続・惚気 〜花の場合〜 Presented by なばり みずき
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「はあ……」 野菜を切っていた花の口から大きなため息が零れ落ちた。 珍しいこともあるものだ。 玄徳の元へ偽尚香が嫁いできて暫くの間は鬱ぎ込んでいる姿も散見していたが、その件が落着してからはその名の通り花のような笑顔ばかり見せていたというのに。 「どうかしたのか?」 雲長は自分も刃物を扱う手を止め、傍らの少女へと声を掛けた。 悩み事か、それとも心配事でもあるのか。 重大な案件ならば玄徳の耳にも入れておくべきかもしれない。 そんな懸念を抱きながら何気なさを装って訊ねた雲長だったが、 「玄徳さんって格好いいですよね……」 返ってきた言葉を聞いて激しく後悔した。 似たような会話を、つい最近、別の人物と交わした記憶が蘇る。 またこのパターンか、と思わずげんなりしてしまうのも致し方あるまい。 「惚気なら他を当たってくれ」 芙蓉辺りならばきっと喜んで耳を傾けることだろう。 そう言外に告げてため息混じりに言い捨てると、彼女は真っ赤な顔でかぶりを振った。 「ち、違います! 惚気とか、そんなんじゃなくて……!!」 「わかった、わかったから刃物を振り回すな」 こういう冷やかしに慣れていない花が狼狽えた勢いのまま手を振り回すのを、さり気なく距離を保って制止する。我に返った彼女はますます顔を赤らめて、身を縮こまらせるようにして俯いてしまった。 「す、すみません」 「いや、こっちも配慮が足りなかった」 ああいう言い方をすればこの少女がどういう反応を示すかなど、少し考えれば容易に想像がつく。この場合、状況や言葉を選ばなかったこちらにも非はあるだろう。 落ち着きを取り戻した花は再び野菜を切る作業に戻りながら自嘲気味な微苦笑を浮かべた。 「玄徳さんは統率力もあって、みんなから信頼されていて、格好良いじゃないですか。私みたいな平凡な女の子が隣に並んでたら、やっぱり見劣りしちゃうなあって」 せめて釣り合いが取れるくらい綺麗だったらいいんですけど、と付け加えて肩を竦める。 そう言う花自身といえば、玄徳と気持ちを通わせてからというもの、それこそ蕾が綻ぶように日々愛らしさを滲ませていて、年若い兵などはその姿を偶然見掛けるだけで浮き足立つほどである。これでは玄徳が要らぬ気を揉むのも解らないではないと雲長でさえ思っているくらいなのだが、どうやら本人にはそんな自覚は露ほどもないらしい。 雲長は沈んだ様子の横顔を眺めながら、 「別に、おまえだって気後れするような容姿ではないだろう。俺は玄兄と並んだおまえを見て、特に見劣りするなどと思ったことはないが」 つい、らしくない言葉を告げてしまった。 「そう、ですか?」 自信なさげに見上げてくる表情と、どことなく小動物を思わせる仕草は庇護欲をそそられる。少しでも花に気のある男がこんな姿を見せられたらひとたまりもないだろう。 (なるほど、玄兄が必要以上に心配するわけだ) 内心で苦笑しながら思ったが、しかしそんな感情はおくびにも出さず、再び作業を再開させた。 「俺もそうだし、他の連中だって、おまえのことをそんな風に思ったりしていない。誰かに何か余計なことを吹き込まれたというわけでもないんだろう? だったら胸を張っていればいい。背中を丸めていたら、本当に見劣りするようになるぞ」 芙蓉あたりに聞かれたら、またぞろ「気が利かない」だの何だのとやいやい言われそうだが、敢えて厳しい言葉を選んで突き放す。 普通の少女なら、もしかしたら萎縮してしまうかもしれない。 しかし花は半ばこちらの予想していた通り、顔を上げて、それから少しだけ晴れやかな表情で微笑んだ。 「そうですね。わかりました。まだ自信はないけど、玄徳さんの隣に並んで恥ずかしくないように、これから精一杯頑張ります」 すっきりした様子で再び野菜を切り始めた彼女の横顔には、もう先刻のような迷いや憂いは微塵もない。 こういう前向きさは花の美点の一つだ。 切り替えの速さはもちろんだが、そのための努力を惜しまない心の強さも兼ね備えている。 それはまるで、踏まれても決して屈することなく咲き誇る蒲公英を思わせた。見た目の素朴さに相反する強かさを内包しているあたりなどが特に。 (そういえば、玄兄は華美なものより素朴なものの方が好きだったか) 我ながら少々失礼な感想を抱きつつ視線を向ける。 玄徳の好きな食べ物を少しでも上手に作りたい、そして彼に喜んでもらいたい――野菜と格闘している真剣な眼差しからはそんな健気さが透けて見える。 近寄る者を拒む棘を纏った美姫を好む者もいるだろう。 しかしどんな時も民への心配りを忘れないような心優しき我らが君主には、きっと花のように、傍にいるだけで皆が心安らげるような女性の方が相応しいと思う。何より義弟として、そちらの方がよほど好ましい。 「花は今のままでも充分玄兄に似合っている。あまり気負って焦ることはない」 「え? 何か言いましたか?」 呟くように告げた言葉は花の耳には届かなかったらしい。 「……いや、何でもない」 聞こえなかったのをわざわざ言い直す必要もないだろう。 自分でもらしくないことを言ったという自覚はある。 きょとんとしている花に首を振り、雲長は次の手順を指示し始めた。 そう遠くない将来、花は「奥方」と呼ばれる立場になることだろう。 しかし、きっとそうなっても、彼女は今と変わることなく自分達に屈託ない笑顔を見せてくれるに違いない。 その日をどこか待ち遠しく思いながら、雲長は微かに眼差しを和ませた。 |
拍手の御礼用掌編としてアップしていたものです。 ファイルの日付を見ると、玄兄編の半月後くらいに書いたもののようです。 これもまた非っ常〜に楽しんで書いた覚えがあります(笑) ため息つきながらも、何だかんだで話を聞いてあげたりアドバイスしてあげたりする 面倒見のいい雲長さん、大好きです。 |