隠し撮り

Presented by Suzume


 職員室に書類を届けて保健室に戻ろうとした若月は、階段脇で楽しげに談笑している男子生徒に目を止めた。
 ちなみに今は授業中だ。
 お世辞にも真面目とは言えない彼だが、仮にも教職の端くれにある身としては見て見ぬ振りをするわけにもいかない。
 面倒だが二言三言注意しておくかと嘆息して肩を竦めたところで彼らのタイの色に気がついた。
 ヒトミと同じ色――ということは、即ち三年だ。
 三年生は時期的にもう自由登校になっていて、授業に出席する義務はない。
 受験勉強のために自宅での学習を選ぶ生徒もいるし、学校に来ていても図書室などで自習している生徒もいた。
 それならば自分が注意する必要はない。
 まぁ自由登校とはいえ他学年は授業中なわけだから、こうして廊下で談笑しているのは注意の対象になるのだろうが、彼はそこまで教育熱心な部類ではない。
 他の教師が見つけたら注意するだろうと思いながら立ち去ろうとした若月だったが、
「それにしても、さっきの桜川、まじで可愛かったよな!」という言葉が耳に入って再び足を止めた。
 桜川なんてそんなに多い苗字ではないし、保険医という仕事柄全生徒の名前は目を通してあるがその苗字の持ち主はこの学校には一人しかいない。つまり彼らの言う「桜川」というのはヒトミのことに他ならないわけだ。
 今はまだ教師と生徒という間柄だから大っぴらにはできないが、二人は密かに想い合う関係だ。
 他の男の口から恋人の名前が出てきたこと自体は面白くないが、彼女が誉められるのは悪い気はしない。
 何となく立ち去りそびれてしまい、若月はどうしたものかと頭を掻いた。こんな場所で教職員が生徒の雑談を盗み聞きしているというのはあまり誉められたことではない。他の教師に見つかったりしたら厄介の種だ。
 そう考えて彼は縫い付けられたように動かなかった足をぎこちなく動かした。
 が、その足が宙に浮くより僅かに早く、続けられた言葉に再び足を縫い止められた。
「ほら、見ろよこれ」
 携帯電話を開く音と得意げな声に若月は訝しく眉を潜めた。
 話の流れから察するに、それはもしや……と胸の内がシンと冷えた。
「えっ!? これ、さっきの桜川じゃん! お前いつのまにこんなの撮ったんだよ!」
「……が椅子引いたときにでかい音立ててたじゃん。その隙にな」
 よく撮れてるだろ、と言う声はいっそ得意げでさえあった。
「うっわ、油断も隙もねぇな! でも俺も欲しい」
「じゃぁ赤外線で送ってやるよ」
 悪びれることなく会話を続ける彼らには、隠し撮りをしたことへの罪悪感などというものは欠片も見受けられなかった。
 若月は迫り上がる苛立ちの波を抑え込み、自らの気持ちを落ち着かせるように目を伏せて一つ二つ深呼吸をした。
 それから踵を返して階段の下に陣取った生徒達の元へ無言で歩み寄って、問答無用で持っていた携帯電話を取り上げた。
「お前ら、何やってんだ?」
 いつものように飄々とした笑顔で、取り上げた携帯を検分する。そこにはほぼ予想通りヒトミが写っていた。それもよりによって寝顔だ。どんな夢を見ているのか、口元は幸せそうに笑みの形を刻んでいて、あどけなさが残るその顔は恋人の欲目を差し引いても可愛らしい。
「隠し撮り、か」
 これ見よがしに写真を確認して、青くなった生徒達を見下ろしつつ低い声音で言った。上背のある自分が床に座り込んでいる彼らからどの程度の威圧感を与えるかというのも計算ずくだ。
「わ、若月先生……」
 自由登校中とはいえ今は授業中、しかも隠し撮りの写真をやりとりしているところを見咎められたとあって、二人とも竦んだ様子を見せた。
 いくら生徒達からは兄貴分のように慕われている若月であったとしても、こういう場を見咎められてなあなあで見過ごしてくれるほど甘くはないと程度の認識はあるらしい。
 この時期にこんな風にぶらぶらしていることから察するに進路は既に決まっているのだろう。しかしこの問題が大事に発展したら、せっかく決まっていた進路がふいになるかもしれない。青くなった彼らの表情からそんな計算が透けて見えた。
「お前ら知ってるか、こういうの、肖像権の侵害って言うんだぞ」
「そ、それは……」
「す、すみません!」
 開き直るでもなく素直に萎れて謝るあたり可愛げがあると言えなくもない。何やかやと言い訳を並べ立てることもなく反省の意を見せるのも高評価だ。
 個人的な心情としてはもう少しいびってやりたい気持ちもないではなかったが、さすがにそれは大人げないと自戒した。
 たとえば自分をこいつらの立場に置き換えたとき、近頃可愛くなったと評判の同級生の寝顔を記念にこっそり撮って心のアルバムに収めたい――とかいう甘酸っぱい心境も全く理解できなくはなかったからだ。もっとも実際にやったかどうかといえば、それはまた別の話だが。
 若月は大仰に溜め息をついて取り上げた携帯を返してやった。
「見つけちまった以上、見過ごすわけにはいかないからな。二人とも、オレ様の目の前で今の写真消すこと。ちゃんと確認するからな。他にも隠してるのがあったら今の内に一緒に消しとけよ」
 真面目くさって促した彼の前で、二人は慌てて携帯を操作した。叱られ慣れてない様子からみても、普段はそれなりにいい子ちゃんで通している生徒なのだろう。授業中にこんなところでこんなことをしていたのも卒業前にちょっと悪ぶってみたかったといったところかもしれない。そう考えれば、彼らにとっては実に間が悪いとしか言いようがない出来事だ。
 この期に及んで隠し立てしたり逃げを打つほどの度胸はないだろうが、念のためおかしな動作をしていないか観察した。消す写真が一枚で済まないのは、それだけ隠し撮りをしていたというわけではなく、単に大人に見られて困るような年相応のファイルがあれこれあるからだろう。そんなところまでチェックするつもりはないが、彼らの気持ちも解るので敢えて急かしたりせず黙って見守った。
 待つこと暫し、二人が改めて差し出してきた携帯電話を受け取った。
 正直なところ、若月個人としてはヒトミの写真さえなければ他はどうでも良いのだが、いくら何でもそんなこと口にも態度にも出すことはできないし、教職員の立場からこうして要求した以上、形だけでも吟味しないわけにはいかない。
 ざっとスクロールして確認してみたが、取りたてて問題になりそうなものはなかった。
 勿体ぶって返したら、二人はあからさまに安堵して強張っていた表情を緩ませた。
「ま、あんまりうるさいことは言いたかねえが、羽目を外すのも程々にしとけよ」
 反省した様子で項垂れている二人の頭を軽く小突いて、若月はひらひら手を振ってその場を後にした。
 はたして自分は彼らの目に「いつも通りの若月先生」と映っているだろうかと苦く思いながら。

 若月が詰めていた息を吐き出したのは保健室のドアを潜ってからだった。
 苛立ちを紛らわせるかのようにどっかと椅子に腰を下ろして乱暴に頭を掻く。
「ったく、あんな無防備な寝顔晒しやがって」
 腹が立つのは、自分を差し置いてその姿を拝んだ連中に対してなのか、あるいはそんな無防備な寝顔を晒したヒトミに対してなのか――心の中に渦を巻く感情は自分自身にも判別できない。
 ただ、そんな些細なことで苛立つ自分の狭量さを否が応もなく自覚させられたのは事実で、それが闇雲に腹立たしい。
「あんな顔は、オレ様にだけ見せときゃいいんだよ」
 思わず口から零れ出た言葉は、まるで悔し紛れの負け惜しみのようだ。
 それに気づいた若月は、忌々しげに舌打ちしながらポケットから煙草を出して火を点けた。
「このオレ様が、あんな年下の小娘にこんなに翻弄されてるだなんて、ざまあねえな」
 そう独りごちた唇に浮かんだのは苦笑の形。
 一番厄介なのは、それも悪くないと思ってしまう自分自身だったかもしれない。






書きかけで放置していたものを発掘して補完したものです。
タイムスタンプは2007年でした。4年前かぁ……。
(書き始めはもっと前かと思っていたのですが、どうやらそうでもなかったようです)
そんな古いファイルなのに文体が全然成長してないというかむしろ退化しt……げふんげふん
リハビリがてらの習作ではありますが久々にラブレボ書いて楽しかったです!

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