花ちゃんのほっぺ

Presented by なばり みずき


 それは玄徳、雲長、翼徳を交えて今後のことについて打ち合わせをしていた時のことである。
 難しい話が一段落し、場が雑談の流れになったところで、翼徳がふとこんな言葉を洩らした。
「そういえばさ、花のほっぺたって柔らかそうだよな」
 あまりに脈絡なく切り出された話題に少々面食らいつつも、
「まあ、確かに柔らかいですね」
 孔明は如才なくそう応じた。
 花に限ったことではなく、女の頬というのは男のそれに比べるととても柔らかいものである。
「なんかさ、餅とか桃とかみたいだなって思うんだけど」
 それもよく喩えられる例だ。
 これにも「そうですね」と頷いた孔明だったが、
「見てるとたまに食いたくなるんだよなあ。なんか美味そうじゃねえ?」
 さすがにこの言葉は想定の範疇を超えていた。何か言うべきだろうとは思うものの、残念ながら咄嗟に気の利いた言葉が出て来ない。
 そもそも翼徳の真意も解らなかった。何も考えていなさそうな気もするが、だからといって晏而や士元を相手にする時のようにざっくり切り捨てられるほど親しいわけでもない。
「あいつは食い物じゃない。腹が減ってもいきなり食いついたりするなよ」
 代わりに言葉を発したのは雲長だった。諭すような口調で言を継ぐ。
 しかしこれもまたどう反応するべきか少し迷う発言である。どこまでが冗談でどこまでが本気なのか窺い知れない。
 雲長はあまり冗談を言いそうな人物には見えないが、それは孔明がまだあまり打ち解けていないからそう思うだけで、気心の知れた義兄弟の間では必ずしもそうとは言い切れないだろう――たぶん。
「そりゃあもちろんいきなり食いついたりはしないけどさあ。でも、見てるとたまに食ってみたくなるんだよな、あのほっぺた」
 翼徳は白湯を啜りながら尚もそう言い募った。
 こうして聞いているとだんだん本当にやりかねない気がしてくるから不思議だ。
 複雑な心中を持て余しつつ会話に加われずにいると、
「やめておけ。そんなことをしたら、孔明の羽扇が飛んでくるぞ」
 次に玄徳が口を挟んだ。
 生真面目な人物だと思っていたが、こういう冗談も言うらしい。
 さりげなく自分と花の仲を揶揄されて少しばかり居心地の悪い気分を味わったが、そんな感情をあっさり表に出すほど孔明も可愛げのある性格はしていない。素知らぬ顔で受け流す。
「別に羽扇なんか飛んで来ても怖くないけど」
 翼徳は玄徳の言葉を受け、けろりと言い放った。そこには一片の邪気もない。
 ここで苛立つのは子供相手に本気で怒るようなものだ。
 とはいえ、引き合いに出されているのが自分の愛しい少女となれば、はいそうですかと引き下がるのも面白くない。
 よくよく見れば、玄徳や雲長は明らかに面白がっている態である。
 この様子であれば少しくらい物騒な冗談を言っても許されそうだ。
 孔明はそんな空気を感じ取ると、羽扇で口元を覆って目を細めた。
「この羽扇は少々趣向が凝らされていましてね、羽根の間に刃が仕込んであるんですよ。普段はしまわれていますが、ちょっとした仕掛けを動かすと刃が出る仕組みになっているんです」
「そんなものが飛んで来たらひとたまりもないな」
「しかも敵方からじゃなくて味方の中から飛んでくるんだからな」
 孔明の大嘘を受け、玄徳と雲長もその尻馬に乗る。
 そこで初めて翼徳の顔が顰められた。
「うわー、それ、なんかまるで芙蓉の鉄扇みたいだな」
 その一言に悪ノリしていた三名はそれぞれ表情を強張らせた。
「……芙蓉か」
「ああ、芙蓉がいたな」
「芙蓉殿なら冗談ではなく本当にやりかねませんね……」
 たとえばこれで本当に翼徳が「美味そうだから」などと言って花の頬にかぶりついたと仮定して、その現場に芙蓉姫が居合わせたとしたら――考えるだに怖ろしい。
 花のことを溺愛している彼女が怒号と共に鉄扇を振るう姿はあまりにも容易く想像出来た。しかもその場合、花には傷を負わせず、鉄扇は確実に翼徳だけを切り裂くに違いない。
 男達の間に何とも言えない沈黙が落ちる。
「と、とにかく、命が惜しかったら花の頬に齧りついたりするなよ、翼徳」
「第一、美味そうに見えても、あれは食い物じゃないからな」
「そうですよ、翼徳殿。腹の足しになるようなものではありませんから」
 三者三様の制止の言葉を受け、翼徳は気圧されたように頷いたのだった。








拍手の御礼用掌編としてアップしていたものです。
もうあまりよく覚えていないのですが、たぶん初書きの師弟ネタです。
師匠は大好きだし、師弟ネタを読むのも好きなんですが
自分で書くとなると何を考えているのかとても解りにくくて難しいです。
考えを読ませない、食わせ者なあたりも魅力なんですけどね。
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