駆け引き

Presented by なばり みずき


「あんずちゃん、そんな格好で寒くないの?」
 デートの待ち合わせ場所に現れたあんずの服装を見て、知明は思わずそう訊いた。
 半袖のニットに膝上丈のスカート。ブーツとスカートの間から見える膝小僧がやけに眩しく感じられる。
 暑さより寒さの方が数段マシだと思うものの、そうかと言って寒いのが得意というわけではない知明は、だから彼女の格好を見て本当に感心した。若さの差だと一言で片づけてしまうのは抵抗があるけれど、やはりこういう時ばかりはそれを感じずにはいられない。少なくとも、自分が同じくらいの薄着をしろと言われたら絶対に断るだろう。
 頻りに感心する知明に、
「それは企業秘密よ」
 あんずはそう言うと可愛らしくウインクしてみせた。
 もしかしてアプリコットの衣装のように何か仕掛けでもあるのだろうか?
 確かに、あの極度のシスコンな兄ならば、可愛い妹のために特殊素材やら何やらを開発しても不思議はないが……。
 知明はそこまで考えて首を振った。
 優しそうな外見とは裏腹に意外と厳しい先代怪盗プラムドは、必要以上にあんずを甘やかすような真似は絶対にしないし、また息子にもさせないだろう。
「じゃあ、その秘密を明かしてもらおうかな」
 まるで誘っているかのように悪戯っぽい瞳で見上げてくるものだから、知明はからかい半分で彼女の細腰を抱き寄せた。
「パートナーの間で『企業秘密』なんて不要だろう?」
 あんずが驚いたように硬直したのは一瞬で、次の瞬間には火が点いたように赤面すると、知明の腕からスルリと抜け出した。あまりの素早さにどうやって逃げられたのかもわからなかったほどだ。さすが怪盗というべき身のこなしである。
 今回は冗談のつもりだったから良いけど、本気で迫った時にまでこんな調子で逃げられたりしたら、さぞかし傷つくだろうなあ。
 どこか他人事のように思いながら、知明はこっそり肩を竦めた。
 その様子を見て、あんずは表情を曇らせて知明の腕を取った。
「あの……怒っちゃった?」
「え?」
 急に黙ってしまったためにそんな勘違いさせてしまったらしい。彼女は少し不安そうな瞳をして知明を見上げた。
「その……秘密って言っても怪盗としての秘密ってわけじゃなくて。女の子としての秘密なの。だから……」
 見当違いな言い訳をするあんずに内心面食らった知明だったが、前後の会話を考えれば無理もない。
「はいはい。その辺のヒミツも、いずれゆっくり明かしてもらうよ」
 子供にするように頭をポンポンと軽く叩き、それからこめかみに素早くキスをする。あっという間に赤くなった彼女の耳許に、
「だって俺達は一生涯のパートナーでもあるんだし?」
 甘く囁いてやると、ウブなあんずは案の定、赤かった顔を更に赤くした。照れ隠しのように振り上げられた拳を、今度は知明がヒラリと躱す。
「もうっ、知明さんったらすぐそうやってからかうんだから!」
 つきあい始めて2ヶ月も経つのだし、そろそろ何某かの発展があっても良いんじゃないかと思っていたが、こんなやり取りも悪くない。いや、それどころか心地よさすら感じるほどだ。
 知明は笑みを深くして、薄着の恋人を抱き寄せた。


 帰り際になって、知明は自分の上着を脱いであんずに差し出した。
「家に着くまで貸してあげるよ。見てる方が寒いしね」
 本音を言えばそれは建前で、彼女に寒い思いをさせたくないと言うのが一番の理由だ。それにうっかり風邪でも引かせようものなら、あの超が付くシスコンの草に何をされるかわかったものじゃないし。
「少しヤニ臭いかもしれないけど、我慢して」
 そう言って上着を手渡すと、あんずは満面に笑みを浮かべて袖を通した。
 男物のブルゾンはさすがに大きすぎて、腕をめいっぱい伸ばしても袖から指先がみえることはない。尤もこれはこれで少々そそられるものはあるのだが。
「実はね、これが目的だったの」
「え?」
「薄着してたら、知明さんが上着貸してくれるかなあって」
 あんずは照れ臭そうに舌を出すと、自分の身体を抱き締めるように腕を回した。
「ほら、こうしてると知明さんに抱き締められてるみたいでしょ?」
 何とも可愛らしい発言に、思わずこのままお持ち帰りしてしまいたくなった知明だったが、今日のところは何とか自制心を働かせてここで留めることにする。
 きっと彼女には「恋人の上着を着てみたい」という以上の意図などないのだろう。ここでがっついてしまうのはあまりに大人げない。
 とは言え、彼女の無意識の挑発に乗せられそうになった身としては、このまま引き下がるのも悔しかったので、
「あんまり可愛いことを言うと、送り狼になるよ」
 華奢な身体をふわりと抱き締めて、耳許に殊更甘く囁いてやる。こういうことに不慣れなあんずにはちょうど良い意趣返しになるだろう。
 また赤面して逃げ出すか。それとも「からかうな」と言って拳を振り上げるか……。
 しかし、暫く待っても反応がないものだから、知明は少し身を離して覗き込んだ。
「知明さんなら……いいよ」
 真っ直ぐに見上げてくる大きな瞳――。
 その瞬間、知明は自分が罠に掛かったことを知った。
 幼いと高を括っていたが、彼女はれっきとした女なのだ。しかも駆け出しとは言え立派な怪盗で、自分のハートはとっくの昔に盗まれている。
「……まったく、敵わないな」
 知明は素直に白旗を掲げた。
 抱き締める腕に少しだけ力を込めて、桜色の口唇に自分のそれを重ね合わせる。
 これは彼女にとって精一杯の背伸びだったのかもしれない……。
 緊張に身体を強張らせているのが上着越しに伝わってきて、だから知明は怖がらせないよう細心の注意を払って、啄むようなキスを繰り返した。
 何度か角度を変えて口唇を味わってから、名残惜しげに離れる。
 潤んだ瞳に上気した頬、濡れた口唇が何だか妙に艶めかしい。
 知明は照れ隠しに一つ咳をして、
「これ以上遅くなると、君のお兄ちゃんに殺されかねないからな」
 茶化すように言うと、あんずの額に音を立ててキスをした。
 あんずは――もしかするとそれ以上の行為を望んでいたのかもしれない――少し不満げに唇を尖らせた。
 この一言を言うために知明がどれほどの自制心を必要としたかなんて、きっと彼女はこれっぽっちも気づいていないのだろう。
(まあ、それだけベタ惚れってことなんだけどな)
 心の中でこっそり呟くと、知明はあんずの肩を抱いて歩き出した。
 そう遠くない将来、彼女は恋愛の駆け引きを見事に取得して、今以上に自分を翻弄することだろう。
 だから、せめてそれまでは……。








電車で、若いお嬢さんの薄着姿を見ていて浮かんだお話。
ネタ帳に書いてあった文章をパソで打ち出して、元の文章から足したり引いたりしている内に
何だか微妙に甘じょっぱい代物になってしまいました…(遠い目)
いや、たぶん甘さ加減はこっちの方が増しているはずなんですけどね。
※このお話は以前なばりみずきの個人サイト『香茶苑』で公開していた作品です(初出 2002/11/05)