賭け

Presented by Suzume


 自分の中に渦巻く思いに気づいたら、もう後戻りはできなかった。
 日に日に思いは強くなるばかりで、気がつけばいつもそのことばかり考えてしまっているのだ。
 まっすぐに見上げてくる無邪気な目に、何度理性を挫かれそうになったか知れない。
 半年前よりずっとスレンダーになった体躯を思いきり抱き寄せて、自分のこと以外考えられないようにしてしまえたら良いのにと思ったことも一度や二度ではなかった。
「先生?」
 ちょこんっ、と小首を傾げて、ヒトミが若月を覗き込んできた。
 彼が胸の内でどんなことを考えているかなんて、きっと思いつきもしないのだろう。
 惚れた女から、絶対の信頼を寄せていますというように見つめられて嬉しい男がいるとしたら、そいつはきっと聖者かマゾだ。
 残酷なくらい無垢な目に舌打ちしたい気分で、若月はさも面倒臭そうな素振りで顔を上げた。
「どうした?」
「先生、具合でも悪いんですか? また宿酔いとか?」
 片手で顔を覆うようにしていたから、頭痛でも起こしているんだと思ったのかもしれない。彼女は心配そうに眉を顰めて、若月の額にそぅっと手を当てた。
 子供だと思って侮っていたのに、制服の袖口から覗く白い手首は妙に艶めかしくて、思わず胸がドクンと音を立てた。
「別に、そんなんじゃねえよ」
 素っ気なく言って、彼はバリバリと頭を掻いた。
 らしくない。まったくもってらしくない。
 こんな小娘の仕草にいちいち反応してしまうだなんて、どうかしたとしか思えない。
 イライラと煙草をくわえようと胸ポケットを探って、つい先ほど最後の1本を吸い終わってしまったのだと思い出す。
 思わず肩を落として深々と息を吐き出した若月に、ヒトミは、
「先生、ほんとに変ですよ?」と言いながらますます距離を縮めてきた。
 彼女が若月に対して好意を抱いているのは、修学旅行の時の言動からも間違いない。
 しかしこの目の前の少女は色恋に対して呆れるほどに鈍かった。
 その鈍さ加減と言ったら、自分がどうして美貴からの伝言を若月に告げたくなかったのか、その理由が解らないというほどなのだから本気で始末に終えない。
 そんなのこちらの自惚れを差し引いたとしても、明らかすぎるくらい明らかではないか。
 あの日、雪の中でぐるぐると考え込んで風邪を引いてしまった彼女が、熱で潤んだ目でとつとつとその話をしたとき、若月はずっと己の中で否定し続けていたこの少女への思いを完全に認めた。
 閉じた瞼に口づけながら、誰にも渡したくないと強く思ったのだ。
 それでも最後の倫理観が邪魔をして、想いを告げるのは躊躇われた。
 自分と彼女は教師と生徒――決して大手を振って付き合える間柄じゃない。
 とはいうものの、みすみすケツの青いガキどもにくれてやる気ほどお人好しでもない。
 日を追うごとに周囲の男達が寄せる熱視線の数が増えていることに全く気づく様子もないヒトミは、若月が意味ありげな視線を向けるときょとんっとして小首を傾げた。
「先生?」
「そんなに顔近づけて、キスでもする気か? え、ヒトミちゃん?」
 にやりと笑って囁くように言ったら、彼女は飛び退るようにして彼から身を離した。
「ななな何言ってるんですか! そんなわけないじゃないですか!」
 耳まで赤く染めて、上擦った声で言い訳する姿は実に可愛らしい。
 ついついもっと苛めてしまいたくなるほどだ。
「ふん、脈はなくはない……か」
 彼女に聞こえないくらいの声で呟いて、若月は笑みを深くした。
「え?」
「いや、何でもねぇよ。ほら、そろそろ帰らねえと心配性の兄ちゃんが学校まで迎えにくるぞ」
「あっほんとだ、もうこんな時間!?」
 時計を確認して、彼女は慌ててコートを羽織って帰り支度を始めた。
「先生はまだ帰らないんですか?」
「ああ、書類作りがまだちっと残ってるんだ。気をつけて帰れよ」
 椅子に座ったまま言った若月に、ヒトミは一瞬だけ残念そうに顔を曇らせたが、すぐに仕方なさそうに笑顔を作って、
「それじゃ、お先に。先生もなるべく早く帰ってきてね」と言って帰っていった。
 彼女がいなくなった保健室はほんの少し温度が下がった気がしたが、胸の奥に灯った温かさはしっかりと残っている。
「早く帰ってきてね、か……」
 同じマンションに住んでいるのだから、その言葉は間違いではない。
 けれど、それはひどく意味深な台詞に聞こえた。
 本人はこれっぽっちも意識していなかったのだろうが、少なくとも思わず若月をどきっとさせるほどの効果があったのは事実だ。
「ったく、このオレ様を手の平の上で転がすなんて、大した女だぜ」
 苦笑しながら嘯いて、彼は壁に掛かったカレンダーに目を向けた。
 バレンタインまであと数日。
 もしも彼女がバレンタインにチョコを持ってきたら、その時はホワイトデーに思いを告げよう。
 それは、先ほど思いついた賭けだ。
「ま、勝ち目のない賭けだとは思わないがな」
 脈はなくはない。
 若月は笑みを深くして、スチール椅子の背もたれに体重を預けるように伸びをした。








初挑戦の若月×ヒトミです。賭けの行方は、プレイヤーの方々次第ということで!(笑)
きっと修学旅行の夜にはある程度の覚悟はできていたんだろうと思うんですが
若月先生はああ見えて結構真面目なところのある人だと思うので
自分に対する言い訳みたいな、思い切る理由を捏造してみました。
書きかけでフリーズして数行お釈迦にしたりもしましたが、その分思い入れが強いお話になりました。

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