Spring comes soon

Presented by なばり みずき


 それは三月も下旬に差し掛かったある昼下がり。
「花見したいなあ」
 暖かい陽射しのもと、年下の恋人と手を繋いで歩きながら、知明は我知らず呟きを洩らした。
 日に日に陽気も良くなってきて、西の方では二、三日前に桜の開花宣言も出されている。ふと道端の桜の樹を見上げれば、この間まで固かった蕾は今にも一斉に咲き出しそうな具合だ。
「お花見?」
 知明の顔と、まだ咲いていない桜を交互に見て、あんずは不思議そうに小首を傾げた。
 彼女の意図を察して、知明は微笑んで首を振る。
「今すぐの話じゃないよ。桜が咲いたら、今年は花見がしたいなあってね」
 苦笑して告げると、彼女は納得したように頷いた。
 社会人になってからは仕事に追われて花見どころじゃなかったし、フリーになってからは尚更そんなゆとりはなかったのだ。
 一応、メインで仕事をしていた新聞社の編集部内でも毎年三月の下旬になると花見の企画は持ち上がっていたものの、知明の知る限りに於いて実行された例しはない。以前は有志を募って少人数でやっていたこともあったらしいが、それだって知明が入社するずっと前の話である。
「お花見かあ。去年は諒子ちゃんを誘って、お兄ちゃんとお母さんと四人でお花見したんですよ。諒子ちゃんったら張り切って朝早くから場所取りしてくれて。おかげで一番綺麗な桜のところでお花見出来たんです」
 あんずの言葉に、知明はあの威勢の良い少女を思い浮かべて「らしいなあ」と笑った。
 いかにもお祭り好きそうな彼女のことだから、きっと相当早い時間から出掛けていって良い場所を確保したのだろう。その光景が目に浮かぶようだ。
「知明さんは?」
「俺? ここ数年は残念ながらやってないんだ。花見らしい花見って言ったら大学の頃にやったくらいかな。夜遅くまで騒いでお巡りさんに散らされたりしたもんだよ。池に飛び込む奴とかもいたしな」
「ええっ!?」
「さすがに俺はそこまでやってないよ」
 驚いて目を丸くするあんずに苦笑しながら弁明する。
 若気の至りとはいえ、今から思い返すとずいぶんと非常識な真似をしたものだ。
 話していたら何だか無性に懐かしくなって、ますます花見がしたくなってきてしまった。
 あの頃みたいに騒ぐばかりの宴会じゃなくていい。可愛い恋人と満開の桜を愛でるだけで充分だ。二人で寄り添って観る花は、きっと今まで見たどんな桜より綺麗だろう。
 ふと、あんずが繋いでいた手をきゅっと握り締め、
「じゃあ、今年は一緒にお花見しましょうね」
 それこそ花が綻んだような笑顔でそう言った。
 絶妙のタイミングで発せられたこの言葉に、知明は少しだけドギマギしながら頷いた。
 こういう時、もしかして彼女は自分の心を読んでいるのではないかと思ってしまう。実際にはそんなことはないと解ってはいるのだが。
「今年はお父さんもいるし、去年のお花見より賑やかになりそう」
「ああ、なんだ、みんなでね」
 ほら、やっぱり。
 あんずは自分の何気ない一言がどれほど知明をドキドキさせたかなんて、ちっとも気づいた様子はない。そこが彼女の魅力と言ってしまえばそれまでだが、肩透かしを喰らった今は、無邪気な笑顔がほんの少し憎らしく感じる。
 いい大人がこんな年若い少女に翻弄されているというのは情けないとは思うものの、こればかりは惚れた弱みというやつだから仕方ない。知明自身、そんな自分を「悪くないな」と思っているのだから文句を言えた義理でもないだろう。
 とは言え、やられっぱなしでは男が廃る。せめてもの意趣返しというわけではないが、ちょっと悪戯心を刺激され、
「うーん、それも悪くないけど……」
 知明は思わせぶりな言い方で言葉を濁した。
「けど……何?」
 あんずは恋人のささやかな企みなどまったく気づかず、無邪気に小首を傾げて問いかける。
「二人っきりで、夜桜を眺める方がいいかな」
 ここぞとばかりに耳許へ甘く囁いてやると、彼女はたちまち顔を赤らめた。
 二人っきりとか、夜とか、そんな単語が妙に意味深に聞こえたのだろう。もちろん、そう聞こえるよう意図して言ったのだが。
「もう! すぐそうやってからかうんだから!」
 あんずは照れ隠しのように言い放つと、繋いでいた手を解いてずんずんと先に歩いていってしまった。
 後ろ姿からでは恥ずかしいのか怒っているのかまでは判らないが、耳まで赤くしているのが見て取れて、知明は満足そうに微笑んだ。
 こういうウブな反応が見たくてついからかってしまうのだ。しかし、そんな男心を彼女に理解してもらうにはきっともう少し時間が掛かるに違いない。
 そうは言っても怒らせてしまうのは本意ではないので、慌ててあんずの後を追う。
 謝るか、誤魔化すか――考えを巡らせて天を仰いだ彼の目の前で、彼女は不意に歩を止めた。
「でも……」
 聞き取れるギリギリのボリュームでの呟きに、知明が身を屈める。
「そういうのも、良いかな」
 あんずはそう言うと、はにかんだ笑顔で知明の腕に自分の腕を絡めた。
 照れくさいのを必死で押し止めているのだろう。目元をうっすら朱に染めながらも、努めて平静を装っているのが見て取れて、見ている知明までつられて照れくさくなってしまった。
「でも、酔っ払いがいっぱいで、案外ロマンティックじゃないかもしれないけどな」
「児童公園みたいなところなら、宴会してる人もいないんじゃない?」
「人気のない公園で二人きりか……悪くないな」
 言いながら、知明はあんずの髪を一房すくい、恭しく口づけた。
 一日も早く桜が咲けばいい。
 彼女と寄り添って観る夜桜を思って、知明は笑みを深くした。

 春は、もう、すぐそこだ。








※無料配布本『天然果汁50%〜Spring comes soon〜』より(初出 2003/04/29)

春にアップしようと思っててうっかりしていたら
4年も前のをアップする羽目になってしまいました(汗)
(こんなことなら時季外れでも思い立った時にアップしとけばよかったです)

確か、本当はお花見当日のネタとかもぼんやり考えていた筈だったのに、
時間切れでこんな尻切れトンボな代物になっちゃったような気が……。
加筆修正などはしていないので、誤字脱字とかがあったら、それも当時のままです。
もしあっても、その辺はご愛敬ってことで(苦笑)

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