束の間の幸福 Presented by なばり みずき
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京邸の庭を散策していた弁慶は、樹に背を預けるようにして座っている望美を見かけて相好を崩した。 ここからでは後ろ姿になってしまうから彼女が何をしているのかはわからない。 興味を惹かれてそちらへと歩を進める。 彼女の座っている位置からだと晴れ渡った空がよく見えそうだ。 それとも庭の景色を楽しんでいるのだろうか。 そんなことをあれこれ想像しながら近づくが、望美は一向にこちらを振り向く様子はない。 気配を消しているわけでもなければ、足音を忍ばせているわけでもない。普段の彼女ならば人が歩み寄っていることに気づいて、花のような笑顔を向けている距離である。 もしかすると何か考えに耽っているのかもしれない。 急に声を掛けたらびっくりさせてしまうだろうか。 そんな微かな悪戯心を胸に、彼はそっと回り込んだ。 「おやおや、これはまた……」 思わず呟きが洩れてしまう。 望美は、樹に凭れかかったまますやすやと寝息を立てていた。 あどけない寝顔からは、怨霊を浄化する清らかな『白龍の神子』の姿も、戦場を勇ましく駆ける『源氏の神子』の姿も想像できない。 しかしこれこそが本来の彼女の姿なのだろう。 午後の陽射しは穏やかで、風もまださほど冷たくはない。 夕方になっても目を覚まさないようであれば、起こすなり部屋に運ぶなりしてやればいいか。 弁慶は笑みを深くして、自分の外套を寝ている望美に掛けてやった。 そして眠る彼女の隣に腰を下ろす。 「八葉は神子を守る者、ですからね」 景時の邸に出入りする者たちが、畏れ多くも神子様に不埒な真似をするとは思えないが、念のためだ。 そんなことは言い訳だと自分でも解っているが、それは棚上げして。 「ん……」 人の気配を察したのだろうか、望美が小さく身じろぎしたが、 「もう少し寝ていて良いですよ」 弁慶が優しく囁くと、ふにゃっと蕩けるような笑顔になって、彼女は再び眠りの中へと戻っていった。 但し、今度は弁慶の肩に自分の頭を預けて。 弁慶は思いがけない彼女の行動に軽く目を瞠り、それから何ともいえない表情で額を掻いた。 「本当に、君には敵わないな」 無意識の行動さえも、こうして僕を惹きつけて止まないのだから。 ため息は風に乗って消えていく。 たくさんの罪と罰を背負った我が身にも、この程度のしあわせを味わう権利はあるのだと――今だけは自惚れてもいいだろうか。 胸の奥が温かくなるのを感じながら、弁慶は束の間の幸福を味わうように、そっと瞼を閉じた。 |
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