不意打ちの攻防

Presented by なばり みずき


「失礼しまーす」
 いつものように保健室のドアを潜ると、スチール製の机に向かっていた若月が椅子を鳴らして身体ごとこちらを向いた。そして、これもまたいつものように、ヒトミの顔を見て僅かに表情を緩ませる。
 他の生徒には決してみせることのないその笑顔が、どれほどこちらの胸を高鳴らせるか解っているんだろうか。
(……そりゃ、先生のことだもん、解っててやってるよね、絶対)
 内心で独りごちて気づかれないようにため息を洩らす。
 いつだって、振り回されるのは自分ばかり。
 そりゃあ恋愛経験皆無なヒトミと、百戦錬磨とはいかないまでもかなり恋愛に長けている彼とでは比較対象が悪すぎるという自覚はある。
 それでも、一方的に掌の上で転がされているのはやっぱり面白くない。
「どうした?」
 いつのまにか近くまで寄っていた若月が、長身の身を屈めてヒトミを覗き込んだ。
 ふわりと漂う煙草の匂いに、いつかこの保健室で交わしたキスが脳裏に蘇る。
 若月とのキスはあれだけじゃない。あれから幾度か口づけを交わしたこともある。
 それなのに、ファーストキスはやっぱり特別で、こうして何かの拍子に突然蘇っては、ヒトミの鼓動を速くするのだ。
 顔を赤くして黙り込んだヒトミに、
「何か変なこと想像したんだろ?」
 若月はからかうように目を細めて額を弾く。
 言い当てられて二の句が継げなくなったヒトミだったが、すぐに気を取り直し、持ち前の意地っ張りを発揮して顔を背けた。
「変な勘繰りしないで下さい」
「勘繰り? 違うだろ。おまえはオレ様のことを意識してる。素直になれよ」
「……っ」
 顎のラインをなぞるように手を添えられて正面を向けられ、ヒトミは思わず身を強張らせて固く目を閉じた。
 廊下からは生徒達の声や足音が聞こえる。
 いつかとは違う。今は平日の休み時間で、いつ誰が入って来るかも解らないのだ。
 こんなところでもしキスなんてされたら……と緊張で指先が震えた。
「ぷっ」
 小さく吹き出す気配にそろそろと瞼を上げると、そこには悪戯が成功した子供みたいな若月の笑顔。
 またしても、いいようにからかわれたんだと思い知ってカッと顔が熱くなる。
「ほんと、飽きないよなあ、ヒトミちゃんは」
「かっ、からかうのも大概にして下さい! 人のことなんだと思ってるんですかっ!」
「可愛くて可愛くてしょうがないオレ様の恋人、だろ」
 ニヤリと微笑んだその顔が、次の瞬間にはふっと翳った。
 その表情の変化に戸惑いながらも目が離せない。
「……オレ様は大人で、その分ズルイから、こうやっておまえの気持ちが離れないように罠を張り巡らせてる。おまえの近くにいる、楽に恋愛できる相手に目が行かないようにってな」
 囁くような科白はどこか切なげで、苦い表情に胸が締めつけられた。
 恋愛というのは、経験が豊富だからといって、決して有利なわけではないのかもしれない。
 そう思ったら目の前の男の人がやけに可愛く思えてきた。
 それとも、こんな心の変化さえも罠のひとつなんだろうか。
 そうかもしれない――でも、だとしても構わない。
 だって、もし罠なんだとしても、彼を好きな気持ちが変わるわけではないのだから。
 ヒトミは口元に笑みを浮かべると、
「わざわざそんなことしなくても、よそ見なんかしないから安心してください」
 素早く囁いて彼の頬に不意打ちで口づけた。
 呆気に取られたように頬に触れる若月に溜飲を下げて、ヒトミは赤面した顔を見られないようにくるりと踵を返した。
「じゃ、失礼しました!」
 逃げるように保健室を飛び出し、廊下を足早に進む。
 人気のない昇降口まできてようやく足を止めると、壁に背を預けるようにしてゆっくり胸を押さえた。
 たかがあれだけのことなのに、心臓は激しいリズムを刻んでいる。
「でも、ちょっとした意趣返しにはなった……よね?」
 ひんやりした壁の感触を背中に感じながら、ヒトミはこっそり呟いた。
 教室に戻る前にお茶か何か買っていこう。
 その間に火照った顔も元に戻るだろう。
 少なくとも、親友達の目を誤魔化せる程度には……。

 一方その頃、保健室では若月が額を押さえて低い呻き声を洩らしていた。
「ちくしょう、油断した」
 まさかヒトミに不意打ちを食らうだなんて思ってもみなかったものだから、不覚にもまんまと一本取られてしまった。
 正直な話、こういう不意打ちを狙ってくる生徒も今までいないわけではなかった。
 けれどそのことごとくを躱し続けてきた若月だったから、これは本当にらしくない失態と言える。
「……でも、ま、悪くはないな」
 他の生徒ならマズイが、相手がヒトミなら話は別だ。彼女は特別なのだから。
 頬に残った柔らかな感触は思いのほか心地よくて、若月はふっと笑みを深くした。








某所で開催された絵チャの最中、一人果報者なのが申し訳なくて、せこせこ書いてた若月×ヒトミです。
しかし元来不器用ななばり。一度に二つのことは出来ずにその場は敢えなくリタイアしたのでした。
で、その時に別窓で書いていたのを後日改めて書き直したのがこれです。
勝負の結果はドローということで(笑)

とりあえず、拙作ではありますが、あの若ヒト絵チャに居合わせた方にはフリーとさせて頂きます!
煮るなり焼くなり火にくべるなり(汗)、お好きになさって下さいませ♪
構って下さった皆様、ありがとうございました!!(深々)

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