彼女の写真

Presented by Suzume


「じゃーん!」
 颯大が誇らしげに掲げた携帯電話の画面を見て、橘剣之助は思わず絶句して固まった。
 そこには彼の年上の恋人が、あろうことかバニーガールの格好をして写ったいた。
 写真はバストアップのものだったから下がどうなっているのかまではわからないが、それでも充分に露出度が高い。
 レオタードというのだろうか、ストラップレスの水着みたいな上衣は、こんな小さな画面でも彼女の綺麗な肩のラインや浮き出た鎖骨を魅惑的に浮かび上がらせていたし、ぴったりとした布地は豊満な胸の谷間をこれでもかというくらい強調していた。
 ふわふわのウサギの耳が付いたカチューシャを着け、はにかんだような笑顔を浮かべている姿は、惚れた欲目を差し引いても文句なしに可愛い。
 可愛いが、しかし、恋人の立場でそれを見逃すことは到底できなかった。
 どんな経緯があって颯大の携帯にこんな写真が収められたというのかは剣之助の与り知るところではないが、何にせよ写真を撮ることができたということはヒトミがこいつの目の前でそういう格好をしたという事実に他ならない。
 剣之助は凄味のある目で颯大を睨んで、
「寄越せ」と低い声で命じた。
 彼にしてみれば級友のちょっと狼狽えたところが見たかっただけなのだろうが、標的を剣之助にしたのは相手が悪かったというべきだろう。
 思わず怯んだ颯大の手から素早く携帯電話を取り上げて、データを消去するべくキーを操作する。
 と、我に返った颯大がひったくるようにして携帯電話を取り戻した。
「何するんだよ!?」
「消すに決まってんだろ!」
 ムキになって再び携帯を取り上げようとした剣之助だったが、颯大の方も大人しく奪われるほど鈍くはなかった。
 彼はもともとのすばしっこさを有効活用してちょろちょろと教室内を逃げ回る。
 突然教室内で始まった追いかけっこに級友達が何事かと興味津々の視線を向けてきていたが、二人はそんなのには全く頓着せず、ドタバタと机の間を縫って走り回った。
 やがて颯大は教室の端に辿り着いて、ひらりと廊下に躍り出た。
 剣之助は小さく舌打ちをして、机を薙ぎ倒さんばかりの勢いで自らも廊下に飛び出した。
 廊下は人という障害物があるものの直線距離だ。追いつける見込みは充分にある。
 確かに颯大は俊足だが剣之助だって負けてはいない。50メートルのタイムはお互い似たようなものだが、運動部の剣之助と文化部の颯大では日頃の鍛え方も違うし、何より今回は意気込みが違う。
 徐々に距離を詰めて、剣之助は遂に颯大の襟首を掴んだ。
「ほら、寄越せって!」
「絶対いやだね! あっ、ヒトミ先輩! 助けて!!」
 腕をねじ上げるようにして携帯電話を取り上げようとしていた剣之助は、そんな手に乗るかと振り向きもしなかった。
 だがしかし、どうやらそれは口から出任せではなかったらしい。
「なにしてるの、こんなとこで?」
 後ろからかけられた声は紛れもなくヒトミのもので、さすがの彼も動きを止めた。
 その隙を衝いて颯大が転げるように逃げ出した。
 相変わらずのすばしっこさでヒトミの後ろに隠れるあたりが何とも小憎たらしい。
「先輩、退いてください」
 据わった目で言う剣之助に怯むことなく、彼女はきょとんっ、としながら小首を傾げた。
「ねえ、何があったの?」
「それは……」
「剣之助のやつ、酷いんだよ。こないだの写真を見せてやったら、ボクの携帯取り上げてデータ消そうとするんだもん」
 横暴でしょ、と付け加える颯大に、剣之助の中で何かが切れた。
「自分の女のあんな写真を他の男が持ってたら誰だって腹立つだろうが!」
 思わず声を荒げた彼に、ヒトミが一気に赤面した。
「ちょっと橘くん、そんな大声で変なこと言わないでよ!」
 慌てて剣之助の口を押さえて、周囲をきょろきょろと見回す。
 幸い廊下にいたのはごく少数の生徒で、そのどれもが剣之助の声に驚きはしたものの、内容までは聞き取れてはいなかったようで、すぐに興味を失ったように自分達の会話に戻っていった。
 彼女はほぅっと安堵したように息をついて、ゆっくりと剣之助の口から手を離した。
「それで、あんな写真ってどんな写真?」
 怪訝そうな表情で振り返ったヒトミに、颯大が悪戯っぽく目を光らせた。
 どこか勝ち誇ったようなその表情は妙に癇に障ったが、ヒトミの手前、剣之助は奥歯をギリッと噛み鳴らすに留めて怒りを抑えた。
「これ」
 携帯電話を受け取ったヒトミは興味深そうに画面を見て、
「これって……なんでこんなの撮ってるのよっ!?」と叫んだかと思うと、剣之助の目から画面を隠そうとするように大慌てでフラップを閉じた。
 先ほどの比ではない大声に再び周囲の人間の視線が集まったが、剣之助が不機嫌そうに一瞥すると、彼らは慌てて視線を背けた。
 居合わせた人間の興味を引いてしまった以上、ここでの会話は避けた方が良さそうだ。
 素知らぬ顔をしてはいても、誰が聞き耳を立てているかわかったものじゃない。
「ちょっと場所移しましょう」
 剣之助は真っ赤な顔で固まっているヒトミの手から颯大の携帯電話を抜き取って、返事も待たずに歩き出した。
「あっ待てよ! ボクの携帯返せってば!」
「それは、先輩の許可を得たらな」
「た、橘くん……」
 上擦った彼女の声が追いかけてくるのを背中に受けながら、剣之助は内心で溜息をついて屋上へ続く階段を上がった。
 この様子だと彼女は颯大がこんな写真を撮っていたことは知らなかったのだろう。
 とはいえ、どうしても嫉妬じみた感情が燻ってしまうのは、こんな扇情的な格好を他の男の前で晒した彼女の迂闊さが腹立たしいからだ。
 もちろんヒトミにそんな意図がないのは百も承知だ。
 寄せられている男達の視線になど全く気づかない鈍感な彼女のことだから、今回のことにしても颯大に良いように言いくるめられたとか恐らくそんなところなのだろう。
 だが、それにしたって無防備にもほどがある。
 だから調子に乗って颯大がこんな写真を携帯に収めたりするのだ。
 相手が颯大だったから良かったようなものの、一歩間違えば変な脅迫に使われたりする可能性だってあったかもしれない。
 落ち込むヒトミに追い打ちをかけるような真似をするのは心苦しいが、そこのところはきっちり言っておかなくてはと……剣之助は心を鬼にして決意を固めた。
 屋上に着いた三人を気まずい雰囲気が包む。
 最初に口を開いたのは剣之助だった。
「で、あの写真は一体どういうことなんスか?」
 彼女は躊躇いがちに視線を泳がせたが、すぐに覚悟を決めたように顔を上げた。
「こないだ部活で衣装整理してたら出てきたの。あれ、私達が1年のときの文化祭で、カーテンコールのときにみんなが着てステージに上がったんだけど……」
 ヒトミが決まり悪げに事情を説明するのに、彼は黙って耳を傾けた。
 彼女の話によると、2年前の文化祭で演劇部はミュージカル風の劇を演じたらしい。
 去年の文化祭では上演時間が早かった演劇部だが、その年は舞台での演目の最後を飾ったこともあってカーテンコールに応えたという。その衣装があれだったのだそうだ。
 舞台に上がったのは当然ながら役を演じた生徒達だけだった。
 ステージの上で、目映いライトを浴びながら誇らしげにラインダンスを踊る仲間達を、裏方のヒトミは羨望の眼差しで見つめていたという。
 いつか自分も同じように舞台に上がれたら……と。
 ダイエットに成功し、また今までの努力が認められたこともあって、今年の新入生歓迎会では見事舞台に上がることが叶ったヒトミだったが、さすがにこのときはその年の文化祭のようなカーテンコールは行われなかった。
「もうすぐ引退だし、もう着る機会もないから、ちょっとしたお遊び気分で他の裏方だった子達と着たの。女子の中にはふざけて撮ってる子もいたけど、まさか颯大くんまで撮ってたなんて思わなかったから……その……」
 上目遣いで言い訳する彼女の目には、うっすらと涙のようなものが浮かんでいる。
 不機嫌顔で話を聞いていたから、相当怒っていると思われたのだろう。
 これではまるで不当に苛めているようだ。
 剣之助が大きく溜息をついて口を開こうとした瞬間、
「ほら、剣之助が怖い顔してるから先輩泣いちゃったじゃないか!」と颯大が横から割り込んだ。
 これにはさすがにカチンときて、彼は怒りも露わに颯大の頭を拳で挟むようにしてこめかみをグリグリやった。
「だ・れ・の・せ・い・だ!?」
「痛いってば!」
 悲鳴を上げてするりと逃げ出した級友にチッと小さく舌打ちをして、剣之助は愛しい先輩に向き直った。
 申し訳なさそうに縮こまっているのをこれ以上見るのは忍びない。
「まぁそういうことならしょうがないッスけど……。でも正直、他の男があんな写真持ってるのは嫌なんで」
「うん。ごめんね。今度こういう機会があっても絶対男子のいないとこでするから」
 解ってるんだか解ってないんだか、今ひとつ説得力に欠ける言葉で頷くヒトミに苦笑して、彼は再び颯大に目をやった。
「で、これは当然消去して良いんだよな、深水? 先輩の了承なく撮った、いわば盗撮みたいなもんだし」
 凄味のある目で睨んだ剣之助に、颯大は悪びれる風もなく肩を竦めて了承の意を示した。
 絡んできた上級生ですら萎縮するほどの彼の眼光に全く動じないのだから、案外肝が据わっているのかもしれない。
 剣之助は内心の感心は表に出さないまま、容赦なくデータを抹消した。
「他にも隠し撮りしてた先輩とかいたから、部長に言っておいた方が良いかも。ボクは剣之助とか鷹士さんに見せようと思っただけだけど、他の先輩はどうかわからないし」
 事も無げに言った級友に、思わず剣之助は言葉を失った。
 後半はともかく、前半は……。
「鷹士さんに見せる気だったのか? あの写真を?」
 そんなことをしたら、あの超が付くシスコンの鷹士のことである、一体どんな事態になるか――。
 例えば、
「ヒトミがお小遣いに困ってバニーガールのバイトを!?」とか、
「無理矢理こんなコスチュームを着せられて……!!」などと見当違いの誤解をしかねない。
 前者ならまだしも、後者の場合、下手をしたらそんな写真を持っている颯大を縊り殺しかねない。
 いや、さすがに殺人にまでは及ばないとは思うが、それでも未遂くらいなら充分に有り得る……ような気がする。
 ヒトミも似たような考えに到達したらしく、真っ青になって颯大の肩を掴んで、
「そんな命知らずな真似、絶対にしないで!!」と揺さぶっていた。
 当の本人はけろりとして「大丈夫だってば」なんて笑っているのだから始末に終えない。
 人騒がせな級友に、剣之助はこれ見よがしに肩を落として嘆息した。

「でもさ、剣之助、本当はちょっと惜しかったんじゃない?」
 先に階段を下りていく颯大が振り返ってそう言った。
「何が?」
「先輩のバニー姿。消す前に、自分の携帯に送っとけば良かったって、ちょっとくらいは思ったんじゃないかなって」
 からかうような颯大の口調に、ヒトミがハラハラした様子でこちらを伺っている気配が伝わってきて、剣之助は不敵に口の端を持ち上げた。
「そんなの思うわけないだろ」
「なーんだ」
 ちぇっと言いながら、、颯大は一段ぬかしで階段を下りていった。
「ボク、飲み物買ってから戻るから先に行くね!」
「ああ」
 駆けていく後ろ姿を見送って、剣之助は不意に階段を下りている足を止めた。
 すぐ後ろを歩いていたヒトミが止まりきれずにぶつかりそうになる。
 それを支えてやる振りをして、
「見たかったら、写真なんかじゃなくて直に見せてもらうつもりなんで」と囁いた。
 一瞬何を言われているのかと目を丸くした彼女だったが、すぐに剣之助の言葉の意味を理解して、見る間に耳まで赤くして俯いた。
「た、橘くんにそんな趣味があるなんて、知らなかった!」
 負けじと言い返してくるものの、そんなに真っ赤になって言っていてはまるで負け惜しみのようにしか聞こえない。
 その様子があんまり可愛らしいものだから、剣之助は気を良くしてこめかみにそぅっと口づけた。
「そんな趣味なんてないけど……先輩のそういう格好ならちょっと見てみたいッスね」
「……ばか」
 小さく漏れた呟きに、剣之助は他の誰にも見せないような笑顔を浮かべた。
 可愛くて愛しいこの年上の恋人なら、きっとどんな格好をしていても剣之助の心を捉えて離さないだろう。
 彼はもう一度、今度は唇に素早くキスをして、
「じゃ、俺ももう教室に戻ります」と踵を返した。

 後日、演劇部の男子の携帯が部長を始めとする女子部員によって検められ、隠し撮りされていた件の写真は残らず消去させられた。
 密告したのが誰かはついぞ判らなかったらしい。








今回はちょっと趣を変えてコメディ路線で!
なぜバニーガールかというのは、単にSuzumeの趣味です。猫耳では説得力に欠けるというのもあります。
決して、先生(=杉田さん)が出ている某アニメの影響ではありません(笑)
ちなみに、そのときのカーテンコールでは男子もバニーの格好をしたとかしないとか。
きっとそれで翌年から演劇部がトリを飾ることがなくなったわけですね。
颯大くんが微妙に黒くてしたたかな雰囲気なのは、Suzumeの認識がそうだからです。
誰とくっついたにしても、彼は実は密かに一発逆転・起死回生を狙っている気がしてなりません……。

Go Back