とある穏やかな休日

Presented by Suzume

「玄徳さん、いつも忙しいんですし、今日くらいはゆっくりして下さいね」
 そんな可愛らしいことを、言葉に負けないくらいの愛らしい笑顔で言う花に、玄徳は思わず相好を崩した。
「ああ、そうさせてもらう」
「えぇーと、何かしたいこととかないですか?」
 彼女は久しぶりに二人きりで過ごせるということもあってはしゃいでいるらしく、その声もどこか弾んでいた。
「いや、花の方こそ何かないのか? 俺は、お前と二人きりで過ごせるだけで充分満足なんだがな」
「私もそうですよ。玄徳さんと一緒にいられるならそれで充分です」
 恥じらいを覗かせる花の笑顔は彼の心に仄かな温かさを灯した。
 と、部屋の外から人の気配を感じて、玄徳は小さく咳払いをした。
「玄徳さん?」
「いや……」
 まさか休暇中の主君の部屋を興味本位で訪れるような不粋な輩はいないだろうが、彼はもともと多忙な身の上だ。私室にいれば火急の用件などで邪魔が入らないとも限らない。
 そうでなくてもこうしてゆっくり顔を合わせるのは数日ぶりなのだ。できることならば誰にも邪魔されることなく過ごしたい。
「どこか、出かけるか?」
「えっ?」
「この時間からではそう遠くへは行かれないだろうがな。だが、せっかく天気も良いことだし、外で気分転換するというのも良いだろう」
 玄徳の提案に、彼女はその名の通り花が綻ぶような笑顔を見せた。
「はい、じゃぁ支度してきますね」
「いや、遠出するわけじゃないと言っただろう。ほんの数里ほど馬を走らせる程度だ、特に支度など必要ない。行くぞ」
 そう告げた彼は、目を白黒させる花の手を引いて部屋を出るや、人目につかない通路を通って厩へ直行した。
 番をしている兵は当然の務めとして行き先を尋ねてきたが、玄徳は悪びれるでもなく、
「あまり不粋なことを聞いてくれるな」と笑って答えをはぐらかした。
 それが州牧として適切な行動でないということは充分承知していたが、国内外の情勢は今のところ安定しているのだし、たまの休日くらい職務を忘れたところで罰は当たるまい。
 斯くして彼は可愛い恋人と共に、まんまと城を抜け出したのだった。

 玄徳が愛馬を止めたのは城から少し離れた小高い丘の上だった。
 見晴らしも良く、吹き抜ける風も心地いい。
「ここなら邪魔も入らないな」
 その呟きに、彼女はちょこんっ、と可愛らしく小首を傾げた。
「お城でも邪魔は入らないと思いますけど」
「あぁ、もちろん直接的な邪魔という意味じゃない。だが、城内だと絶えず人が行き来しているから落ち着かないだろう」
「うーん、そういうものですか?」
 解っているんだかいないんだか――おそらく解っていないのだろう。花は不思議そうな顔をしながら、それでも一応納得したように頷いた。
 馬を少し離れた樹に繋ぎ、玄徳は日当たりの良い場所を選んで腰を落ち着けた。彼女もそれに倣って隣に腰を下ろす。
「凄い景色……」
 眼下に広がる雄大な景観に、花が思わずといった調子でそう漏らした。
 豊かな自然が自慢の益州ではそう珍しい光景でもないのだが、普段城に詰めていることが多い彼女の目にはよほど新鮮に映ったらしい。城から程近い場所でこんな景色が味わえるというのも驚きに拍車をかけているようだった。
 これだけ喜ばれたらそれだけで連れて来た甲斐もあるというものだ。
「夕暮れどきは更に凄いぞ。辺り一面が夕陽に染め上げられて息を飲むほどの美しさだ」
 以前、視察の帰りに偶然その光景を目にしたのだが、それはまさに圧巻といえる素晴らしさで、いつか絶対に花に見せてやりたいと思っていたのだ。
「今日は天気も良いし、夕方までここで過ごして、その景色を見てから帰ろう」
 そう告げれば、彼女は破顔して頷いた。
 それから二人は特に何をするでもなく、その場に寝転がり、他愛ない話などをして過ごした。
 花の声は鈴を転がすようで耳に心地良い。
 日頃の疲れと、うららかな陽気と、愛しい恋人の涼やかな声。
 それら全てが玄徳の心を穏やかに満たしていき――いつしか玄徳は眠りの海へと身を委ねてしまっていた。


 目が覚めたとき、辺りは夕陽の赤に染め抜かれていた。
 空も、遠くに見える山々も、眼下に広がる景色も、自分を見下ろす花の姿も、何もかもが赤一色だ。
 その光景はあまりにも幻想的で現実味が薄く、彼は己がまだ夢の只中にいるのではないかと錯覚した。
「花……」
 名を呼べば、柔らかな声が「はい」と答える。
「よっぽど疲れてたんですね。よく寝てましたよ」
 華奢な指が、まるで猫を撫でるかのように玄徳の髪を優しく梳って、その心地良さに再び瞼が落ちそうになった。
 しかし風はもう冷たくなってきているし、あまり帰りが遅くなれば騒ぎになってしまうかもしれない。
 名残を振り切るように身を起こせば、自分が何を枕代わりにしていたのかが知れた。
「すまない、お前の膝を借りていたのか」
 道理で寝心地が良かったわけだ、とは口には出さず胸の内だけで呟いた。
「足が痺れたりしていないか?」
「大丈夫です。貴重なものも見られましたし」
 そう言って、花は嬉しげに顔を綻ばせた。
 眠る前に話していたことを思い出し、
「あぁ、この光景か」と呟いた玄徳だったが、彼女は悪戯っぽく微笑んで首を振った。
「ん? 他にも何か珍しいものでもあったのか?」
「はい。玄徳さんの寝顔です」
 得意げに告げられた言葉は彼を面食らわせるのに充分な威力を持っていて、返す言葉も見付からず、玄徳はひどく落ち着かない思いを味わう羽目に陥った。
「そんな、大したものでもないだろう」
 何とかそう取り繕ってみるも、花は楽しげに顔を綻ばせるばかりだ。
「そんなことないです。いつも私ばかり玄徳さんに寝顔見られてますから、凄く新鮮でした」
 ここまで喜ばれてしまっては取り繕うこともできない。
 やれやれと嘆息した彼は、降参だというように肩を竦めてみせた。
 可愛い恋人がこんなに喜んでくれるのであれば、寝顔の一つや二つ見られたところでどうということもない。
 それに、そう遠くない将来、床を共にするようになれば嫌でも晒す機会は増えるのだから。
 せめてもの意趣返しとばかりに、帰りの馬上でそう囁いてやれば、花は耳まで赤く染めて俯いてしまった。

 こんな穏やかな日々がずっと続くことを祈りながら、二人は帰途に就いたのだった。
 それは、とある休日の穏やかな一コマ。








※ペーパーより再録(初出 2012/06/24 ラヴコレクション2012 in Summerにて発行)

ラヴコレ2012夏での蜀プチコレクションのペーパーラリーに参加するにあたり
ネタに詰まって右往左往してたなばり姐さんに頼まれて久々に書いた玄徳×花です。
どのくらい久々かって、プチアンソロ以来という久々っぷりでした。
思えばオフラインでしか書いたことなかったんですね、玄徳×花。これが通算3作目でした。
相方からは「蜀プチだから師弟でも玄花でも書ける方で!」と言われてたのですが
玄徳×花で申し込んでるのだから玄徳×花が良かろうと思って頑張りました。
あまりに久しぶりすぎて何が書きたいのかさっぱりなお話になってしまいましたがそこはご愛敬で!

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