十月一日

Presented by Suzume

 ふと視線を感じて顔を上げたら、パソコンで調べものをしていたはずの春歌がこちらを見ていた。
「どうした?」
 訝しく思って龍也が声をかければ、彼女は我に返ったようにぴくんっ、と肩を揺らし、慌てた様子で目を逸らしてしまった。まるで授業中の居眠りを注意された生徒のようでおかしかったが、実際に口に出したのは別のことだ。
「なんだよ、見とれるほど良い男だったか?」
 場を和ませるための軽口で他意はなかったのだが、その言葉に春歌は大袈裟なまでに反応した。
「いっ、いえそういうわけではなくて! あっ、いえあの龍也さんが良い男ではないということではなくて! 龍也さんが思わず見とれてしまうほど格好いいのは確かなのですが今のはそういう意味で見ていたわけではなくてという意味で……!!」
 焦って言い訳を重ねるこの可愛い恋人は、もはや自分が何を言っているのかも解っていないに違いない。
 冗談で言ったのを真っ向から肯定されたことに何とも言えない気恥ずかしさを感じながら、彼は読んでいた台本をテーブルに置いて春歌に歩み寄って、
「落ち着け、ただの軽口だから気にすんな」と、安心させるようにその華奢な肩を軽く叩いた。
 彼女は顔を真っ赤にして涙目になっていたが、龍也にそうされたことで漸く落ち着きを取り戻した。俯いてしまって表情は見えなかったが、さらりと揺れた髪の隙間から覗く耳朶がピンクに染まっているのは先程の名残りか、それとも冷静になって自分の言動に照れたのか――どちらにしても可愛いことこの上ない。仕事中でなかったら抱き締めてキスの一つもしたくなるほどだ。
 彼は胸に湧いた衝動を誤魔化すように咳払いをして、
「それで? 見とれてたんじゃなかったら、一体何でまた熱心に俺のことを見てたんだ?」と、からかう口調で問いかけた。
 春歌の方も今度は過剰に反応することはなく、照れ臭そうな表情を浮かべながらこちらに顔を向けた。
「すみません、ネットで調べ物をしていたら、今日が何の日かってページに行き当たりまして……」
「今日は10月1日……そういや今日は都民の日だったか」
 全都道府県にそういった日が制定されているのかまでは龍也の知るところではないが、東京ならば10月1日が都民の日、彼の出身県である千葉ならば6月15日に県民の日といったものがあり、公立の小中高校などはその日を休校日にしている学校も少なくない。
 龍也の言葉に、彼女は微かに首を振った。
「それもそうなんですけど、それだけではなくて……今日10月1日は眼鏡の日なんだそうです。他にもコーヒーの日やネクタイの日でもあって」
 言いながら春歌が示したパソコンのモニターに目をやれば、成程、そこには各種記念日の成り立ちなどが簡単に記されていた。
「それで、その……眼鏡とコーヒーとネクタイだなんて、まるで龍也さんの日みたいだなって思ってしまって」
 小さな声で言い訳がましく告げられた言葉に、龍也は思わず目を瞬かせた。
 コーヒーやネクタイなど多くの男にとって身近なものだし、眼鏡にしても目が悪い者など掃いて捨てるほどいるだろう。
 だというのに、それらのキーワードで龍也を連想して、あまつさえ「龍也の日」などと言い出すだなんて発想が可愛らしいにもほどがあるというものだ。
 おそらく春歌自身も己の思い付きが子供っぽいという自覚はあるのだろう。居たたまれないといった様子で頬を染めているのがその証拠だ。
 だが、龍也は笑い飛ばす気にはなれなかった。
 そんなありふれたキーワードで自分を思い起こしてくれるこの恋人に溜まらない愛おしさを感じたからだ。
「……仮に今日が俺の日みたいだとして」
 低めた声で囁くように言葉を紡げば、春歌は居心地が悪そうに身じろぎしてこちらをちらりと見上げてきた。
「そうだとしたら、特別に労って貰えたりとか……期待してもいいのか?」
 至近距離から覗き込むように見つめて問うたら、彼女の頬が一気に赤味を増した。
 龍也は自分の意図が伝わったことに満足して口の端を持ち上げながら、可愛い恋人の返事を待った。
「で、でしたら、今日は龍也さんを労うために夕飯は目一杯腕を振るいますね」
「あぁ、期待してる。そんで、食後にはお前自身をたっぷり味わって癒して貰うとすっかな」
「えっ!?」
「今日は俺の日だそうだから、たっぷり労って貰わねーとな。可愛いパートナーさん?」
 悪戯っぽく微笑んで告げれば、春歌は観念したように目を伏せた。
「はい。わたしで龍也さんの癒やしになるのでしたら……喜んで」
 はにかみながら請け合ってくれた恋人の返事に満足して、彼はその日の残りの仕事を精力的に片付けたのだった。








※ぷらいべったーにアップしたものを転載(初出 2014/10/01)
10月1日は眼鏡の日でコーヒーの日でネクタイの日だそうですよ!
というわけでして10月1日についった経由でぷらいべったーにアップしたもののサルベージ品です。
日本酒の日でもあるらしいので、晩酌は日本酒で宜敷お願いします←

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