Sweets are forever

Presented by Suzume

「できました!」
 完成したそれを見て、春歌は満足げに微笑んだ。
 彼女が手にしているのは小振りのクマのぬいぐるみで、そのクマは一丁前にスーツを着込み、ネクタイまで締めていた。
 その服は全て春歌のお手製だった。スーツの色も、ネクタイの柄も、彼女なりに拘って選んだものだ。
 どう拘ったかといえば――
「ふふっ、龍也さんクマさんの完成です」
 そう、その服装は恩師であり、事務所の上司――先輩でもあり、そして春歌にとって誰よりも大切な恋人の服を模した物だったのだ。
 ほんのり頬を染めて独白した彼女は、そのままそぅっとクマの鼻先に口づけた。
 本人には決してできないが、相手がぬいぐるみのクマならば恥ずかしさも幾分軽減されようというものだ。それでも羞恥は完全には消え去ってくれなくて、微かに早くなった鼓動を誤魔化すように、物言わぬクマを抱き締めた。
 と、その横合いから不意に影が差した。
 その正体を確認する間もなく、
「何やってんだ?」という笑いを含んだ声が降ってきて、春歌は椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。勢いバランスを崩したその身体を力強い腕が抱き留めてくれる。
「せ、先生……!」
 動揺のあまり声を裏返らせる彼女に、龍也がその男らしい貌に苦笑を閃かせた。
「そんな、化け物にでも遭ったみたいな反応すんなよ。傷付くだろ」
「すすすすすみません!!」
 冗談だろうと頭では解っていたものの、反射で勢いよく頭を下げた。
 気にすんな、と笑い混じりの声と共に頭を撫でられて、漸くパニック状態だった気持ちが落ち着いてきた。
 しかし冷静さが戻ってきて真っ先に思い浮かんだのは先程の醜態だ。
 一体彼にはどの場面から見られていたのだろう。
 恐る恐る目を上げれば、そこには驚いた弾みに取り落としていたクマを拾い上げている龍也の姿があった。
 止める暇も何もあったものではない。
 興味深そうに繁々眺められて、春歌は今すぐにもこの場から逃げ出したいほどの恥ずかしさを味わう羽目になった。
 幸い今は休憩時間で、私用に時間を費やしていたからといって叱られるようなことはないだろう。
 だが、居たたまれないのはそれとは全然別の次元の話だ。
 スケジュールが立て込んでいるから事務所には寄れないかもしれない、という彼の言葉を鵜呑みにしてしまった自分の軽率さが腹立たしい。そもそも、いくらあともう少しで完成するからといって、やはり事務所で縫い物の続きをしたのが誤りだったのだ。
 龍也は一体どう思っているだろう。
 こんな、まるでままごとのように子供っぽい真似をしている自分を見て、呆れたり、失望したりするのではないだろうか。そうでなくても彼との間には決して縮まることのない年齢の差という壁があるのだ。そこへ更に子供っぽさを上塗りするというのは自爆行為以外の何ものでもない。
 最後通牒を待つ心地で唇を噛み締めた春歌の手に、ぽんっ、とクマが乗せられた。
「これは、俺の服装を模してくれたのか?」
「は、はい、あの……」
「なるほどな。俺は忙しくて年がら年中お前のそばにいてやることはできないが、こいつならうまいことお前の寂しさを紛らわせてくれそうだ」
 思いのほか温かい声音でそう言われて、思わず強張っていた身体から力が抜けた。
「……え?」
「俺の代わりに、しっかり守ってくれよ、クマ公」
 つんっ、と指の先でクマの頭を小突くようにして言った龍也をぽかんとしたまま見上げたら、慈しみに満ちた眼差しがまっすぐこちらを捉えていた。
「あの……子供っぽいって呆れたりしないんですか?」
「どうして? わざわざ俺の服に見立てて作ってくれたんだろ? 良くできてる。どうせならお前と同じような服着たクマも揃えて一緒に飾っててほしいくらいだがな」
 彼はそう言ってもう一度春歌の頭を一撫でし、それからぐいっとその頭を引き寄せた。
「だが、キスするんならクマ公じゃなくて本人の方にしてくれ。そうすりゃぬいぐるみ相手に妬くなんて馬鹿馬鹿しいことになんねーで済むからな」
 言うや否や、掠めるように口付けられた。
 ちゅっ、と音を立てて落とされたキスに驚く間もなく大きな身体が離れていき――春歌は殆ど反射でその腕を掴んだ。
 ほんの少し背伸びをすれば届くところに彼の顔がある。
 顔から火が出るくらい恥ずかしかったけれど、冗談でも恋人にあんなことを言わせてしまっていいはずがない。
 あれこれ考えてしまったら動けなくなってしまうのは明らかで、だから突き動かされる衝動のまま思い切りよく背伸びをして彼の唇に自分の唇を押し当てた。
 しっとりした感触と仄かな熱に身体中の血が沸騰しそうだ。
 ゆっくり踵を落として唇を離そうとした春歌だったが、しかしそれは叶わなかった。踵を下ろしきる直前、ぐいっ、と浚うように腰を抱き寄せられたためだ。
「んっ……」
 噛み付くみたいに口付けられ、その荒々しさに翻弄された彼女は、龍也の腕にしがみ付くことで辛うじてその場にへたり込むことだけは免れた。
 どきどきと脈打つ鼓動はうるさいくらいだったが、しかしこんな風に求められるのは決して嫌なことではない。寧ろ自分が求められているのだと、嬉しさが胸いっぱいに拡がっていくばかりだ。積極的に応じられるだけの経験値がないのが少しだけ悔しい。
 何度も角度を変えて啄まれ、春歌の頭の芯が蕩けかけた頃、荒らしのようなキスは唐突に打ち切られた。
「……悪い」
「え……?」
 苦い声で告げられた謝罪に夢心地で顔を上げたら、そこには端整な貌を自嘲に歪めている恋人の姿があった。
「不意打ちで可愛い真似されて抑えきれなかった。びっくりさせたな」
 そう言って頭を撫でてくれる手はいつもよりどこかぎこちない。
「びっくりはしましたけど……先生とのキスは、その……好きなので……全然平気です。それよりも、ちゃんと応えられなくてすみません。次からは先生を失望させないようもっと頑張りますから……」
 未だぼぅっとした状態の彼女は思い付くまま言葉を紡いだ。
 大好きな龍也にこんな苦い表情をさせたままでいたくはない。
 ちゃんと応えることはできなかったけれど、びっくりもしたけれど、決して嫌だったわけではないのだというこの感情だけでも伝えなくてはならないという気持ちが先走ったといってもいいかもしけない。
 対する彼は束の間虚を突かれたような表情でこちらを見下ろしていたが、やがて小さく吐息して、それから春歌の大好きな笑顔を浮かべてくれた。
「そうか。じゃぁ、これから本腰入れてそっちのレッスンもしてやるとすっか。ただし、お前のペースに合わせてゆっくりな」
 龍也はそう言って身を屈め、先程と同じようにちゅっ、と音を立てて口付けてくれた。だから春歌も彼に倣い、こちらも先程と同じように自分から口付けを返した。
 先程と違うのは、龍也が身を屈めてくれていたから背伸びをしなくて済んだことだ。そうして貰うことは僅かに距離が縮まったという表れのようで嬉しい。
 唇を離した後、二人はどちらからともなく引かれ合うようにもう一度キスを交わした。
 啄むような口付けは、しかし今度はじゃれあうような色合いを帯びたもので、春歌の心を温かく満たしてくれるものだった。

 さっきの噛み付くようなキスのとき、食べられちゃうかと思いました。
 と、そう言ったら彼はどんな顔をするだろう?
 俺はクマじゃねーぞ、と言って笑ってくれるだろうか。
 先生になら食べられちゃってもいいのにな――と胸の片隅でそんなことを考えながら、春歌は抱き締める腕に力を込めて心身を包む幸せな熱に身を委ねたのだった。








※Pixivにアップしたものを転載(初出 2013/05/15)
龍也先生のお誕生日に合わせてぴくしぶへアップしたものです。
誕生日ネタなSSは間に合いませんでしたが、せめて何か……と思い、自分なりに頑張ってみました。
春歌たんと末永くお幸せに!

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