eye to eye

Presented by Suzume


 放課後の保健室は、運動部の生徒が不意の怪我でもしない限りはあまり人は訪れない。
 若月はいつものようにこっそり煙草を咥えながら、鼻歌まじりに溜まった書類仕事を片づけていた。
 養護教諭というのは体調が悪かったり怪我をした生徒の処置をしてやるばかりではなく、悩みを抱えた生徒の心をケアしてやるのも仕事の内だ。当然それに伴う勉強だってしなければならない。
 他にも教育委員会やらお役所やらに提出しなければならない書類だって山のようにあるし、おまけにこの学校ときたら正規教員でもない彼に部活動の顧問までさせる有様だ。更にそれに飽き足らず、学校行事の雑用まで押し付けてくるのだから始末に終えない。
 文句を言いながら結局引き受けてしまうから押し付けられるのだが、ひねくれ者の若月は自分がそんなお人好しなのだということは梃子でも認めようとしない。
 その結果、ますます雑用を頼まれる率が上がっていた。
 今やっているのは、その雑用のせいで遅れてしまっていた本来の仕事なわけだが、それもあともう少しで一区切りがつくというところまできた。
 さっさとこの仕事を終わらせて、これ以上厄介事を押し付けられる前にとっとと家に帰ってしまおうと思いながらペンを走らせていたら、こんこんっ、と控えめなノックの音が響いてきた。
 思わず舌打ちしそうになりながら、とりあえず吸っていた煙草を証拠隠滅とばかりに揉み消していたら、ガラガラとドアが開かれた。
「先生、まだいますか?」
 現れたのはヒトミだった。
 またどこかの部の生徒が怪我をしたとか、他の教師連中が面倒な雑用を押し付けにきたとか、口うるさい教頭が小言を言いにきたのかとか思っていた彼は、安堵して詰めていた息を盛大に吐き出した。
「なんだ、おまえか。びっくりさせるなよ」
「あ、また隠れて煙草吸ってたんでしょう? ほどほどにしないと身体壊しますよ」
 にこにこしながら近寄ってくる彼女には警戒心の欠片も見受けられない。
 これがマンションの部屋なら、もう少し緊張気味に微笑んで寄越すのだが、きっと学校では無闇に悪ふざけをしてはこないと思っているためだろう。
 警戒されるということはそれだけ意識されているということで、それはそれで悪い気はしないが、いくら内緒のつきあいとはいえ恋人同士なのだから、せめてもう少しリラックスしてほしいとも思う。
 若月がそんな複雑な心境を抱いていることなど全く気づいた様子もなく、彼女は唐突に丸椅子を持ってきて腰を下ろした。
 その距離は1メートルと離れていない。
 しかも、ヒトミは何を思ったか、身を乗り出すようにしてこちらの顔を覗き込んできた。
 彼女が自分からこんなに接近してくるのは珍しい。
「……何の遊びだ?」
 興味を引かれて尋ねたら、ヒトミは無邪気な顔をして、
「先生の目を確認してるんです」と答えた。
「目? そんなもん確認してどうすんだ?」
「目っていうか、正確には瞳ですね。瞳孔が開いてるかなぁって」
 何が何やらさっぱり解らない答えを告げて、彼女は尚も身を乗り出して覗き込んできた。
「おい、そんな体勢でいたらバランス崩してひっくり返るぞ」
 わけが解らないながらも一応注意だけはして、彼は再び書類に向き直った。
 どうせあと1〜2分もすれば終わるのだ。ヒトミがこんなおかしな真似をしている理由を問い質すのはその後でも充分だろう。
 彼女はそんな若月の態度や忠告にはろくに耳を貸さず、熱心にこちらに視線を注いでいる。
 これはもう見つめるというレベルではなく凝視するといった感じだ。
 惚れた相手からこんな風に見つめられては気になって仕事にならない。
 彼はとっとと書類を書き終えて、椅子ごと恋人の少女に向き直った。
「で、何を確認するって?」
「だから、瞳孔ですってば。開いてるかなって」
「だから、何でオレ様の瞳孔が開いてるかを確認してるんだって聞いてるんだよ」
 要領を得ない問答に苛立って軽くデコピンを食らわして聞き直したら、ヒトミは弾かれた額を押さえてやや大袈裟に、
「痛いじゃないですか!」と抗議してきた。
「嘘つけ、そんなに力入れてねぇよ」
「でも痛かったです!」
「はいはい、悪ぅございました。だから、ほら、素直に吐けよ。それとも無理矢理白状させらるのがお好みなのかな、ヒトミちゃんは?」
 にんまり笑って腕を伸ばしたら、彼女は椅子から転げ落ちそうな勢いで飛び退いた。
 本当にからかい甲斐があって困る。しかし当の本人はそんなことは知る由もなく、毎回実に良い反応を返してくれるのだからたちが悪い。だからつい調子に乗ってやり過ぎてしまうのだ。本当はやり過ぎは警戒を招く元だと解っているのに。
「言います! 言いますってば!」
 1メートルあった距離を3メートルほどまで広がらせて、ヒトミは拗ねたようにぷぅっと唇を尖らせた。
「さっきちょっと聞いたんですけど、人間って好きなものを見るときって瞳孔が開くんですって」
 彼女はまるで何か言い訳でもするように、小声でぼそぼそと話し始めた。
 その話なら若月も以前テレビか何かで見たことがあった。
 しかもそれは意識してできることではなく、無意識に起こる現象なのだという話だ。
 実際に人の目で見て確認できるものかどうかはさておき、それを確認するための機械というのも存在するらしい。
「それで、だから……」
 ちらちらとこちらを窺いながら口籠もった恋人に、彼は漸くこの少女が何を言いたいか、そして何をしたかったかを理解した。
「つまり、おまえを見てオレ様の瞳孔が開いてるか確認したかったってわけか」
 自分の目で、ちゃんと好かれているか確認したかった――おそらくそんなところだろう。
 相変わらず可愛いことをするものだ。
 思わず込み上げた笑いを何とか押し留めて、若月は何食わぬ顔をして一気に距離を詰めた。
 華奢な肩に手を置いて、吐息が触れるくらいに顔を近づける。
「ほら、これくらい近けりゃ確認しやすいだろ?」
 勿体ぶるように甘く囁くように告げてやったら、彼女は耳まで赤くして硬直してしまった。
 そんな可愛い態度を取られたら、こちらもブレーキが利かなくなってしまいそうだ。
 だから若月は漂う甘やかな雰囲気を蹴散らすように、わざと大袈裟に吹き出して彼女の肩に置いていた手を離してやった。
「もうっ、またからかったんですね!」
 一瞬気の抜けたような顔をしたヒトミだったが、すぐさま復活して憤慨したように噛みついてきた。
 あのままキスでもしていたら、きっと腰砕けになって座り込んでしまうだろうくせに。
「さぁ、どうだろうな」
 本音の部分はさらりと笑顔で躱して、彼は肩を竦めて机の上を片づけ始めた。
「オレ様の仕事は今日はこれで終わりだ。おまえも帰るんだろ?」
「あ、はい。じゃぁ一緒に帰れますね。私、教室に戻って鞄取ってきます!」
 今まで怒っていたことなどあっという間に空の彼方に放り投げ、ヒトミは嬉しそうに微笑んで保健室を飛び出していった。
「ったく、ここが学校で良かったな、ヒトミちゃん」
 一人きりになった保健室で、若月は聞く相手のいない独白をぽつりと零して肩を竦めた。
 ここが学校でなかったら、きっと自制心も利かなかったに違いない。
 瞳孔なんて、きっと調べるまでもなく開いてる。
 だって彼の心はもう既に、好意なんて生易しいレベルを超えているのだから。







「好意を持った相手を前にすると瞳孔が開く」というのはGS2であったネタでした。
きっとヒトミちゃんの周囲にGS2をプレイしてる人がいるんでしょうってことで!(笑)
ちなみに、この話題は、とある情報番組でずいぶん前に取り上げられていたそうです。

昔流行った歌にあるような「目と目で通じ合う」仲になるべく
ヒトミちゃんにはもうちょっと修行を積んでもらわないとですね!
や、鈍いヒトミちゃんも可愛くて好きなので、無理に修行しなくてもかまわないですが(笑)
というか、先生はむしろそのままでいてほしいかもしれませんが(笑)

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