Teach me teacher

Presented by なばり みずき
illustration by 睦月由羅様



 宿酔いで頭痛がするという若月に配慮して、今日のデートは中止になった。
 別に無理して出掛けなくたって、一緒にいられるだけで幸せなのだから全然問題はない。
 彼の部屋で、彼のために紅茶を淹れるというのは、何だか奥さんのようで嬉しかったし。
 そんな和やかな時間を楽しんでいたヒトミだったが、
「あっ」
 突然思い出してしまった現実に思わず顔を曇らせた。
「どうした?」
 小さな声だったし、テレビを見ているから気づかれなかったかと思ったが、耳聡くヒトミの声に気づいた若月が振り返って訊いてくる。
「いえ、そういえば今週は宿題があったんだったなあって……思い出して……」
 何もこんなタイミングで思い出さなくても良かったのにと思わないではないものの、出された宿題の量を考えると、思い出したのが今でよかったと言えなくもない。
 なにせ出された宿題の量は問題集数ページに及ぶもので、とてもではないが夕方から始めたとしたら今晩中に終えられる自信はない。
 名残惜しいけれど、今日はこのまま帰って宿題に精を出した方が良さそうだ。
 生真面目なヒトミは『明日誰かに写させてもらう』なんてことは全く考えつかず、肩を落として深々とため息を洩らした。
「何ならオレ様が見てやろうか?」
 思いがけない言葉にヒトミはまじまじと彼を見つめ返してしまった。
「……数学なんですけど、先生解るんですか?」
「あのなあ、おまえ、オレ様のことなんだと思ってるんだ? 大学出てんだぞ、高校生の数学ぐらい解るに決まってんだろうが」
 不満そうな口調とは裏腹に、向けられる眼差しはとても優しい。
 面倒見の良い若月は、教え方もとても丁寧で解りやすい。それはダイエットの時に充分すぎるくらい実感したことだ。
 彼が教えてくれるのであれば、大量の宿題も案外時間が掛からず終えることが出来るかもしれない。
「じゃあ、お言葉に甘えて、教えてもらっても良いですか?」
 期待に満ちた瞳で見上げると、
「可愛いヒトミちゃんの頼みだもんな」
 彼は少しだけ意地悪そうに口の端を持ち上げた。
 明らかに何か企んでいそうなその笑みに、ヒトミの中で警戒信号が点灯する。
「……………………やっぱりやめます」
「なんでだよ?」
「なんでって……先生、何か企んでそうなんだもん」
 抗議するように唇を尖らせて言うと、若月は「ご名答」と笑みを深くした。
 こんな予想ばっかり当たっても嬉しくない……とこっそり思う。
「そりゃ、せっかくのデートの時間を割いて教えてやるわけだから、こっちにも役得がないとやる気が出ないだろ」
「せっかくのデートを宿酔いでフイにした人に言われたくないです」
 素直じゃないなと自分でも思うが、一度口をついて出た憎まれ口はとまらない。
 どうか先生が呆れてしまいませんように。
 内心でドキドキしながら彼の反応を窺ったヒトミだったが、
「そういう時は『どんな役得ですか』って訊くのが礼儀だろうが」
 若月はこちらの可愛げない態度など全く気に留めた様子もなく言を継いだ。
「じゃあ訊きますけど……先生はどんな役得を期待してるんですか?」
「そうだな、1問間違える度におまえからキスしてくれる、とかな」
「そっ、そんなの……!」
 たぶん自分は今盛大に赤面していることだろう。
 鏡を見なくてもわかる。そのくらい顔が熱い。
 鼓動は全力疾走した後みたいに早くなっていて、今にも飛び出してしまいそうだ。
 だって、キスって……。
 若月からされるのだってあんなにドキドキするというのに、それをこちらからするだなんて、絶対に無理だ。
「何だよ、そんな可愛い顔されたら、こっちからキスしたくなるだろうが」
 耳元で甘く囁かれて、ヒトミは反射的に固く目を瞑った。
 もうダメ、心臓が壊れそう。
「あ、あの、私……っ」
 上擦った声で逃げ出すための口実を紡ごうとしたら、
「間違えなきゃいいだけの話だろ」
 笑いを含んだ声で先手を打たれた。
 この場面で、負けず嫌いなヒトミの逃げ道を塞ぐのに一番有効な台詞をさらりと吐く辺り、やっぱりこの人には叶わない。
 罠だというのは解っているのに、どうしても抗うことが出来ない。
 それに、子供っぽい悪戯を仕掛けてくるところもあるけれど、だからといって決して嘘を教えたりしないと信頼もしている。
「ペナルティがあった方が集中も出来るし、一石二鳥だろ」
 最後の一押しとばかりに告げられた言葉に、ヒトミは敢えなく陥落した。


 若月の策略は功を奏し、数ページに及ぶ宿題の問題集で、彼女が間違えた問題の数は異例とも言うべき少なさだったが、やはり全問正解というわけにはいかなかった。
「雰囲気を出すためだ」なんて言って伊達眼鏡を掛けた彼は、いつもとどこか違って見えて、それがヒトミの誤答を引き出した大きな要因だったのだが、それはさすがに悔しいので自分一人の胸に留めておくことにする。
 だって、見とれて集中できませんでしたなんて、それこそ恥ずかしくて言えない。
 斯くして、ヒトミはひどく恥ずかしい思いをしながら彼に口づけをする羽目に陥ったのだった。










またしても絵チャの産物です(笑)
ちょうど浮かんだ小ネタと、由羅さんが描かれていた先生の表情が私の中でバッチリ噛み合ってしまいまして
会話にも参加せず裏窓でこそこそ必死に書いてました。
本当は梨菜さんが書かれていた別ネタ用にイメージされていたものだったようなのですが
後から書き足された眼鏡版先生を、頼み込んで掻っ攫ってきてしまったのでした。
そんなわけで、ちゃっかり一緒に展示させて頂いた次第です。
転載許可下さいました由羅さん、ありがとうございました〜!
Go Back