖を通した。
 あのときとっさに飛び出したことを、望美自身は悔いてはいない。
 目の前で誰かが怪我をしたり、あまつさえ命を失うようなことになるのは絶対に嫌だった。
 だからもしあれがリズヴァーンでなくとも、きっと自分は飛び出しただろう。
 しかし、リズヴァーンの立場に立ってみると、望美のしたことは余計なお世話以外の何ものでもなかったのではないだろうか。
 自分よりも未熟な腕の者に庇われて、そのうえ怪我までさせてしまったとしたら――心優しい彼は、きっと自らが傷を負う以上に心を痛めたに違いない。
 その場合、もしかしたら庇われた自分自身を責めてしまったかもしれない。
 望美にそんなつもりがあろうがなかろうが、リズヴァーンはそういう人なのだ。
 そんなことは誰に言われるまでもなく解っているはずだったのに、自らの腕に驕って要らぬ心配をかけてしまった。
 そんな自分が情けなくて、消えてなくなってしまいたいくらい恥ずかしい。
 一体この後どんな顔をして彼と顔を合わせれば良いんだろう。
「神子、着替えは終わったか?」
「えっ?」
 不意に背後からかけられた声に、望美は慌てて着物の前を合わせた。
 こんなところで自己嫌悪に陥った挙げ句、もたもたしていてまた余計な心配をかけてしまったのかもしれない。
「あ、あの、もう終わります! すぐに戻りますから……」
「慌てることはない。皆は各々休憩を取っている。そろそろ着替えが終わる頃だろうと思って、おまえと話をするために来たのだ。そのままでいいから聞きなさい」
「……はい……」
 衣擦れの音が聞こえてしまうのではないかと気にしながら、望美は急いで着替えを済ませる。
 肩越しに振り返ると、樹の向こう側でリズヴァーンがこちらに背を向けて立っていた。
「八葉は神子を守るものだ。神子の剣となり盾となるものだ」
 淡々とした言葉だが、その声には苦渋が滲んでいる。
 望美は黙って師の声に耳を傾けた。
「おまえが倒れては、我々八葉がいる意味がない。だから、今日のような真似は二度としてはならない。解るな?」
 リズヴァーンの言うことは客観的にみれば間違ってはいない。
 きっと彼の言うことこそが正しいのだろう。
 しかし、望美はどうしても頷くことができなかった。
「先生の言いたいことは解ります。でも……」
「承伏できぬと?」
「はい」
 望美は木陰から出て、師の前へ立った。
「先生だけじゃない。誰であろうと、仲間が危なくなったら、私はまた今日のようなことをしてしまうと思います。それで怪我を負ったとしても、それは私の責任です」
「神子……」
「私はもう誰も傷つけたくない。誰も失いたくない。そのために今ここにいて、剣を握っているんです」
 真っ直ぐに見上げる目には迷いはない。
 自分が傷つくことで、心を痛める人がいる。そのことは解っている。
 それはリズヴァーンに限ったことではない。
 望美の周囲にいる仲間達はみんな心根の優しい人達ばかりだ。
 彼らは皆、望美を大事に思ってくれていて、守ろうとしてくれている。
 そんな彼らだからこそ、望美が自分の身代わりで傷ついたりしたら、きっと己が傷つくよりも辛く思ってくれるだろう。
 けれど、だからといって信念を曲げることはできない。
 彼らを守るために――そのために望美はいくつもの運命を上書いてきたのだ。
 リズヴァーンの目が痛ましげに細められるのを見て、望美は彼の手を取った。
「先生、そんな顔しないでください。大丈夫、私は絶対に死んだりしません。死んだらみんなを守れないもの。先生を、守れないもの」
「神子……」
「私、もっと修行します。今日みたいな場面で先生やみんなに心配かけたりしないように、もっと強くなってみせます。怨霊に傷つけられたりしないくらい。だから……」
「神子、おまえは強くなった。確かに今のおまえならば皆を守ることもできよう。だが、その中に私は含まなくて良い」
「先生、私は……いえ、なんでもありません」
 望美は言おうとしていた言葉を胸の奥に押し止めて俯いた。
 本当は、一番守りたいのはあなたなのだと――それを言ったところでリズヴァーンを困らせるだけだと解っていた。
 あの日、あの運命の福原で、望美達を逃がすために彼は自ら囮になった。
 帰らぬ師を九郎と共に陣の外で待ち続けたあの夜を思い出すと、今でも胸が潰れるような思いがする。
 もう二度とあの痛みは味わいたくない。絶対にあの夜を繰り返さない。
 そのために望美はこの運命を選んだのだから。
「先生、そろそろ戻らないとみんなが心配しますね。行きましょう」
 望美は顔を上げて、無理矢理微笑みを浮かべて彼の腕を取った。
 リズヴァーンは彼女が自分の言葉に渋々とでも納得したと思っただろう。
 しかし敢えて返答しなかったことこそが望美の答えだった。
 言ったところで聞き入れてもらえないなら、黙って遂行すればいいだけのことだ。
 それが自分の自己満足だというのは解っているから、わざわざ彼に知らせる必要はない。
 決意に満ちた目をしてまっすぐ仲間達を見つめる望美を見つめて、リズヴァーンはこっそり嘆息した。
 彼女が何を考えているかはその表情を見れば一目瞭然だった。
 そして、望美がそれを上手く隠せているつもりでいることもまたすぐに見てとれた。
「おまえの決断は、きっと誰が何を言ったところで覆すことはできないのだろうな」
 苦々しい思いで漏らした呟きは彼女の耳に届くことなく風に巻かれて消えた。
「先生? 今何か言いました?」
「いや、何でもない」
 望美の決意を覆すことが不可能ならば、彼女に守られることなく戦えば良い。
 今までもそのつもりで戦ってきたのだ。別段難しいことではない。

 二人の背を優しい風が撫でた。
 まるで、師弟がそれぞれの胸に抱いた相反する決意を、温かく励ますかのように。








当サイトの1万ヒット記念として書かせて頂いたお話です。
2005年7月末〜8月頭にかけてアンケートを実施させて頂きまして、
その際に一番得票の多かったリズヴァーン×望美でしたので。
しかし、実際のアップはずいぶん遅くなってしまいました(汗)
そのわりに微妙な出来で申し訳なく……(猛省)
やはりゲーム中の時期で書くと、あまり甘くできないですね。
これからも精進したいと思います。

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