初めての恋心

Presented by なばり みずき


 休日前夜、芙蓉の部屋を訪れた花は、なし崩し的に彼女の部屋へ泊めてもらうことになった。
 寝台は広いし、女二人が一緒に眠るのに支障はない。
 元の世界で友達の家に泊まりに行く感覚を思い出し、花は何だか懐かしさを感じて浮き足立った。
 その気持ちが伝染したのか、芙蓉もまたどこか落ち着かない。
 灯りを消して床に就いてからも、少女達の密やかな話し声は微かに部屋に響いていた。

「もしかして、花の初恋って玄徳様なの?」
 内緒話をするように、殊更に声を潜めて問われ、一瞬返す言葉を失った。
 射し込む月明かりのもと、おずおずと視線を向ければ好奇に煌めく芙蓉の瞳にぶつかって、どうやって誤魔化そうかという考えも吹き飛んでしまう。
「たぶん……」
 口を突いて出た言葉は、そんな頼りないものだった。
 恋多き親友の話を聞けば羨ましく感じたりしたものだが、それを自分の身に置き換えてもピンとこなかったのは事実だ。そういう欲が薄かったのかもしれない。
「たぶんって何よ、自分のことでしょう?」
 呆れたように笑われて、花もつられて「確かにそうだね」と笑った。
 その瞬間、記憶に何かが引っ掛かった。
 不意に虚を突かれたような顔で黙り込んだ花に気づき、芙蓉が怪訝に名前を呼ぶ。
「初恋で思い出したんだけど、そういえば……」
 花は朧気な記憶を追いかけるように視線を宙に彷徨わせた。
「小さい頃、近所に面倒見の良いお兄ちゃんがいたの。幼稚園に通ってた頃だから……4歳か5歳くらいの頃で、向こうは小学生だったから、たぶん5つか6つくらい上だったんじゃないかな」
「ふうん?」
 芙蓉の興味深そうな相槌に励まされて、花はとりとめのない思い出話を更に続ける。
「でね、いつだったか、お祭りの時に親とはぐれちゃって泣いてたら、そのお兄ちゃんがお父さんとお母さんを一緒に捜してくれたの。友達と一緒だったのに、放っておけないからって言って。はぐれて間もなかったからわりとすぐに見つかったんだけど、凄く心強かったのを覚えてる」
「……なんだかちょっと玄徳様みたいね」
 密やかに告げられた言葉に、花は破顔して頷いた。
「うん、今の今まで忘れてたんだけど、思い出したら同じこと思ったんだ。そういえば、あのお兄ちゃんもよく頭撫でてくれたなあって」
 迷子になって心細かった時、繋いでくれた手の力強さが不意に思い起こされる。そしてそれは、危ない時にいつも手を差し伸べてくれる玄徳のそれとどこか似ているような気がした。
「初恋の人と似ていたから好きになったのか、それとも玄徳様を好きになったからこそその相手を思い出してそんな風に感じたのか……難しいところね」
 揶揄するような声音に少しだけ頬が熱くなった。
 言われてみれば、今こうして玄徳のことを好きにならなければ思い出しすらしなかった相手だ。芙蓉の言はいちいち的を射ている。
「何にしても、そのことは玄徳様には言わない方がいいわよ」
「どうして?」
 特に言うつもりはなかったが、そんな風に言われると理由が気になる。
 小首を傾げて問う花に、芙蓉はこれ見よがしに盛大なため息を吐いた。
「考えてもごらんなさいよ。好きな女の口から他の男の……しかもちょっと良い感じの思い出話なんて聞かされて喜ぶ男がいると思う? ううん、この際、男とか女とかは関係ないわ。あなただって玄徳様から他の女の話なんて聞きたくないでしょう?」
 言われてぐっと詰まった。
 それは花にも嫌というほど身に覚えがある。
 今は偽物だったと判っているが、それでも尚香が嫁いできてからの日々を思い出すとまだ胸がキリキリと痛む。
「それは、確かに……」
「玄徳様は大概心の広い方だけれど、花に対してはちょっと過保護すぎるくらいなところもあるし、たとえ表には出さなくても、そういう話を聞かされたらやっぱり心穏やかではいられないんじゃないかしら。駆け引きとして使うという手段もあるかもしれないけど、今はそんな必要もないくらいうまくいってるんだし、変に波風を立てるのがオチでしょうね」
「そ、そんなに釘を刺さなくても言わないよ」
 芙蓉があまりに理路整然と、しかしどこか脅かすように言うものだから、花は慌ててかぶりを振った。
「それに、芙蓉姫の言う通り、今の今まで忘れてたんだよ。それが本当に初恋だったのかもわからないのに……」
「はいはい。じゃあ、わからないって言うなら、玄徳様が初恋ってことにしておきなさい」
 笑いを含んだ声で言われたのには答えず、花はそっと目を閉じた。

 芙蓉に言われるまでもなく、こんなに胸を焦がすような想いを抱いたのは玄徳が初めてだ。
 子供が抱く淡い憧れなどではなくて、もっと強くはっきりとした恋情。
 一度は諦めたつもりだった。それでも諦めきれなくて、身を切られるような思いを何度も何度も味わった。
 元の世界で聞いた『初恋は実らない』というジンクスは本当だったのだと枕を濡らしたのも一度や二度じゃない。
 こうして玄徳と想いを通わせ合った今でも、時々これが夢なのではないかと思うことがある。
(あのジンクスが本当なら、初恋は玄徳さんじゃない方がいい)
 目の奥がじんわり熱くなっていくのを感じながら、花は忍び寄る睡魔の手を取った。
 夢のように幸せな今が、永遠に続きますようにと願いながら。








直接的なやりとりがないので日常余話にしようかと思いましたが、視点が花ちゃんなのでカテゴリは玄花で。
実は玄兄が立ち聞きしてた…ってバージョンも考えたんですが
それやると無駄に長くなりそうなのでバッサリここで終わらせました。

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