お節介 Presented by なばり みずき
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回廊を歩いていた芙蓉は欄干に凭れ掛かって遠くを見ている玄徳の姿を認めて足を止めた。 何を見ているのだろうとその視線の先を追う。 果たしてそこには半ば予想していた通り、花の姿があった。 親を喪くした子供達を何やら楽しげな様子で構っている。笑顔の無垢さは彼女を取り巻いている子供達と比べても大差ない、実に微笑ましい情景だ。 そうして再び玄徳へと視線を戻してみれば、どことなく淋しげな、あるいは羨ましげな表情を浮かべているのが見てとれた。 彼の面倒見の良さは芙蓉もよく知るところである。子供達のことを気に掛けていることも。 それでも降りていって合流しないのは、きっと仕事の切りがまだ着いていないからだろう。これが翼徳あたりならば構わず飛び込んでいくところだろうが、玄徳はそういう分別をしっかりと弁えている。 でも、と芙蓉は表情を曇らせた。 ここのところの玄徳はといえば、少々働き過ぎの向きがある。もちろんそれは片づけなければならない問題が山積しているからに他ならないが、寸暇を惜しんで仕事に明け暮れている玄徳のことは、芙蓉や雲長達ばかりでなく、彼が愛して止まない花もまた大いに心配していた。 (大体、孔明殿も玄徳様に仕事を回し過ぎよね) 愛弟子を横から掻っ攫われた腹いせなんじゃないのかしら、と思わずそんな穿ったことを胸中で毒づく もちろん芙蓉だって、何も本気でそんなことを疑っているわけではない。孔明が優秀な軍師であり、同時に非常に優れた政治家でもあることは重々承知している。彼が玄徳よりもずっと多くの仕事をこなしているということも。 それでもそんな風に思ってしまうのは、芙蓉にとって親友でもある花が淋しい思いを耐えていることを知っているからだ。健気な彼女は口では平気だと強がっているけれど、自分はその奥に秘められた寂寥を察せられないほど愚鈍でもなければ、浅いつきあいをしているつもりもない。せめて愚痴でも言ってくれれば慰めてやることも出来るのに、というのは芙蓉の勝手な感傷だ。 花は玄徳が見つめていることなどまるで気づいた様子もなく、子供達と歓声を上げながら遊んでいる。そうやって、きっと淋しい気持ちを紛らわせているのだろう。 こんなに近くにいるのにゆっくり言葉を交わすこともなく――。 芙蓉はそんな二人の様子に焦れたように、大きく息を吐き出した。 本当はこれから休憩時間で、うまく時間の都合がつくようなら恋人と僅かな逢瀬を……なんてことを考えていたのだけれど。 (約束していたわけでもないし、行ったからって必ずしも一緒に過ごせるってわけでもないし) 心裡で言い訳するように自分の未練を断ち切ると、芙蓉はキッと面を上げて玄徳の元へと歩を進めた。 彼はこれほど近づいてもこちらに気づく様子はなく、ただぼんやりと庭の先へと視線を向けている。その眼差しは見ているこちらの方が恥ずかしくなってしまうくらい甘い。 ずいぶん長く仕えてきたが、彼がこんな表情も出来るのだということを初めて知った。 「玄徳様」 思い切って声を掛けると、玄徳はまるで夢から醒めたかのような顔でこちらに向き直った。 「あ、ああ、芙蓉か」 精悍な貌をバツが悪そうに苦笑させ、変なところを見られてしまったな、と呟きを洩らす。 怠けていたのを咎められるとでも思ったのか、ひょいと肩を竦めて執務室へ戻ろうとする主の背に、芙蓉は再び「玄徳様」と呼び掛けてその足を止めさせた。 「なんだ? もしかして何か問題でも起こったか?」 振り返った顔は、近くで見るとやはり疲労の色が濃い。 こんなにも疲れているというのに、それでも自分のことより臣下や民のことに気を砕く。そんな玄徳だからこそ、皆、彼を慕い、彼の役に立ちたいと思うのだろう。それは芙蓉も例外ではない。 「問題があるのは玄徳様の方ではありませんか?」 苦笑を交えて告げると、玄徳は不思議そうな顔をして「俺か?」と訊き返してきた。 「ずいぶんお疲れのご様子ですよ。そんなことでは仕事の方も捗らないでしょう。書簡の整理と検分は私がやっておきますから、半時ほど休憩されたらどうですか?」 芙蓉は意味ありげに微笑みながら、つい、と視線を庭先に向けた。 途端に玄徳の表情が――君主としての仮面が剥がれ落ちた。 「芙蓉……」 俺が何を見ていたのか気づいていたのか。 おそらく言いたいことはそんなところだろう。 芙蓉は応とも否とも口にせず、ただ「長いつきあいですから」とだけ言って笑みを深める。 参ったな、というように頭を掻く玄徳は、うんと年上の男なのに何だか妙に可愛く見えた。 「だが、おまえもこれから休憩だったんじゃないのか?」 「半時ほど休憩がずれたところでどうってことありません。その僅かな時間をお手伝いすることで玄徳様の疲れが癒されるのでしたら喜んで」 「芙蓉……」 「それに、あの子もきっと喜びます。これは彼女の友達としてのお節介ですけど」 茶目っ気たっぷりに付け足すと、彼は漸く苦笑を晴れ晴れとした笑顔に変え、礼を言いつつ踵を返した。 階を降りて花の元へ向かう足取りに迷いはない。 欲を言うなら二人きりで過ごさせてやりたかったが、そういう機会はこれからいくらでも訪れるだろう。 聞こえてくる子供らの歓声の中に親友の声が含まれているのを確認して、芙蓉は玄徳の執務室へと足を向けた。 我らが君主の仕事を少しでも減らし、大切な友が心置きなく恋人と過ごす時間を楽しめるように。 |
周囲の人々から見た玄徳と花、第2弾は芙蓉姫篇です。(第1弾は拍手御礼SSでアップしている雲長篇) 傍から見ると、花ちゃんを見る玄兄はかなり甘ったるい雰囲気を醸し出してると思います。 きっと気づいてないのは当の花ちゃんと、あとは翼徳さんくらいじゃないかな?(つまり子龍にも気づかれる程度) |