焦らして、焦らされて

Presented by なばり みずき


 シャーペンの芯を買うべく足を踏み入れたコンビニの店内で、ヒトミはふと足を止めた。
 レジの前、一番目立つ棚一面に新作のお菓子が並べられている。
 購買心をそそるようなポップは手書きで、店員の努力が窺えるものだ。
 一年に及ぶダイエットのおかげで以前のようにふらふらカゴに入れるような真似はしなくなったが、それでもやっぱり女の子、甘いお菓子に心がときめかないはずはない。嫌いで避けているわけではないのだから尚更である。
 ヒトミは一つ一つを吟味するように手に取ったり戻したりを繰り返したが、やがて名残惜しい表情を顔に張りつかせつつも、それらを全て元の位置へと戻した。
 今この誘惑に負けるのは簡単だ。
 しかし次の瞬間には、いつぞやのように若月に首根っこを掴まれるような気がしてならない。
 そうでなかったとしても、自分を甘やかして呆れられるのは嫌だった。
 ヒトミは当初の目的を果たすべく文具コーナーに足を向け、替芯のみを手に取ると、脇目も振らずにレジに直行した。
 お金を払って店を出る。
 胸に宿る微かな達成感は、誘惑に打ち勝ったがゆえのものだろう。
「おっ、ちゃーんと余分な買い物しないで出てこられたな」
 突然そんな声が降ってきたかと思ったら、大きな手がポンと頭に乗った。
「先生!」
 見られていた……きっと物欲しそうな顔をしていたに違いない、今の様子を一部始終見られていたのだと思ったら、羞恥で顔が赤くなってくる。
 バツの悪い気分のまま口をパクパクさせていると、若月は首を傾げながら意地悪く目を眇めた。
「何だよ、そんな顔して。まさか他の店でオレ様に隠れて買い食いしたとか……」
「そんなわけないじゃないですか! 人がどんな気持ちで甘い誘惑を振り切ったと思ってるんですか!」
 訝るような視線と言葉を遮るように捲し立てたヒトミは、ハッと我に返って口を噤んだ。
「解ってるよ。からかって悪かったな」
 身を屈めて頭を撫でてくれる彼の瞳は優しくて、思わず胸が高鳴るほどだったけれど、何だか子供扱いされているような気がして面白くない。
 そうでなくても二人の年齢差にコンプレックスを抱いているのだ。そしてこればかりは努力でどうにかなる代物ではない。
「子供扱いしないで下さい」
 それこそ子供のように頬を膨らませながら、拗ねたように顔を背ける。
 そんな会話を交わしている内にマンションに着いてしまった。
 どうせなら少しくらい回り道してくれば良かった。
 公園の方を通ってくれば、ちょっとしたデートくらい楽しめたのにと思うと、今更ながらかなりもったいない気がする。
「桜川、寄ってけよ」
 ヒトミの離れがたい気分を察したのだろうか、若月が口の端を吊り上げて言う。
「さっき甘い誘惑とやらに見事打ち勝ったご褒美をやらないとな」
 含むような言い草が少し引っ掛かったものの、好きな人と一緒に過ごす時間というのはお菓子以上の誘惑だ。
 ヒトミはさっきまでの拗ねた気持ちを遙か彼方に放り投げ、満面の笑顔で彼の後に続いたのだった。

 煙草の匂いのする部屋はいつもと変わらない。
 クッションを抱くようにしてソファに掛けると、若月がコップによく冷えた麦茶を注いで戻ってきた。
 彼はそれをテーブルの上に置き、ヒトミのすぐ隣に腰を下ろす。
 気のせいか、距離がやけに近い。
 いや、気のせいなどではない。二人でゆっくり掛けられるはずのソファなのに、若月の向こうにはもう一人くらい座れそうなスペースがある。それだけぴったり近づいて座っているという証だ。
「先生?」
 怪訝に思って小首を傾げると、そのまま大きな手で頬を包み込まれた。
「せっ、先生、何を……」
「何って、決まってるだろ。ご褒美だよ」
 甘く低く囁きながら、彼の整った容貌が近づいてくる。
「ちょっ、ご褒美ってそんな……」
 悪戯に細められた瞳は、ヒトミの反応を面白がっているようだ。
 ここで狼狽えたら思うツボだと解ってはいるけれど、生憎ここで平気な顔を出来るほどの度胸も経験も持ち合わせていない。
 心臓は全力疾走した後みたいな状態だし、顔も身体中の熱が集まったんじゃないかと思うくらい熱い。
「先生、待って、心の準備が……っ!」
「そんなもん必要ねえよ。ほら、目、瞑れって」
 睫毛が触れそうなくらいの距離で吐息と共に囁かれ、ヒトミは言われるままぎゅうっと目を瞑る。
「馬鹿、そんなに固く閉じる奴があるかよ」
 笑い声と共に降ってきたのは唇ではなく瞼へのキスだった。
 驚いて目を開けたら、今度こそ彼の温かな唇が自分のそれに重なる。
 自然に瞼を閉じたヒトミに、若月はふっと吐息を洩らして、口づけの合間に「いい子だ」と呟いた。
 幾度も角度を変えて啄まれ、口唇に熱が灯ってくる。
 息継ぎのために微かに開けたそこからするりと舌が忍び入ってきて、思わず身を強張らせた。
 頬をしっかりと手で包まれているから、首を振って逃げることも侭ならない。
 激しい口づけにとろとろに蕩かされた頃、ヒトミは漸く甘い責め苦から解放された。
「せ、んせ……酷い……」
 肩で息をしながら恨みがましく睨め上げると、彼は意地悪く微笑んで額を突いた。
「子供扱いされたくないって言うから、ご期待に応えてやったんだがな」
 それは、まあ、確かにそうは言ったけれど……これはいくら何でも極端すぎる。
「なんだ、悦くなかったか?」
 若月の瞳が艶っぽく細められたのを見て、ヒトミは慌てて抱いていたクッションを彼に押しつけると、脱兎の如く部屋の隅まで逃げ出した。
「す、すみません、お兄ちゃんが心配してるんで今日はもう帰ります!」
 失礼なのは承知の上だが、こればかりはどうしようもない。
 だってこれ以上の刺激は心臓に悪すぎる。
 今でさえ壊れてしまうんじゃないかというくらい激しく脈打っているのだ。
 捲し立てるように言うだけ言って、ヒトミは後も見ずに彼の部屋から逃げ出した。
(先生、ごめんなさい、嫌なわけじゃないの! 嫌なわけじゃないんだけど心の準備がー!!)
 心の中で謝罪しながら、エレベーターに乗り込む。
 飛び出しそうな心臓を宥めるように胸を押さえ、彼女はずるずるとその場に座り込んだ。
 運動がてら走ってきたと言えば、この顔の赤さも誤魔化せるだろうか。
 痺れるような甘さが残る口唇には気づかないフリで、ヒトミはゆっくり息を吐き出した。


「ま、今はまだこんなもんだろうな……。さて、オレ様を待たせるからには、それなりのイイ女になってくれよ、ヒトミちゃん?」
 可愛い恋人に逃げられた傷心の恋人が、負け惜しみのように洩らしたその呟きを、彼女が知るのはもう少し後のお話。








遙か3の原稿を書かなきゃいけないっていうのに、
チャットで触発された若月×ヒトミ萌えは如何ともし難く……。
結局、原稿そっちのけで書いてしまいました。
チャットで提示されていた課題(テーマ)は「ほっぺホールドでチュウ」でした。たぶん。
もともと大好きなシチュなので嬉々として書かせて頂きましたよ!

とりあえず、あの場にいらっしゃった方のみ先行公開&お持ち帰り可(フリー)ということで!
構って下さった御礼の意味も込めて……。

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