殺し文句 Presented by なばり みずき
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日頃は何かと危なかしくて目が離せない花だが、なるほど自信があるというだけあって果物の皮を剥く手つきは全く危なげなところがない。刃物の扱いもずいぶんと慣れたものだ。器用に果物を回しながらするすると剥いていく。 「うまいもんだな」 玄徳は感心しながら呟いた。 自分もこういう作業は得手な方だが、花には及ばないだろう。 「ええ、元々こういうのは得意だったのでしょうね。最近は料理の腕もめっきり上がってきているし、飲み込みも早いので私も雲長殿も教え甲斐があります」 にこやかに芙蓉も太鼓判を押す。 料理上手を自負する彼女の口からここまで手放しの賞賛を得られるというのは珍しい。同じくらいの力量を持つ雲長もこの言葉には異論を差し挟むことなく頷いているし、そのことからみても説得力は推して知るべしといったところだ。 「やっぱり上達の秘訣はやる気の善し悪しといったところかしら。気合の入り方が違うものねえ?」 「もう、からかわないでよ」 くすくす笑いながら揶揄した芙蓉に、花が手を止めて抗議する。 頬を朱に染めて落ち着かなげに視線を泳がせる様は実に愛らしい。からかわれている内容が自分に関することでなければ一緒に楽しんでしまいたいほどである。 しかし、実際のところ、芙蓉の揶揄は決して的外れなものではなかった。 花の料理の腕を飛躍的に上達したらしめたのは、玄徳への差し入れを頻繁に作っていたためというのが大きい。それを証拠に、花の得意料理はどれも玄徳の好きな食べ物ばかりだ。 「だが腕を上げたことは事実だ。それについては自信を持っていい」 助け船のつもりか、雲長が静かに言を継いだ。その声はからかうような雰囲気ではなく真面目なものだ。 その言葉を受けて、花の肩からふっと力が抜ける。 「そうですね、ちょっとは上達したかなって自分でも思います。一番最初の時は作りすぎて警衛の兵の人にお裾分けしたりしたけど、最近はちょうど良い量で作れるようになったし、味だけじゃなくて見映えの方も及第点になってきました」 邪気のない笑顔で告げられた言葉に、玄徳は思わず噎せそうになった。 少し前に自分がやらかしたちょっとばかり後ろめたいことを思い出したのと、その相手がそういえば自分の執務室の警護を務めていたことに思い当たったからだ。 もしかしたらという直感は状況を振り返るにかなり信憑性が高く感じられる。 女性二人の会話はいつのまにか違う話題に移っていたが、玄徳だけは何とも言えないしょっぱい気分を味わっていた。 ふと、視線を感じてそちらに目を向けると、雲長の生温かい眼差しとぶつかった。 勘の良いこの義弟のことだから、きっと今の会話と玄徳の表情から何かを察したのだろう。 「……頼む、何も言ってくれるな」 渋い顔で言うと、雲長は心得ているというように頷いた。 「まあ、あいつはああいう奴ですからね。玄兄が気を揉むのも解る気がします。苦労しますね」 苦笑とともに告げられた言葉は自分の狭量さを指摘されているようで――もちろん雲長にそんな意図がないことは百も承知で、これはあくまで後ろ暗いことのある我が身が勝手に感じただけのものだが――ざっくり斬りつけられたような気分を味わった。 「でも、あいつは玄兄しか見えてませんから、その点は安心していいんじゃないですか」 「ああ……そうかもな」 あれだけまっすぐに好意を寄せられているというのに、その気持ちを疑ったりしたら罰が当たりそうだ。 「玄徳さん、雲長さん、剥けましたよ」 弾けるような笑顔で剥きたての果実を差し出してきた可愛い恋人に、玄徳は様々な情感を込めて礼を言った。 「芙蓉、俺達はそろそろ行くぞ」 「雲長殿に指図されるのは甚だ不本意だけど……そうね、これ以上お邪魔して馬に蹴られたくはないし。それでは玄徳様、ごゆっくり。花、また後でね」 取り残された恋人達は、その解り易すぎる配慮に顔を見合わせて苦笑した。 綺麗に皿へ盛りつけられた果実は二人で食べるには些か多いが、食べきれない量ではない。 早速ひとつ摘んで食べると、口の中いっぱいに甘い果汁が広がった。 「美味いな」 「美味しいですね」 自分も一緒に頬張りながら、顔を綻ばせて花が頷く。 玄徳は気を利かせてくれた雲長と芙蓉に感謝した。彼らがどうというわけではないのだが、この笑顔を独り占めできたことがたまらなく嬉しい。たかだかこんな些細なことで気持ちが浮き立つだなんて我ながら相当末期だとは思ったが。 「玄徳さん? 食べないんですか?」 こちらの視線に気づいたのか、花は手を止めて不思議そうな眼差しを向けてきた。その表情はまだどこか幼さすら残しているというのに、果汁の着いた指を舐める舌先は妙に艶めかしく、その差異に目が吸い寄せられる。 「玄徳さん?」 再び名を呼んだ花の声が不安に揺れていることに気づき、玄徳は緩く微笑んだ。 心配性の彼女のことだから、きっと返事をしない玄徳に余計な気を揉んでしまったのだろう。 ここで、おまえが可愛くて見とれていた、なんて告げようものなら、頬や耳どころではなく項まで赤く染めてしまうことだろう。 一瞬、それも見てみたいという誘惑にかられたが、やりすぎると泣かれてしまうのは想像に難くないので、今日のところは頭の中で考えるに留める。 代わりに、玄徳は別の返事をすることにした。 「これからも、俺のために料理を作ってくれるか?」 「え……?」 「出来るなら、他の誰かのためではなく、俺だけのためにその腕を振るってほしいんだが……」 たとえお裾分けでも、せっかくの彼女の手料理を他の男の口になど入れてやりたくない。 そんな思いで言を継いだのだが、なぜか花は大きな目をいっぱいに見開いて、それから頬を染めて照れ臭そうに頷いた。浮かんだ笑顔は玄徳が知る中でも指折りのもので、どうして彼女がこんなにも嬉しそうなのか見当がつかなくて狼狽える。 何がそんなに花の琴線に触れたというのか。 喜んでくれたのは素直に嬉しいが、理由が解らないのは少々どころかかなり居心地が悪い。 聞こうか聞くまいか迷ったが、有耶無耶にするのもすっきりしない。玄徳は意を決して理由を訊ねることにした。 「喜んでくれるのは俺も有難いんだが……どうしてそんなに嬉しそうなのか、理由を訊かせてもらってもいいか?」 こちらの単刀直入な問いに、花は恥じらうように視線を落として、 「私の世界で、男の人が女の人にプロポーズ……求婚する時に使う常套句みたいなものなんです。『君の手料理が毎日食べたい』って。玄徳さんはそういうつもりで言ってくれたわけじゃないって解ってるんですけど、やっぱり嬉しくて」 それはそれは幸せそうにそんな説明をした。 (この状況で、そういう殺し文句を吐くか……!) こんなにも破壊力抜群な可愛い科白とはにかんだ顔の合わせ技を惚れた女から食らって、それで平然としていられる男がいたら、そいつはよほどの朴念仁か不能に違いない。 玄徳は奥歯をぎりっと噛みしめて突き上げる衝動をやり過ごそうとしたが、とても易々と抑えきれるものではなかった。 「あの……迷惑でしたか」 こちらの反応を誤解した花がしゅんと俯いたところで理性が折れた。 (いや、むしろここまで抗った俺を誰か誉めてくれ!) 思わずそんな言い訳じみたことを思いながら、殆ど条件反射で距離を詰め、腰を攫うようにして抱き寄せる。小柄な身体は大して苦もなくふわりと浮き上がり、横抱きにしたまま膝の上に座らせた。驚きのあまり固まってしまっている表情にどうしようもなくそそられて、掠めるように口づける。 「花は俺の忍耐力をへし折る名人だな」 「えーと……それって私の所為なんですか?」 「少なくとも、俺にこうも容易く理性を手放させるのは未だかつておまえ以外いないんだがな」 告げると、花は困ったのと嬉しいのの混ざったような複雑な表情でへらっと微笑った。 「玄徳さんこそ、私のこと浮かれさせる天才ですよね。ちょっとした一言で簡単に踊らされちゃう」 「それは俺の科白なんだがな」 しかし、同じことを彼女も思ってくれているのだとしたら、これほど嬉しいことはない。 花も全く同様のことを考えていたらしく、顔を見合わせて二人で笑った。 「口づけてもいいか?」 どさくさに紛れるように一度口づけておきながら、こうしてわざわざ問う辺り、我ながら浅ましいとは思う。だが、こうして一度触れてしまうと情欲は増すばかりで、とても抑えきれるものではない。 免罪符が欲しい――そんな玄徳の思いを汲んでくれたのか、はたまた彼女も同じ気持ちだったのか、目元を仄かに染めた花は小さく頷いて瞼を閉じた。 口唇を重ねた瞬間、花の腰が反射的に引けるのはいつものことだ。それを難なく捕まえて抱き寄せ、啄むように口唇を食む。彼女の身体からゆるゆると力が抜けていった。これもまたいつものことだ。舌先でなぞったら跳ねるように肩が強張る。安心させるように背中を撫でてやりながら、深く深く口づけた。 柔らかな感触と湿度は玄徳の胸に狂おしいほどの甘さと熱を宿すものだ。病み付きになる。 長い口づけの末、離れがたい気持ちと漸く折り合いをつけて解放すると、彼女はくったりと玄徳の腕の中で力を失った。立っていたらきっとその場に座り込んでしまっていたことだろう。 「大丈夫か?」 とは自分が言えた義理ではないような気もしたが、一応そう訊ねた。 見上げてくる潤んだ瞳と上気した頬は誘うように色気を醸し出していて、あどけない表情との不均衡な危うさに思わず喉がこくりと鳴る。 「すみません、ちょっと力が入らなくなっちゃって」 力なく微笑むその表情は、玄徳にとって凶器といっても差し支えないものだった。 (だから、頼むからそんな可愛い顔でそんな可愛いことを言ってくれるな!) 届かないとは知りながら、思わず心裡で絶叫する。 自業自得と笑わば笑え。 玄徳は持ち得る自制心を全て掻き集め、努めて平静を装い――それが傍から見て叶っていたかどうかは別として、この場に於いては花にだけ気づかれなければそれで充分だ――彼女を元々座っていた位置に下ろしてやった。 「大丈夫か?」 「はい、お手数掛けてすみません」 恐縮したように花が謝罪の言葉を口にしたが、この場合謝るべきなのはどう考えても玄徳の方だろう。気にするなというのも変な気がしたが、他に適当な科白が見当たらないのでそんな言葉で濁す。 払拭しきれない微妙な空気に先に音を上げたのは花の方だった。 皿に二切れほど残った果実の片方を摘んで口の中に放り込み、妙に慌てた様子で飲み込むと、 「玄徳さんも食べちゃって下さい」 と皿ごと差し出してきた。 どうせなら手ずから食べさせてほしかったと思わなかったと言ったら嘘だが、さすがにそれをねだったらせっかく花が散らしてくれた甘ったるい空気がまたぞろ戻ってきてしまう。 玄徳は促されるまま最後の一切れを口にした。 それを見届けた花は、手早く果物の皮やら刃物やらを空いた皿と共に盆の上に纏めた。 「それじゃあ、私もそろそろ仕事に戻りますね。師匠が戻ってくるまでに書簡の整理を終わらせておかないと叱られちゃうので」 何もそんな逃げるように出て行かなくてもいいだろう。 そんな気持ちがちらりと頭を掠めたが、確かにこちらにもまだ仕事が残っている。 聡明な花のことだから、師匠が云々と言ったのは、こちらが変に気を遣わないようにという配慮もあるのだろう。 「そうだな。存分に休憩もしたことだし、俺も仕事の続きをするか。ご馳走様」 少々わざとらしい気もしたが、そうとでも振る舞わなければ自分の気持ちの切り替えもままならない。 名残を感じさせない足取りでそのまま辞そうとした花だったが、その足が扉の前で不意に止まった。 「どうした?」 「えっと……」 言いにくそうに口籠もる。 と、彼女は意を決したように顔を上げて、 「今夜も差し入れ持ってきます。明日も、明後日も……出来る限り毎日。練習してもっと上手になりますから、玄徳さんのためだけに作らせて下さい。じゃあ、失礼します!」 言うだけ言って、花はこちらの返事も聞かずに出て行ってしまった。ぱたぱたという足音があっという間に遠ざかっていく。 「……やられた」 最後の最後にまたしても殺し文句を投げつけて、颯爽と去っていってしまうのだから、本当にタチが悪い。 玄徳は浮かし掛けた腰をどかりと下ろして、片手で半顔を覆った。 たぶん、今の自分は最高に情けない顔をしていることだろう。いや、それともやに下がった顔かもしれない。 「本当に、あいつには敵わないな」 誰に言うでもなく独りごちて、玄徳は苦笑を交えつつ吐息する。 一筋縄でいくような相手なら、きっとここまで惚れなかった。 些細なことでこうやって惚れ直されてくれるような少女だからこそ、自分はここまで参ってしまっているのだろう。 そんな女はたぶんこれから一生掛かっても花以外にはお目に掛かれないに違いない。 (まあ、振り回される相手があいつなら本望か) つくづく末期症状だと思いながら、玄徳は机に積まれた書簡の山を攻略に掛かった。 今夜も夜食を差し入れてくれる愛しい少女と少しでもゆっくり過ごす時間を作るために。 |
元の長さはこの1/4くらいの長さの小ネタでした。 さすがにちょっと短いかなーと加筆したらこんな長さに…(笑) 玄兄が堪え性ないのは仕様です(キッパリ) |