サンプル(玄徳×花本「ゆめのつづき」より)

Presented by なばり みずき

 見回りの衛士達に声を掛けたりしながら、気の向くまま歩いている内に、いつのまにか花の部屋の近くまで来ていたことに気がついた。どうやら無意識に足が向いてしまっていたらしい。
 時間や立場を考えれば、このまま引き返すべきだと頭では解っていた。しかし、程近い場所に愛しい少女がいるのだと思ったらどうにも立ち去りがたい。
(何も直接訪うわけでもなし、部屋の前まで行くくらいなら……)
 我ながらいじましい言い訳だと内心で失笑しつつも、結局その誘惑に抗うことは出来ず、玄徳は花の部屋へと足を向けた。
 とはいうものの、万が一こんなところを誰かに見咎められでもしようものなら一大事である。二人が恋仲であるということは軍の主立った者達にも知られていることだが、まだ婚儀も済ませていないのだ。下手に騒ぎになどなれば花の立場を悪くしかねない。
 細心の注意を払いながら――しかしこの期に及んでも玄徳の中に引き返すという選択肢はなかった――回廊に沿うように足を進めていくと、見慣れたその部屋には意外なことにまだ明かりが灯っていた。
(こんな遅くまで、一体何を……)
 以前、夜更かしはあまり苦にならないのだと言っていたのを思い出す。だが、今はそうする理由が思い当たらない。
 夜更けに女人の部屋を覗くという不道徳な行為への後ろめたさは、むくむくと頭を擡げる好奇心に負けた。
 たとえば相手が芙蓉だったならば、そんな詮索など思いつきもしなかっただろう。
 気になるのは惚れた相手のことだからだ。
 音を立てないようにそろそろと階を上がり、くり抜かれた窓からそっと中の様子を窺う。
 灯りを絞った室内で、花は机に向かって熱心に何かを読んでいる様子だった。
 一瞬、あの書物の存在が頭をよぎって肝が冷えた。しかしあれはこの世界から消え失せたはずだ。その場に居合わせ、自分の目で確認したのだから間違いない。
 動揺に波立つ心を鎮めながら部屋の中へと目を凝らす。
 背を向けている花自身が邪魔になってよくは見えないが、どうやら彼女が読んでいるのは古い竹簡のようだった。いや、よく見ればどうもただ読んでいるわけではなさそうだ。忙しなく動く右手と巡らせる首の動きから、それを書き写しているのだということが窺える。
『今すぐに師匠みたいに役に立つことは無理ですけど、少しでも玄徳さんの力になりたいんです』
 いつだったか、真摯な眼差しでそう言った花の声が脳裏に蘇った。
 だから、今は厳しく感じても、いろいろなことを師から教えてもらっている最中なのだと、はにかみながら告げたその笑顔を思い出す。
(まさか、俺のために……?)
 こんな夜更けまで、寝る間も惜しんで勉学に励んでいるというのだろうか。
 ただ単に自分の思い上がりかもしれない。自惚れかもしれない。都合よく解釈して勝手に浮き足立とうとする感情を抑えるべく、玄徳はその場で固く拳を握った。



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