あまいくちびる

Presented by なばり みずき


 部屋に書簡を届けにきた花は、玄徳が休憩中だと知ると、自分も少しだけここで休憩していきたいと言った。
 ここのところ忙しくてゆっくり二人で過ごす機会もなく、淋しい思いをさせていたのかもしれない。
 師である孔明からこんな用事を言いつけられたとか、芙蓉から料理を教わったとか、そんな他愛ないことを表情をくるくる変えて話す。その様子は惚れた欲目を差し引いても実に愛らしい。
 手を伸ばせば触れられる距離で、こんな風に可愛い表情を余すことなく見せつけられ、玄徳は早々に我慢することを放棄した。元々机仕事よりも馬に乗って駆け回っている方が性に合っているのだ、溜まっていた鬱屈も理性を手放させる後押しになった。
 会話が途切れた一瞬の隙を逃さず、強引にならないよう自然さを装って口づける。
 形ばかりの抵抗は全くその意図を為さず、却って玄徳の情を煽った。
 啄むだけの口づけで済ませるつもりだったのが、だんだん止まらなくなってくる。より深く重ね合わせようと柔らかな口唇をなぞった玄徳だったが、
「……甘いな」
 微かに触れた舌先に感じた予想外の甘さに、思わずそんな呟きを洩らした。
 途端、頬を朱に染めながら花が伏し目がちに自らの口唇を指先でなぞる。
 本人はそうと意識してのことではないのだろうが、仕草が何だか妙に艶めかしい。
 まだ幼さの残る面差しとは対称的な色気を感じ、玄徳の喉がこくりと鳴った。
「あぁ、さっき雲長さんからもらった蜂蜜ジュースの所為かも!」
 思い当たったのが嬉しかったのか、花はふんわり微笑んで報告してくる。その表情は無邪気そのもので、玄徳の意気を挫くのに充分すぎる効果を持っていた。
(狙ってやっている……わけではない、か)
 なまじ相手がこれまで幾度となく自軍の危機を救った軍師なだけに一瞬そんな疑惑に駆られたが、花がそういった駆け引きが出来るような性格でないことは玄徳だとて重々承知している。
 そんなこちらの心裡など知らぬげに、花はぺろりと自らの舌で口唇を舐めると「甘いかな?」と小首を傾げた。
 きっと彼女自身にそんなつもりは更々ないのだろうというのは解っているが、なけなしの理性を試されているような気になってくる。
「おまえは……自分の言動が周りにどういう影響を与えるのか、もう少し自覚してくれ」
 我ながら婉曲な言い回しだとは思ったが、玄徳は辛うじてそう言を継いだ。
 誘われている気になる、とはさすがに言えない。言葉にしたら、たぶんきっと止められない。胸を張って言えるようなことではないが。
「……?」
 対する花はというと、不思議そうな顔をしてまっすぐこちらを見つめ返してきた。
 やはり通じなかったようだ。無理もない。こんな言葉で察してくれるのであれば、こうもしばしば思わせぶりな態度をとったりはしないだろう。
 しかし、駆け引きなど知らずに振る舞うその無邪気さこそが彼女の魅力でもある。
 花の一挙手一投足にいちいち反応してしまうのは、自分がそれだけ彼女に惚れているからに他ならない。
 そうでなくても花の柔らかな口唇はくせになるような甘さなのだ。もちろん味的な意味ではなく。
(言ったところで解ってもらえないんだろうが)
 玄徳は心の中でそう呟くと、愛しい少女の細腰を攫うように抱き寄せた。
「ひゃっ!?」
「つまり、あんまり可愛いことばかりされると、俺がこういうことをしたくなって止まらなくなるということだ」
 返事を待たずに口づける。先ほどのものとは違い、最初から深く、噛みつくように。
 震える口唇を舌先でなぞると、腕の中で華奢な身体がびくんと跳ねた。
 大切にしたいと思っているのに、反面、めちゃくちゃにして泣かせてみたいとも思うのは自分がどこかおかしいのだろうか。
 玄徳はこのまま流されてしまいたい気持ちを無理矢理押し殺し、名残惜しい気分で身を離した。
 そんなに激しい接吻だったわけでもないのに、花は頬を上気させて喘ぐように息を吐いている。驚かせてしまったためか、微かに潤んだ瞳がたまらなく扇情的だ。
 この接吻で止めておくつもりが、予想に反しますます煽られる形となってしまい、玄徳は自業自得だというのは百も承知ながら天を仰ぎたいような気分に陥った。
「……玄徳さんのキス魔」
 花はぽつりとそう呟くと、口元を押さえて踵を返した。そのまま止める暇もなく部屋を飛び出していく。
 伸ばしかけた手は宙に浮き、
「……いや、これで良かったんだよな」
 玄徳は誰に言うともなくそう零した。
 あのまま向かい合っていたら、時も場所も状況すらも考えず止まらなくなっていたかもしれない。
 いくら休憩中とはいえ昼日中に執務室で事に及ぶわけにはいかない。
 頭の中いっぱいに広がる雑念を払い除けるように大きく息を吐いて気合を入れ直す。
 とても仕事をする気分ではなかったが、今は目の前に積まれた書簡の山を片づけるのが急務だ。これが一段落すれば、花と二人きりで過ごす時間も作れるだろう。
 柔らかな口唇の感触と甘い蜂蜜の味は、玄徳の身体から蓄積していた疲れを霧散させ、この後の仕事は驚くほどよく捗った。

 余談だが、後日、花があの時に言い捨てた『キス魔』というのがどういう意味かと訊ねたら、彼女は真っ赤な顔をして「知りません!」とそっぽを向いてしまった。
 玄徳が花の機嫌を直すのに四半時ほどの時間を要したというのはまた別のお話。








拍手御礼用にと思ってたので短めですが、一応初書きの玄徳×花です。
書きかけのが詰まってしまったので、先に書き上がったこちらからアップした次第。
堪え性のない玄兄が大好きです!!

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