初恋 Presented by なばり みずき
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「初恋は実らないって言うけど、あれは嘘だよね」 午後の陽射しが射し込むリビングで、ヒトミはポツリと呟いた。 「そうか? まあ、ああいうのは当てはまる人もいれば当てはまらない人もいるものだからな」 妹の言に、ティーカップを口に運びながら鷹士が笑う。 初恋に限らず、恋愛なんてものは、想いが叶う人もいれば叶わない人もいる。至極当然のことだ。 そう考えると、妹への想いが成就した自分などはかなりラッキーな例だと言えるだろう。普通なら有り得ないことだと思うし、実際、自分でも叶うとは思っていなかったのだから。 そんなことを考えて口元を緩ませていた彼は、だからその後に続いた科白に面食らった。 「じゃあ、私の場合は当てはまらなかったってことかな。ちゃんと実ってるし」 それはちょっと聞き捨てならない。 ヒトミの初恋は、確か幼稚園の時に同級生だった、なんとかクン――不本意な相手の名前など記憶から抹消済みなので覚えてはいないが――だったはずだ。 まさか自分の知らない間にどこかで再会を果たし、告白されでもしたのだろうか? 恐る恐る最愛の妹に目を向ければ、彼女はこちらの心情などまるで気づく様子もなく、幸せそうにケーキを頬張っている。 この幸せそうな表情は、本当にケーキの所為だけなのだろうか。 頭をよぎった想像に目の前が真っ暗になった。 覚悟はしていたはずだった。 自分達の関係は常識的に考えれば決して許されないもので、いつ崩れるとも知れない砂の城のようなものだ。 (決めていただろう、ヒトミに他に好きな人が出来たら、潔く身を引こうって……) 彼が考えるのはまず第一にヒトミの幸せだ。 たとえ自分が身を裂かれるような思いを味わったとしても、それと引き替えにヒトミが幸せになれるというのであれば、喜んでそれを受け容れよう――と。 (ずっと、そう思っていたはずなのに……どうしてこんなに……っ!) 彼の胸中にどす黒いものが広がっていく。 一度味わってしまった幸福の味はあまりにも甘美で、今ではもう手放すことなど考えられない。 ヒトミに幸せになって欲しいと思う気持ちに嘘はない。だがその一方で、彼女がどんなに泣き喚いても、決して他の男になど渡したくないという利己的な思いが存在するのもまた事実だった。 一生この腕の中に閉じこめておけるとは思っていないが、もしも叶うならばそうしていたい――それが鷹士の偽らざる本心だ。 ほんの数分前まで穏やかで幸せだったこの空間が、今では絵空事のように思える。 思考の渦に沈んでいた鷹士を現実に引き戻したのは、最愛の妹が発した鈴の音のような笑い声だった。 「お兄ちゃん、何か勘違いしてるでしょ」 「え? そ、そんなこと……」 「隠したってわかるよ。大好きなお兄ちゃんのことだもん」 くすくす笑いながら立ち上がったヒトミは、鷹士の背後に回り込んで、うしろから彼を抱き締めた。 「私の初恋はお兄ちゃんだからね」 「……え……?」 思わず掠れた声を上げて振り返ると、悪戯っぽく煌めく瞳とぶつかった。 背中から伝わってくるいつもより少し速い鼓動と、微かに染まった頬。それらは間違いなく、彼女の言葉が真実なのだと鷹士に訴えかけてくる。 胸の中に広がった黒い靄が急速に晴れていくのを感じながら、鷹士はゆっくり息を吐き出した。 「えっと、つまり……そういうことか?」 「それ以外にどういう理由があるって言うのよ。お兄ちゃんの早とちり」 ヒトミは尚も笑いながら、首を絞めるように抱きついてきた。 「小さい頃はお兄ちゃんのお嫁さんになりたいって思ってたんだよ。でも、お兄ちゃんとは結婚できないって知って、すごく哀しかった。だからずっと初恋のカウントから外してたんだけど……こうなったからには認めて上げても良いかなって思ったの」 自分にとって一番大切な初めての恋を。 そう囁いて、いつか鷹士がしたように、ヒトミは彼の耳朶を甘噛みした。 ぞくりとした感覚が身の内を駆け抜けていく。 鷹士はやんわりと彼女の腕を離すと、身を捩ってその華奢な身体を抱き締めた。 ソファの背もたれに阻まれた距離がもどかしい。 それはヒトミの方も同じだったようで、すぐにまたぐようにして乗り越えてきた。抱き上げてそれを助けてやると、まるでそこが定位置だというように膝の上に収まる。 「私は、たとえお兄ちゃんが幸せになるってわかってても、お兄ちゃんを他のひとに譲ってなんかあげられない。一度手に入れた幸せを、絶対に手放したりしない。だからお兄ちゃんも、私の幸せのためなんて言って手を離したりしないでね」 そんな言葉と共に降ってきた唇は、ほんのりレモンの味がした。 初恋はレモンの味と言うけれど、それは案外、酸っぱくはないのかもしれない。 甘い唇を堪能しながら、鷹士は密やかな笑みを零した。 |
サイトでは初の兄×ヒトミです。 実は某所でこっそり水野さまに捧げさせて頂いたものだったり。 「兄ヒトのアンソロに参加させて頂いたってのに、サイトに兄ヒトがないのもなあ…」と 密かに気になってたので、サイトの方にもあげてみました。 |