惚気

Presented by なばり みずき


「惚れた欲目なんだろうか」
「? 何か言いましたか、玄兄?」
「気のせいか、花が日に日に愛らしさを増している気がするんだが……やはりそれは俺の惚れた欲目がそう見せているんだろうか」
 一瞬何の冗談かと思ったが、玄徳の表情は大真面目である。
 雲長は眉間に皺を寄せて嘆息した。
「玄兄、惚気なら後にして下さい」
 幸い今はまだ他の武将や文官達もいないが、ここは州牧たる人の執務室である。いつ何時部下が訪れるか判らないような場所で吐き出すには少々不謹慎な発言だ。
「今は俺とおまえしかいないんだ、少しくらいいいだろう」
 まるで弱音でも吐くような口振りでそう言うと、玄徳はそのまま机に伏した。
 想う相手と気持ちを通い合わせたばかりだというのに、なぜこうも疲れた様子なのだろう。
 それに、先刻の惚気た発言内容とこの態度はあまりにもそぐわない。
「……花と何かあったんですか?」
 直接詳細を見聞きしたわけではないが、二人の間に紆余曲折があったことは雲長もよく知っている。それが元で些細な口論でもしたのだろうかと水を向けてみたのだが――
「どうも、顔を合わせる度にあいつの可愛さが増している気がしてならないんだ。最初は、ここのところあまり見せてくれなくなった笑顔が増えたせいかとも思っていたんだが、それだけではなく、なんというかこう……匂い立つような愛らしさが加わったというか……。惚れた女が愛嬌を増すのは男としては嬉しいところだが、他の男の目にもそう映っているのかと思うと少しばかり複雑でな」
 返ってきたのは馬鹿馬鹿しいくらい直球の惚気だった。
 真面目に心配したこちらが間抜けに思えるほどである。
 とはいえ当の本人は惚気ている自覚があるのかないのか、その表情は真剣そのものだ。難しい顔をして頭を掻いている様は、傍から見たら、軍の難局を憂いているのではないかと誤解を与えそうな図である。
 雲長は眉間の皺を一際強く刻み、先程よりも一層深いため息を洩らした。
「玄兄、花が可愛く見えるのだとしたら、それは彼女が惚れた相手と想いを通わせたがゆえです。他の男の目にどう映ろうと、あいつの気持ちは揺るがない。そこは自信を持って、見せびらかしてやるくらいの気持ちになった方が賢明です」
 ああ、自分はどうしてこんな下らないことを大真面目に諭しているのだろう。
 雲長はちょっと遠い目をしながら、憔悴しきった様子の義兄の肩を叩いた。
「それよりも玄兄がそんな様子ではあいつが気を揉むでしょう。もう暫くしたら他の将達も集まります。花と想いを通わせた途端に色惚けしたなんて噂でも流れたら、あいつが肩身の狭い思いをしますよ」
 実際にはそんな心配は露ほどもしていなかったが――玄徳はいつだって己の立場を弁えている男だし、そうでなければ自分の心を殺してまで孫尚香との婚儀を選択したりはしなかっただろう――敢えてそんな言葉を選んで告げる。
 雲長にこんな態度を見せるのは、義兄弟としてのささやかな甘えなのだろう。これまでだったら決して見せてくれることのなかった顔だが、花とのつきあいで少しばかり柔軟性が増したのかもしれない。
「確かに、あいつは変に気にして自責の念に駆られそうだ」
 苦笑を浮かべたその眼差しはやけに甘い。
 花と二人きりの時に見せる表情はきっともっと甘いに違いない。
 たまにはこんな風に気の抜けた義兄の顔を見るのも悪くないと思ったが、それは自分の胸の内だけに留めておく。
「今日の軍議には花も参加するんでしょう? やに下がった顔をしていたら芙蓉にどやされますよ」
 惚気られた意趣返しとばかりに釘を刺すと、玄徳は「それは困るな」と笑って身を起こした。
 それからふと何かを思い出したように相好を崩す。
「あいつの言った通りだな」
「何がです?」
 雲長が生真面目に聞き返すと、
「花が以前言っていたんだ、雲長は飴と鞭の使い分けが巧いと」
 悪びれることなく玄徳が言った。
 それは果たして誉められているのか否か……。
 複雑な表情でどう返すか迷っていると、妙に晴れ晴れとした様子で玄徳が大きく伸びをした。
「それじゃ、軍議までにもう一仕事終わらせるか」
 何がどう働いたのかは解らないが、彼がやる気を出してくれたならそれに越したことはない。
 雲長はひとつ頷くと、玄徳と手分けして書簡の山を片づけ始めたのだった。








拍手の御礼用掌編としてアップしていたものです。
日常余話、別名「見守る人々 第1弾 雲長篇」といったところでしょうか(笑)
他の人ルートの雲長さんはどれも好きですが、中でも玄兄ルートの雲長さんは面倒見良くて特に好きです。
なので、ものすごく楽しんで書いた覚えがあります。
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