恋文の日・キスの日

Presented by なばり みずき


 事務所に戻ると机の上に一通の封書が置かれていた。
 表面には見慣れた文字で『日向龍也様』とだけ書かれている。
 裏返してみたが差出人の名前は書かれていない。
「一体どういう風の吹き回しだか……」
 龍也は口の端を持ち上げながら誰に言うでもなく呟いた。
 脳裏に思い描くのは可愛らしい年下の恋人の笑顔である。見慣れた筆跡は彼女のものに間違いない。
 仕事に関わる連絡事項ならこんな回りくどい真似などせず、いつものようにメモを置いておくはずだ。あるいは人の目に触れて困るような事案であるなら直接電話を寄越すなりメールをしてくるなりするだろう。
 だからこれは、きっとプライベートなものに違いない。
 一体あの少女は何を思って置き手紙などしたのだろう?
 大抵の用件がメールで事足りてしまう昨今ではこんな風に自筆の手紙をもらう機会というのはあまり多くはない。
 アイドルである自分達はファンレターなどでまだその機会が豊富な方かもしれないが、直接つきあいのある相手からとなればその頻度は一般人と変わらない。ましてその相手が恋人であるなら尚のこと――。
 薄い桃色がかった封筒は透かし模様が施されていて、シンプルだがどこか品のある質感だ。それがまたどこか思わせぶりで、龍也の気持ちを浮き立たせる。
 暫く矯めつ眇めつしていた龍也だったが、やがてある種の期待を胸に封を開けた。封入口は花の形のシールで留められていて、そんなところに年若い少女らしさが垣間見える。尤も、そのシールも華美ではない控えめなデザインのものという辺りに性格が表れているといったところか。
 中に入っていた便箋は一枚。封筒と揃いのものだ。
 開くとそこには几帳面な文字でこう記されていた。


日向龍也様

 今日は恋文の日だというのでお手紙をしたためてみることにしました。

 好きです。
 大好きです。
 愛しています。

 至らないところの多いわたしですが、龍也さんを好きな気持ちだけは誰にも負けないつもりです。
 直接言葉にするのは恥ずかしくてなかなか言えませんが、この想いはいつだってわたしの心を一番大きく占めている気持ちです。
 言葉を尽くしても、五線譜に想いを乗せても、全然足りないくらい、いつも龍也さんのことを想っています。

 どうかこの想いが龍也さんにまっすぐ伝わりますように。
 そして、願わくば龍也さんもわたしと同じ気持ちでいてくれますように。


 七海春歌という署名で結ばれたその手紙を読み終えた龍也は、思わず弛んでしまった口許を手で覆い隠した。鏡を見たら、さぞかしやに下がった男の顔があるに違いない。
「やってくれたな……」
 ため息混じりに独白し、ぐるりと部屋の中を見回す。
 そして当たりをつけた方向へ大股で向かうと、
「ここか!?」
 勢いよくクローゼットの扉を開け放った。
「……ッ!」
 果たして、そこには彼の半ば予想した通り、手紙の差出人が身を潜めていた。
「あ、あの……」
 春歌は驚きに目を見開きながらこちらを見上げている。どうして見つかったのか解らないといった表情だ。
「情熱的なラブレターをありがとよ」
 クローゼットの中で縮こまっている華奢な体躯を引っ張り出しながら告げると、春歌の頬が瞬く間に赤らんだ。
「悪戯の成果が知りたくて隠れて様子を見てたんだろ? ご覧の通り、骨抜きにされちまってるよ」
 抱き寄せて、わざと甘く耳許へと囁いてやる。
 そうでもしないと、加減を誤って滅茶苦茶にしてしまいそうだ。
 まだ幼さの残る恋人からの微笑ましい悪戯でこんなにも舞い上がってしまっている自分など、出来ることなら誰にも知られたくはない。たとえそれが最愛の恋人その人であったとしても、だ。
 しかし――龍也のそんな思惑は一瞬にして吹き飛んだ。
 それというのも、
「悪戯なんかじゃありません。でも……龍也さんが骨抜きになって下さったなら、恥ずかしくても頑張って書いた甲斐があります。いつもわたしばかり翻弄されてますからこれでおあいこですね」
 目許を染め、はにかみながらそう微笑んだ春歌がきゅっと龍也を抱き返してきたのである。彼女の眼差しには策略めいたものは欠片もない。ただ龍也の言葉をまっすぐに信じ、素直に喜んでいる、どこまでも無垢な少女の姿があるのみである。
 これにはさしもの龍也も白旗を掲げるより他なかった。
 てっきり誰かに焚きつけられてのことだろうと思ったのだが、この恋文の件は純粋に春歌自身が思いついて仕掛けてきたことのようだ。それも悪戯やこちらの気持ちを計ろうなどといった類のものではなく、本当に素直な気持ちでしたためてくれたものらしい。隠れていたのは単に反応が見たかっただけなのだろう。
「ったく……ほんと、敵わねーな」
 胸の裡でそう独白し、可愛い恋人のつむじに唇を寄せる。身長差があるため、立ったまま抱き合うとこういう態勢になってしまうのだが、今はこの方が好都合だ。こちらの表情が見られずに済む。
「俺も……言葉を尽くしても足りねーくらい愛してるぜ。こんなラブレターなら毎日だってもらいたいくらいだ。手紙なら、恥ずかしがり屋な誰かさんも情熱的に愛の言葉を綴ってくれるみたいだからな」
 受け取ったラブレターに負けないくらいの想いを込めて情熱的に囁いた。最後に茶化すような科白をつけ加えたのは照れ隠しと本音の半々である。
 抱く手を緩めて反応を窺っていると、耳どころかうなじまで朱に染めた春歌が甘えるように胸元へと顔を擦りつけてかた。
 こんな可愛い態度を取られては龍也としても知らぬ顔など出来ようはずもない。
 身を屈めると、熱を持った頬を包むようにして上向かせ、桜色の口唇にキスを落とした。
 啄むように何度か味わう内、口づけはどんどん熱を帯びていく。
「ん……っ」
 吐息と喘ぎの混ざったような掠れた声に、頭の芯が甘く痺れた。
 いつ何時、事務所のスタッフや後輩タレント達が不意に訪れるともしれないというのに、柔らかな果実のような口唇を味わうことを止められない。それどころか、もっともっとと焦がれるようにより深く求めてしまう。
 愛しい恋人の口腔内を余すところなく味わったところで、名残惜しく口唇を離すと、途端に腕に抱いていた身体からカクンと力が抜けた。慌てて支えてやったものの、腰でも抜けたのか脚がガクガク震えていて立っているのも儘ならない様子である。上気した頬や潤んだ瞳は艶めかしさを漂わせ、このキスで、自分ばかりでなく春歌もまた情欲を感じてくれたのだということが察せられた。
「…………」
 龍也は瞬時にこの後のスケジュールに考えを巡らせた。
 幸い今日は教師としての仕事もアイドルとしての仕事も既に全て終わっている。残っているのは事務所の取締役としての事務仕事だけだが、今は急ぎでやってしまわなくてはならない案件は抱えていない。明日以降に振り分けても充分間に合うものばかりである。
 迷ったのは数秒――そしてその迷いも腕に抱く恋人の表情を見て呆気なく霧散した。
「……春歌、知ってるか? 今日はキスの日でもあるんだぜ」
 龍也はしっとり囁くと、そのまま春歌の身体をふわりと抱き上げた。
「情熱的なラブレターの礼に、こっちも情熱的に応えてやるよ。甘ーいキスでたっぷりと、な」
 そうして、彼は恋人を抱いたまま事務所へ一本の電話を掛け、この日の仕事を終了させた。
 それからさっさとオフィスに鍵を掛けてプライベートルームへ場所を移すと、そこから先は存分に恋人との時間を楽しんだのだった。

 この日、二人が何回のキスを交わしたかは誰も知らない。
 ただ、とびっきり甘いキスを数え切れないくらい交わしたのは疑いようのない事実である。








「5月23日は恋文の日でありキスの日」ということで、それに因んだ龍春ネタです。
龍也さんの誕生日にはこれといって何も出来ませんでしたが、
5月中に何かと思っていたのでネタが降ってきて良かった!


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