サンプル(原田×千鶴本「いとし、こいし」より)

Presented by なばり みずき

 新八と決別し、宇都宮を発った翌朝。
 森の中、火の始末をしている左之助の傍らでは千鶴が髪を梳いていた。癖のない漆黒の髪は慣れた手つきであっという間に結い上げられ、白いうなじが顕わになる。
 見慣れているはずのその姿に、どことなく艶めかしさを感じてしまうのは、互いの関係がはっきりと変わったせいだろうか。少なくとも、以前はこんな風に目を惹かれるようなことも、些細な仕草に色気を感じて落ち着かない気分を味わったりすることもなかった。
 そうこうしている間にも、千鶴は口に咥えていた結い紐で髪を纏め、手鏡でほつれがないか確認をすると、笑顔で左之助を振り返った。
「お待たせしました。……どうかしましたか?」
「あ、いや……」
 まじまじと見つめていたことに気づいたのだろう、千鶴が訝しげな顔で小首を傾げる。
 黒目がちな瞳でまっすぐに見つめられると、どうにもこうにも後ろめたい。朝っぱらから不埒なことを考えてしまっていた疚しさもあるので尚更だ。
「左之助さん?」
「いや、何でもないんだ、気にすんな」
 こういう場でさらりと誤魔化しの嘘を並べ立てられるほど口がうまくない人間だということは自覚している。それならば下手な言い訳を重ねるよりも言葉を濁した方が手っ取り早い。
 幸い千鶴は怪訝そうな顔はしたものの、それ以上の追及はせずに引き下がってくれた。こういう場面での気の利かせ方は新選組にいた頃から変わらない。本来の性質というのもあるのだろうが、もしかしたら、余計な詮索をして身を滅ぼすことがないように、と身に着けた彼女なりの処世術なのかもしれない。
「その、女の身支度をじろじろ見るなんて、無粋な真似しちまって悪かったな」
 居心地の悪い気分もあって歯切れ悪く言うと、
「女の身支度なんて……私の場合はそんな色気のあるものじゃないですから気になさらないで下さい」
 千鶴は微笑って首を振った。
 そこには一欠片の衒いも自虐も含まれてはいなかった。だが、頓着していないというその事実こそが左之助の胸を痛ませた。



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